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トプカプ宮殿 トプカプきゅうでん Topkapı Sarayı

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

トプカプ宮殿
トプカプきゅうでん
Topkapı Sarayı

オスマン帝国時代,首都イスタンブールにおいて,1478年から 1892年まで,スルタンが居住して政治を司った宮殿の名。トプカプの名は,この宮殿のイスタンブール海峡に面した門 (カプ) に巨大な大砲 (トプ) が据えられたことに由来する。

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デジタル大辞泉の解説

トプカプ‐きゅうでん【トプカプ宮殿】

Topkapi Sarayi》トルコのイスタンブールにある宮殿。オスマン帝国メフメット2世が15世紀後半に造営。現在は国立博物館。1985年、「イスタンブール歴史地域」の一部として世界遺産文化遺産)に登録された。トプカプとは大砲の門の意。

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百科事典マイペディアの解説

トプカプ宮殿【トプカプきゅうでん】

トプカプのトプは〈大砲〉,カピは〈門〉の意。15世紀メフメト2世がコンスタンティノープル(イスタンブール)を大砲で征服したことにちなみ造営させたオスマン帝国の宮殿。
→関連項目イスラム文化

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世界遺産情報の解説

トプカプ宮殿

トルコ、イスタンブールにあるトプカプ宮殿は15世紀から19世紀にかけてトルコオスマン帝国の中心として、繁栄を極めた宮殿です。様々な建物が迷路のように複雑につながった豪奢な宮殿内では、スルタンとその従者たちが生活を共にし、統治を行ってきました。スルタンの妻や子供が暮らしたというハーレムなども残されており、往時の華やぎを今に伝えています。現在は展示館や宝物館などになっている部屋も多く、中国陶磁器や中世の貴重な細密画のコレクションなどを見学することもできます。

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世界大百科事典 第2版の解説

トプカプきゅうでん【トプカプ宮殿 Topkapı Sarayı】

コンスタンティノープルの征服者であるオスマン帝国のメフメト2世征服王によって,1454年から15世紀後半にかけてイスタンブールの要衝の地に創設された木造の宮殿。1574年,1665年,1862年の災害後に再建されたが,19世紀にボスポラス海峡沿いにドルマバフチェ宮殿(1853)などのヨーロッパ風の宮殿が建てられるまで,歴代のスルタンたちにより増改築が繰り返された。したがって,様式は混交し統一性に欠ける。

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大辞林 第三版の解説

トプカプきゅうでん【トプカプ宮殿】

オスマン帝国のコンスタンチノープル(現イスタンブール)にメフメト二世が建てた宮殿。一四、五世紀に建造。歴代スルタンにより増改築が繰り返され、様式が混交。1925年以降は博物館となっている。

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世界の観光地名がわかる事典の解説

トプカプきゅうでん【トプカプ宮殿】

トルコ最大の都市イスタンブール、ボスポラス海峡と金角湾(きんかくわん)がマルマラ海と出会うところにある宮殿で、かつてのオスマントルコ帝国の中心。敷地は70万m2と広大で、400年にわたりスルタンの家族とその家来や使用人たちが暮らしていた。敷地内には樹木の茂る庭園、調理場、ハーレムの女たちの部屋、聖マントルの館などが散在している。現在はオスマントルコ帝国時代の代表的な建築物の一つとして保存・管理され、6000点の常設コレクションを持つ、世界有数の宮殿博物館となっている。

出典|講談社
(C)Kodansha.
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

トプカプ宮殿
とぷかぷきゅうでん
Topikapi Sarayi

イスタンブール旧市街の東端、三方を海に囲まれた高台にある宮殿。古代にはアクロポリスの地であった。15世紀後半にオスマン帝国のメフメト2世が建設を始め、歴代のスルタンが増改築を加えて、多数の建物を擁する広大な宮殿になったが、1863年の大火でその多くが焼失した。トプカプの名は正門前にあった2門の巨砲に由来する。
 現在は博物館として公開され、宝物庫には大きな宝石を無数にちりばめた豪華な家具調度、宝飾品、衣装、美術史的に貴重な写本や細密画などがある。もとの調理場には中国磁器の大器、逸品が多数展示され、有田焼、ガラス器などもある。現存している建物では、庭園内のバグダット・キョシキュがもっとも華麗である。なお、この宮殿のあるイスタンブール旧市街は1985年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[紅山雪夫]
『トプカプ宮殿博物館全集刊行会編・刊『トプカプ宮殿博物館』全5冊(1980)』

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世界大百科事典内のトプカプ宮殿の言及

【イスタンブール】より

…コンスタンティノポリスの英語名コンスタンティノープルConstantinopleも旧称として広く使われている。
【古代ギリシア・ローマ時代】
 ボスポラス海峡のヨーロッパ側南端部,北を金角湾,南をマルマラ海で挟まれた半島のさき,現代のトプカプ宮殿の地点に,前659年(カエサレアのエウセビオス伝承)ないし前668年(ヘロドトス伝承)に,メガラ人により,ギリシア人植民市として建設されたといわれる。アケメネス朝のダレイオス1世のスキタイ遠征から前478年までペルシアの,続いてアテナイの支配をうけた後,アテナイとスパルタの対立にまきこまれ,そのいずれかの勢力に属することになった。…

【宮廷】より

… オスマン朝の宮廷制度は,15世紀以降に本格的に発展した。とりわけ15世紀後半,メフメト2世によるコンスタンティノープル征服の後,新都イスタンブールに,従来の首都ブルサとエディルネにおける宮殿に加えて,〈旧宮殿〉,〈新宮殿〉(別名トプカプ宮殿)が新たに造営され,制度的にも著しい発展を遂げた。オスマン朝では,宮廷はペルシア語からの借用語で〈サライ〉と呼ばれ,君主の公務の場としての外廷と,君主の私的生活の場としての内廷と,宮廷の女性の生活の場としてのハレム(後宮)とに分かれていた。…

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