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デビスカップ デビスカップ Davis Cup

翻訳|Davis Cup

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

デビスカップ
デビスカップ
Davis Cup

テニスの男子国別・地域別対抗戦。 1900年アメリカ合衆国テニス選手ドワイト・F.デービスが,アメリカイギリス両国間の国際テニス試合開催にあたり,純銀製のカップを寄贈したことに始まる。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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知恵蔵2015の解説

デビスカップ

男子の国別対抗戦。1900年、ハーバード大学の学生だったドワイト・デービスがトロフィーを寄贈し、ボストンのロッグウッド・クラブで英米対抗戦として始まった。第1次世界大戦までにベルギーフランスなど6カ国が加わって国際対抗戦に発展。現在は国際テニス連盟(ITF)が主催しワールドグループ16カ国による4回戦のトーナメント方式で覇を競う。1回戦の敗者8カ国が、下部ゾーンの勝者との入れ替え戦へ。世界を3ゾーンに分けそれぞれ4グループを結成して予選を展開している。いずれも対戦カードごとの交互開催が原則で、シングルス2試合―ダブルス1試合―シングルス2試合の日程で行われ先に3勝した国の勝ち。これまで米国が最多の通算優勝31回、次いで豪州の28回。2005年はクロアチアが初優勝を飾った。05年の参加は134カ国。日本はアジアオセアニア・ゾーンI。監督は竹内映二。07年はアメリカが12年ぶり31回目の優勝を飾った。07年の参加は131カ国。

(武田薫 スポーツライター / 2008年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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デジタル大辞泉の解説

デビス‐カップ(Davis Cup)

テニスの世界選手権大会(デビスカップマッチ)の優勝国に贈られる純銀製の優勝杯。1899年米国のD=F=デービスが寄贈。デ杯。
デビスカップマッチ」の略。

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大辞林 第三版の解説

デビスカップ【Davis Cup】

デビス-カップ戦の優勝国に贈られる純銀製の優勝杯。1899年、アメリカの富豪 D = F =デービスが寄贈したもの。デ杯。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

知恵蔵miniの解説

デビスカップ

国際テニス連盟(ITF)が主催する男子テニスの国別対抗戦。日本では「デ杯」とも略される。1900年、米国の学生テニス選手ドワイト・デビスらの提案により、米英対抗戦として開始された。04年に国際競技会となり、46年より現名称で毎年開催されている。出場国はレベルによってグループ分けされ、世界上位16カ国による「ワールドグループ」は、1年をかけて4回戦のトーナメント方式でカップを争う。下位の国々はアジア・オセアニア、ヨーロッパアフリカ南北アメリカの三つの「ゾーングループ」に分かれて戦い、勝ち上がった8カ国は、ワールドグループの1回戦敗退8カ国と翌年のワールドグループ出場権をかけたプレーオフを行う。ワールドグループ、ゾーングループいずれも出場選手は各国4人まで。試合は対戦国のどちらかの国で行われるホーム・アンド・アウェイ方式で、一つの回戦ごとに金・土・日曜日の週末を使って計5試合が行われ、先に3勝した国の勝利となる。2014年までの最多優勝国は米国で、日本の最高成績は初出場となった1921年の準優勝。日本は現行のワールドグループ制が開始された81年以降、2014年までに4回ワールドグループに進出しており、15年のワールドグループ残留が決定している。

(2015-2-26)

出典|(株)朝日新聞出版発行
(C)Asahi Shimbun Pubications Inc
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

デビスカップ
でびすかっぷ
Davis Cup match

内部の直径45センチメートル、高さ30センチメートルほどの純銀製のカップを争う男子テニス国・地域別対抗戦。1900年ハーバード大学の学生デビスDwight Davisらの提案を受けたアメリカテニス協会が、米英対抗戦として始めたのが起こりで、その際にデビスらが寄贈したカップが「デビスカップ」である。優勝チームにはレプリカが贈られる。この最初の試合は現在と同じく4シングルス、1ダブルスの対抗チームマッチで、1900年8月8日から3日間、ボストン郊外のロングウッドテニスクラブで行われ、3対0でアメリカが勝った。1904年、ベルギー、オーストリア、フランスが加わり、続いてその翌年にはオーストラリアニュージーランドの混成チームによるオーストラレーシアが参加、13年国際テニス連盟が結成されるに至って、正式に国際テニス選手権と命名され、連盟自体の主催となった。その後参加国の増加に伴い、1923年にアメリカ・ヨーロッパゾーンができ、55年にはイースタンゾーンが設定された。さらにヨーロッパはA・B二つのゾーンに分割された。
 この競技は当初、各ゾーンの優勝国がインターゾーン決勝を争い、その優勝国が前年度のカップ保持国に挑戦するチャレンジ・ラウンド制をとっていたが、1972年からは、カップ保持国も自己の属するゾーンから出場することになった。さらに1981年に方式が大幅に変わり、上位16か国によるワールドグループ・トーナメントで優勝を争うことになり、各ゾーンは次年度のための予選トーナメントになった。なお、デビスカップはアマチュアリズムを堅持していたが、テニス界の趨勢(すうせい)に順応し、1971年に至りオープン化に踏み切り、ふたたび世界のトッププレーヤーが参加できるようになり、81年からは賞金もつくことになった。1989年には、第5セットを除くすべてのセットにタイブレークが採用された。1997年には各ゾーン(地域)にグループが設けられ、デビスカップに将来出場したいと考えていた国々に門戸が開かれた。
 過去の優勝回数は、アメリカが最も多く31回、ついでオーストラリア27回、イギリス9回、フランス9回、スウェーデン7回、ドイツ2回、南アフリカ、イタリア、チェコスロバキア、スペイン、ロシア各1回となっている(2002年現在)。
 日本のデビスカップへの初参加は1921年(大正10)で、熊谷一弥(くまがいいちや)、清水善造、柏尾誠一郎の3選手を派遣し、インド、オーストラリアを破り、デビスカップ保持国のアメリカへの挑戦権を得た。結果は0対5で敗れはしたが、日本のテニスが世界から注目されることになった。しかし以後これに匹敵する好成績はいまだあげるに至っていない。ワールドグループ制になってから、1981年、85年の二度、ワールドグループに出場している。[三町正治・清水伸一]

その後の動き

2008年現在、過去の優勝回数は、アメリカ32回、オーストラリア28回、イギリス、フランス9回、スウェーデン7回、ドイツ(西ドイツ時代を含む)3回、スペイン、ロシア2回、南アフリカ、イタリア、チェコスロバキア、クロアチア1回となっている。[編集部]

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