日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイツ」の意味・わかりやすい解説
ワイツ(Theodor Waitz)
わいつ
Theodor Waitz
(1821―1864)
ドイツの心理学者、人類学者。ライプニッツ大学で博士号を取得し、1846年よりマールブルク大学で教鞭(きょうべん)をとる。J・F・ヘルバルトに強い影響を受け、人文科学と自然科学の統合を試み、哲学や解剖学を学びながら新しい心理学を構築しようとした。その主著である『未開民族の人類学』Anthropologie der Naturvölker全6巻(1859~1872)は、未開民族についての当時のすべての資料をもとに書かれ、心理学的人類学の先駆といわれている。本書で、人類はどんな民族でも、基本的には同じ精神的発展段階を経るのであって、ある民族の実際に観察される発展段階は、その環境や歴史的条件によって決定されたものであると主張している。これは、文化程度は絶対的・固定的なもので未開民族は先天的に脳容量が小さく知能が低いという、当時ゴビノーらを中心に支配的であった主張に対して、文明の発展を社会的条件から説明しようとしたものである。そして人類の能力がいかに社会的に条件づけられているかを、このように諸々の民族の資料から具体的に明らかにすることによって、最終的には教育学の意義の確立さえ目ざしたのであった。
[宇田川妙子 2019年1月21日]
ワイツ(Georg Waitz)
わいつ
Georg Waitz
(1813―1886)
ドイツの歴史家。シュレスウィヒのフレンスブルクで商人の家に生まれる。キール大学で法学を修めたのち、ベルリン大学でランケに師事してその高弟となった。1842年キール大学教授となり、48年にはキール選出のフランクフルト国民議会議員として活動したが、49年政界を引退してゲッティンゲン大学教授となり、以後研究、教育に専念して「ゲッティンゲン学派」の創始者となった。ドイツ中世史料集成、いわゆる『モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ』の編集長として活動した。また、主著『ドイツ国制史』(八巻)、ダールマンと共編の『ドイツ史料集』(『ダールマン・ワイツ』ともよばれる)などにより、ドイツ史研究の基礎を築いた。
[岡崎勝世]