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チャコ戦争 チャコせんそうChaco War

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チャコ戦争
チャコせんそう
Chaco War

パラグアイ川西方チャコ地方の帰属をめぐって 1932~35年ボリビアパラグアイの間で行われた戦争。チャコ地方の帰属問題は 19世紀の中頃から取上げられはじめたが,同地方に石油が発見されると国際石油資本もからんでその帰属問題が深刻化し,28~30年には武力衝突へと発展した。国際連盟が介入したが成功せず,32年全面戦争へと突入した。 33年5月パラグアイは正式に宣戦を布告。3年にわたる戦争で両国の死傷者は 35万人にのぼり,両国経済は莫大な戦債を負って疲弊した。 35年米州6ヵ国による国際調停が成立して休戦,38年チャコ地方の大部分をパラグアイに帰属させることを決定して戦争は終結した。

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百科事典マイペディアの解説

チャコ戦争【チャコせんそう】

南米,パラグアイ川西方のチャコChaco地方の帰属をめぐる,ボリビア・パラグアイ間の戦争。国境紛争は19世紀前半の独立期からあり,太平洋戦争(南米)に敗れたボリビアが大西洋への出口を求めて進出。
→関連項目グラン・チャコストロエスネルパラグアイボリビア

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世界大百科事典 第2版の解説

チャコせんそう【チャコ戦争】

ボリビアとパラグアイとの間に勃発したチャコ地方における国境紛争。19世紀前半の独立期以来長期化していたチャコ地方の国境問題は,太平洋戦争に敗れて太平洋側の領土を失ったボリビアが大西洋への出口を求めて同地方へ進出を開始し,さらに,同地方で石油鉱脈が発見されたことにより戦争へと拡大していった。戦闘領域はピルコマヨ川以北,パラグアイ川以西の26万km2に及び,戦闘年数,死者の数においてラテン・アメリカ最大規模の戦争の一つに数えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チャコ戦争
ちゃこせんそう

1932年から35年にかけて、南アメリカ中央部のチャコChaco平原の領有をめぐってボリビアとパラグアイ間で行われた戦争。19世紀初頭の独立以来、チャコ地域は両国間の係争地域となっていたが、太平洋戦争(1879~84)に敗れ太平洋沿岸を喪失したボリビアが、チャコ平原を経由した大西洋への出口を求め始めたことから緊張が高まり、1907年に暫定的な国境線が敷かれた。その後1920年代にこの地方の油田開発をめぐる対立が加味されたために紛争が激化し、32年6月本格的な戦争に突入した。緒戦ではボリビアが優位だったが、33年後半からパラグアイが攻勢に転じ、35年6月アルゼンチンなど南アメリカ六か国の調停を受諾して休戦した。両軍の死者は10万に達したともいわれる。38年の平和条約でパラグアイは1907年の国境線よりも約5万平方キロメートル上回る領土を獲得した。戦後両国では戦争の遂行をめぐって軍部の不満が高まり、36年に両国で軍事クーデターが起こった。調停に成功したアルゼンチンの外相サーベドラ・ラマスは36年ノーベル平和賞を受賞した。[松下 洋]

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