日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
トゥガン・バラノフスキー
とぅがんばらのふすきー
Михаил Иванович Туган‐Барановский/Mihail Ivanovich Tugan-Baranovskiy
(1865―1919)
ロシアの経済学者。ウクライナに生まれ、ハリコフ(ハルキウ)大学の物理・数学部と法学部で学んだ。当初は「合法的マルクス主義」の主張者であったが、その後、マルクス主義を批判するようになり、1905年の革命ののちにカデット(立憲民主党)に入党した。また1917年の二月革命後、反革命派の立場にたってウクライナ中央ラダ政府の蔵相を務めている。しかしまもなく政治活動をやめ、キエフ(キーウ)大学やウクライナ科学アカデミーで教職に従事した。彼の業績のなかでは恐慌史や恐慌理論に関するものが有名であるが、とくに恐慌理論について付言すると、生産部門の不比例的発展に恐慌の原因をみいだそうとしている点が彼の主張の特徴になっている。彼はまた、オーストリア学派の限界効用理論の導入に努めたが、このようなことは彼の反マルクス主義的立場を反映しているといえる。
[笹原昭五]
『救仁郷繁訳『英国恐慌史論』(1972・ぺりかん社)』▽『矢部周訳述『社会主義の新解釈』(1926・新潮社)』