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ダールマン ダールマン Dahlmann, Friedrich Christoph

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダールマン
ダールマン
Dahlmann, Friedrich Christoph

[生]1785.5.13. ウィスマール
[没]1860.12.5. ボン
ドイツの歴史家,政治家。 1812年キール大学教授,29年ゲッティンゲン大学教授となり,37年反動的なハノーバー国王エルンスト・アウグスト1世の憲法破棄に抗議し,いわゆる「ゲッティンゲン七教授事件」の一人として追放された。

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ダールマン
ダールマン
Dahlmann, Joseph

[生]1861.10.14. コブレンツ
[没]1930.6.23. 東京
ドイツ人イエズス会司祭。インド学者。上智大学創立者の一人。 1908年来日。 14年から東京大学ドイツ文学を講じ,のちその教授となった。上智大学ではドイツ文学のほかにインド哲学を教えた。

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百科事典マイペディアの解説

ダールマン

ドイツの歴史家,自由主義的政治家。キールゲッティンゲン,ボン各大学教授。ゲッティンゲン七教授事件に連座,1848年三月革命1848年革命)の際フランクフルト国民議会で小ドイツ主義的憲法草案を起草。
→関連項目ゲッティンゲン大学

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ダールマン Dahlmann, Joseph

1861-1930 ドイツの神父,哲学者。
1861年10月14日生まれ。明治36年(1903)来日,41年に再来日し上智大の創立につくす。東京帝大でドイツ文学,インド哲学などをおしえた。昭和5年6月22日東京で死去。68歳。コブレンツ出身。著作に「切支丹時代の日本美術に現われた日本と西洋の最も古い関係」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

ダールマン【Friedrich Christoph Dahlmann】

1785‐1860
ドイツの歴史家。キール,ゲッティンゲン,ボンの各大学教授を歴任。〈ゲッティンゲンの七教授〉の一人であり,1848年の革命に際してはフランクフルト国民議会議員としてドイツ統一憲法の起草を指導した。彼は絶対主義と革命をともに〈専制〉として否定し,身分制議会を基礎にして立憲制を発展させたイギリスの国制を良き国制として称揚した。【坂井 栄八郎】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ダールマン
だーるまん
Friedrich Christoph Dahlmann
(1785―1860)

ドイツの歴史家、政治家。ウィスマール市参事会員の家柄に生まれる。ハレでウォルフに学び、またアスペルンの戦いに参加してナポレオン軍と戦った。1829年ゲッティンゲン大学に招聘(しょうへい)され、政治学、歴史学を講ずるかたわらハノーバー下院議員として憲法制定に参与した。1837年新国王が憲法を破棄したとき、これに抗議した「ゲッティンゲン七教授事件」の主導者となり、国外追放に処せられたが、のちボン大学教授に復帰した。主著『デンマーク史』や『イギリス革命史』、『フランス革命史』を通じて自由主義を説き、政治的歴史叙述の創始者となるとともに、もっとも影響力ある政治家の1人となった。三月革命の際にはフランクフルト国民議会で小ドイツ主義の憲法草案を作成し、のちプロイセン上院議員として反動攻勢に抵抗したが敗れ、1850年引退してボン大学に戻った。ワイツと共編の『ドイツ史料集』は今日も古典的価値を有している。[岡崎勝世]
『ハンス・ウルリヒ・ヴェーラー編、ドイツ現代史研究会訳『ドイツの歴史家』第1巻(1982・未来社)』

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