トレーズ(読み)とれーず(その他表記)Maurice Thorez

デジタル大辞泉 「トレーズ」の意味・読み・例文・類語

トレーズ(Maurice Thorez)

[1900~1964]フランス政治家。フランス共産党書記長人民戦線の結成に尽力。第二次大戦中はソ連亡命、帰国後、副首相兼国務相に就任。自伝人民の子」。

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精選版 日本国語大辞典 「トレーズ」の意味・読み・例文・類語

トレーズ

  1. ( Maurice Thorez モーリス━ ) フランスの政治家。フランス共産党指導者。炭坑労働者の出身。一九一九年社会党に入党、党の分裂後フランス共産党に加わり、三〇年書記長となる。人民戦線の結成に尽力。(一九〇〇‐六四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トレーズ」の意味・わかりやすい解説

トレーズ
とれーず
Maurice Thorez
(1900―1964)

フランスの政治家。共産党指導者。北フランスのパ・ド・カレー県に炭坑夫の子として生まれる。若くして共産党に参加し、同党の内紛にも助けられて1930年には事実上の書記長(正式には1936年から)に就任した。1932年以来代議士でもあった。社会民主主義が当面の主要敵であるとの当時のコミンテルンの方針に忠実であった彼は、1934年、社共統一戦線を主張したドリオを除名した。その直後、コミンテルンの戦術変更を受け入れ、社会党に反ファシズム統一戦線を呼びかけたばかりか、同年秋には急進社会党も含む「パンと自由と平和の人民戦線」を提唱して結局これを実現した。1936年の総選挙ではラジオで「フランス国民の団結」を呼びかけ、共産党の大躍進の原動力となった。こうして同年成立した人民戦線内閣に対し共産党は入閣を拒んだが、同時におこった未曽有(みぞう)の工場占拠ストライキに対しては「すべてが可能ではない」としてこれを鎮静させた。1939年の独ソ不可侵条約ののちコミンテルンが再度方針を変更すると、これに従って第二次世界大戦の初期にフランス軍を脱走し、終戦までモスクワにとどまった。フランス解放後の1944年に帰国した彼は、革命を期待する党員にドゴール臨時政府への協力を呼びかけ、自ら1945年11月第二次ドゴール内閣に国務相として入閣した。翌年のドゴール退陣後もグーアン、ビドーラマディエの諸内閣の副首相を務め、冷戦の進展により1947年5月ようやく下野した。1964年5月、ワルデック・ロシェに書記長の地位を譲り、同年7月ソ連に病気治療に赴く途中、ソ連船上で急死した。1937年に初版を出しその後再三内容を改めた自伝『人民の子』のほか、多くの報告、演説を集めた著作集がある。

[平瀬徹也]

『北原道彦訳『人民の子』(1979・大月書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「トレーズ」の意味・わかりやすい解説

トレーズ
Maurice Thorez
生没年:1900-64

フランス共産党の指導者。パ・ド・カレー県の炭鉱夫の子で,自身も炭鉱夫出身であった。第1次世界大戦後の1919年にフランス社会党に入党,翌年同党が分裂し共産党が成立するとともにこれに参加した。以来しだいに党内で地位を高めてゆき,30年党書記長となり,とくに人民戦線における共産党の指導者として国際的にも名を高めた。第2次世界大戦期,工兵として動員されたが脱走し,43年ひそかにモスクワに赴いた。フランス解放後の44年12月帰国し,当時レジスタンスを通じて勢力を強大化していた共産党の指導にあたった。第四共和政の発足期において人民戦線の延長として民主主義建設のための統一戦線政策をとり,45年11月第2次ド・ゴール内閣に副首相兼国務相として入閣,以後諸内閣に閣僚として参与するが,47年5月下野した。冷戦期からスターリン批判後まで一貫して共産党の指導者の地位を保った。64年その地位を退き,7月ヤルタに向かう船上で急死した。著書に《人民の子》(1937)などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トレーズ」の意味・わかりやすい解説

トレーズ
Thorez, Maurice

[生]1900.4.28. ノワイエルゴドー
[没]1964.7.11. 黒海
フランス共産党の指導者。 12歳のとき鉱山労働者となり,1919年社会党に加わり,20年共産党に移った。以後急速に指導的地位に上り,30年党書記長,32年下院議員,34年人民戦線結成に助力。 36年下院に再選。第2次世界大戦中地下活動に入った。その後ソ連に亡命,欠席裁判によって6年の懲役刑が下され,市民権が奪われた。 44年帰国,45年市民権は回復された。同年下院議員に3選,第四共和政のもとで4選。 45年国務相,46~47年副首相兼外相代理をつとめた。 56年のスターリン批判に対しては I.スターリンの擁護にまわった。ヤルタに向けて航海中,ソ連船上で死亡。主著『人民の子』 Fils du peuple (1937) ,"Une politique de grandeur française" (49) 。

トレーズ
Torez

1964年までチスチャコボ Chistyakovo。ウクライナ東部,ドネツク州の都市。州都ドネツクの東約 60kmにある。ドンバス (ドネツ炭田) の採炭中心地の一つであるが,電気機械,食品などの工業もある。現市名はフランス共産党の指導者 M.トレーズを記念したもの。人口8万 8100 (1991推計) 。

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百科事典マイペディア 「トレーズ」の意味・わかりやすい解説

トレーズ

フランス共産党の指導者。炭鉱夫出身。1930年党書記長として実権を握り,1936年以後引き続き書記長。人民戦線結成を成功させ,下院議員ともなり,30余年間党を指導。第2次大戦中はモスクワに亡命。1944年フランス解放後帰国。ド・ゴール内閣で副首相兼国務相。その後も長期にわたり共産党を指導。主著《人民の子》(1937年)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「トレーズ」の解説

トレーズ
Maurice Thorez

1900~64

フランスの政治家。炭坑夫の子に生まれ炭坑夫となったが,1919年社会党に入党。社共分裂に際し共産党に参加し,30年書記長に就任,以来30年間以上,その死まで同党の最高指導者の地位を占めた。その間,人民戦線戦術を実践し同党の勢力を飛躍的に拡大させた功績は認められるが,終始スターリン主義に忠実であった。下院議員のほか,45~47年には連立内閣の副首相として入閣した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「トレーズ」の解説

トレーズ
Maurice Thorez

1900〜64
フランスの政治家
1920年共産党の創立に参加。1930年党書記長となり,36年人民戦線の結成とその綱領の実現に努力。第二次世界大戦で党の非合法化と同時に地下活動にはいり,レジスタンス運動を指導。1943年コミンテルン解散大会のためにソ連を訪れた。フランス解放後,帰国して一時入閣。1947年辞職して以来,マーシャル−プランとド=ゴールの独裁に反対して精力的な活動を行った。著書『人民の子』。

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367日誕生日大事典 「トレーズ」の解説

トレーズ

生年月日:1900年4月28日
フランス共産党の指導者
1964年没

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