コブレンツ(読み)こぶれんつ(英語表記)Koblenz

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コブレンツ」の意味・わかりやすい解説

コブレンツ
こぶれんつ
Koblenz

ドイツ中西部、ラインラント・プファルツ州の都市。人口10万8000(2000)。ライン川にモーゼル川とラーン川が合流する交通上の要地にあり、ローマ時代から軍事拠点であった。19世紀以来のプロイセン要塞(ようさい)都市の伝統を引き継ぎ、NATO(ナトー)(北大西洋条約機構)軍やドイツ国防軍の大規模な駐屯地となっており、連邦国防技術研究所や国境警備隊司令部の所在地でもある。州北部の中心都市としての諸機能のほか、ライン川、モーゼル川沿岸の観光基地としてもにぎわっている。ラインワイン、モーゼルワインの取引中心地で、車両部品、洗剤、家具、ピアノ、織物などの工業も行われる。

[朝野洋一]

歴史

ローマ皇帝ティベリウスの時代にライン川とモーゼル川の合流点に建設された城塞が、コブレンツ起源である。名称は、合流点を意味するラテン名コンフルエンテスConfluentesに由来する。5世紀以降、しばしばフランク国王の居住地となり、それに伴って都市的生活も発展をみたが、航行可能な二つの大河の合流点に位置し、マインツケルンを結ぶ陸上路にも沿っているという地理的好条件に恵まれ、とりわけモーゼル川沿岸産のぶどう酒の集散地として重要な役割を果たした。市域はもともと帝国(神聖ローマ)領であったが、1018年、皇帝ハインリヒ2世(在位1002~24)がこれをトリール大司教に寄進した結果、司教都市となり、15世紀後半以降は大司教の居館が置かれた。1254年のライン都市同盟の結成に際し、コブレンツもこれに参加した。フランス革命当時、フランスからの亡命貴族がこの町に集まり、反革命的な企ての策源地となった。ルイ16世の弟のプロバンス伯(後のルイ18世)とアルトア伯(後のシャルル10世)が共同して、1792年「コブレンツの宣言」を発したのもその一例である。ナポレオン戦争によってフランス軍に占領され、一時ライン・モーゼル州の首都となったことがある。第二次世界大戦に際しては、連合軍の空襲により徹底的な被害を受けた。

[平城照介]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コブレンツ」の意味・わかりやすい解説

コブレンツ
Koblenz

ドイツ西部,ラインラントファルツ州の都市。ライン川とモーゼル川の合流点に位置し,ドイツ最古の町の一つで,前9年頃にはすでにローマ人に「合流点の軍衛地 (カステルム・アド・コンフルエンテス) 」として知られ,町の名も「コンフルエンテス」に由来する。6世紀にフランク王の居地となり,以後軍事,交通上の要地として発達。中世には商業の中心地ともなった。 1789年から 1814年にかけて革命などによりフランスから亡命者が流入,その影響で市街は趣を変え,「小パリ」といわれた。 15年以降プロシア領プロウィンキア・ラインの首都。第2次世界大戦で市街の約9割が戦災を受け,現在では近代的な都市に変った。ラインおよびモーゼルワインの取引,家具製造,繊維工業が行われる。モーゼル河畔に石油貯蔵所があり,中部ラインの石油基地でもある。景勝地に富み,観光都市として有名で,ドイチェスエック (ドイツの角の意。ライン,モーゼル両川合流点にある岬) ,聖カストル聖堂 (836) ,選帝侯の宮殿 (1780~86) ,ライン川対岸のエーレンブライトシュタイン (高さ 118mの岩壁上に建つ砦) などの史跡がある。人口 10万6445(2010)。

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