改訂新版 世界大百科事典 「トゥールーン朝」の意味・わかりやすい解説
トゥールーン朝 (トゥールーンちょう)
Ṭūlūn
アフマド・ブン・トゥールーンの創始したエジプト・シリアにまたがる王朝。868-905年。アフマド・ブン・トゥールーン(在位868-884)はトルコ系軍人で,868年,アッバース朝によってエジプトに派遣されそこで実権を握り,アミールの称号を得,アッバース朝の宗主権は認めながらも事実上独立した王朝を建設した。トゥールーン朝の基礎は,トルコ系,黒人,ギリシア人などの奴隷軍人からなる強力な軍隊と,豊かなエジプトの経済であった。とくに,国庫収入はバグダードに吸い上げられることがなくなり,いっそう増大し,現存するカイロ最古のモスク建築であるイブン・トゥールーン・モスクMasjid Ibn Ṭūlūnを建設,シリアにも勢力を伸ばしたが,安定的支配を確立することはできなかった。2代目のフマーラワイフKhumārawayh(在位884-896)時代には,貢納と引換えにシリアからアナトリア東部にわたる地域の支配権もアッバース朝カリフに認めさせ,最盛期を迎えたが,浪費による財政の窮乏とカルマト派の出現による国内の混乱のために,バグダードのアッバース朝権力が再びその支配を回復した。
執筆者:湯川 武
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報