イギリスの中間市場向け日刊タブロイド紙。1900年、雑誌で成功していたシリル・アーサー・ピアソンCyril Arthur Pearson(1866―1921)によって創刊された。当時、イギリスの新聞は一面を広告ページにしていたが、同紙は初めてニュースだけで埋めるアメリカ方式を取り入れた。編集方針は不偏不党だが、イギリス帝国主義擁護の立場にたち、海外報道に力を注いだ。しかし、競合紙に押されて伸び悩み、1916年、ウィリアム・マクスウェル・エイトキンWilliam Maxwell Aitken(後のビーバーブルック卿(きょう))が支配権を握った。その後、社勢は伸張し、1918年に日曜紙『サンデー・エクスプレス』を創刊、1920年代にはマンチェスター、グラスゴーにも進出し全国紙となった。レイアウトの天才と称されるアーサー・クリスチャンセンArthur Christiansenが編集長を務めた1930年代から1950年代にかけて部数は大きく伸び、1948年まで全国紙で部数トップの座を維持し続け、1950年の時点でも400万部を超えていた。時にセンセーショナリズムと批判されるが、低俗ではなく、硬いニュースもわかりやすく語りかける姿勢が受け入れられた。しかし、その後部数減が続き、直接の発行元のエクスプレス・ニューズペーパーズ社は、1977年に建築業者ビクター・マシューズに買収され、その後1985年にはユナイテッド・ビジネス・メディア社に、2000年には、ノーザン・アンド・シェル社に買収されるなど、経営主体は転々とかわった。政治的には保守派の立場が鮮明である。発行部数は2000年段階で105万部だったのが、2011年には64万部と大幅な減少となっている。
[橋本 直]
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…1910年イギリスに渡って下院議員となり,同じカナダ生れのA.B.ローの私設秘書として政界進出を果たす。保守党議員として活動するかたわら,《デーリー・エクスプレス》(1916),《イブニング・スタンダード》(1923)を買収,また《サンデー・エクスプレス》(1921)を創刊するなど新聞経営に手を染める。とくに30~40年代の有力な大衆紙であり,自分の新聞でもある《デーリー・エクスプレス》を政治的武器に使い,議会の内外で大英帝国の紐帯強化の実現をめざした。…
※「デーリーエクスプレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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