ドイツの歴史家、政治評論家。ボン大学、ライプツィヒ大学で学び、1863年若くしてフライブルク大学教授になる。多くの評論でプロイセンを中心とするドイツ国民国家建設の必要を説いていたが、1866年プロイセン・オーストリア戦争が始まるとベルリンに移り、ビスマルクに協力。以後キール大学、ハイデルベルク大学を経て、1874年からベルリン大学教授に就任。同時に帝国議会議員(1871~1884、初め国民自由党、のちには無党派)としても活動、その国家主義的傾向の強い講義や政治評論は当時の言論界に大きな影響を及ぼし、ドイツ歴史学の保守的潮流を代表した。主著に『19世紀ドイツ史』(5巻、1879~1894、未完)がある。
[木谷 勤]
『ハンス・ウルリヒ・ヴェーラー編、ドイツ現代史研究会訳『ドイツの歴史家』第2巻(1983・未来社)』
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ドイツの歴史家。政治的情熱をもちながらも,聴覚障害のため政治行動に適さず,学問に向かう。フライブルク(1863),キール(1866),ハイデルベルク(1867)の各大学を経て,1874年ベルリン大学歴史学教授。その間,1866-89年《プロイセン年報》の編集者,71-84年帝国議会議員,86年ランケの死後プロイセン国修史官となる。プロイセン主導の小ドイツ主義を代表する政治史家である。主著に,《19世紀ドイツ史》5巻(1879-94)がある。
執筆者:岸田 達也
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1834~96
ドイツの歴史家,政論家。自由主義から出発したが,プロイセン指導下のドイツ統一を主張し,1864年ビスマルク支持に転じた。国民自由党に属して普通選挙,社会主義,ユダヤ人を強く排撃し,排外的な愛国主義を示した。主著は『19世紀ドイツ史』(95年)。
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