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ナウル ナウル Nauru

翻訳|Nauru

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ナウル
ナウル
Nauru

正式名称 ナウル共和国 Republic of Nauruナウル語では Naoreo。面積 21.2km2。人口 9300(2011推計)。首都 なし。西部太平洋,南緯0°32′,東経 166°55′に位置するナウル島からなる国。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ナウル

赤道からわずかに南の太平洋に位置する共和国。世界で3番目に小さな国とされる。第2次世界大戦中の日本軍による占領や、戦後の国連信託統治地域時代を経て1968年、独立した。海鳥のふんの堆積(たいせき)が変化したと言われるリン鉱石の輸出で栄えたが、今世紀初めまでにほぼ枯渇。魚介類以外の食料と生活物資の大半を輸入に頼り、経済は破綻(はたん)状態にある。

(2015-12-20 朝日新聞 朝刊 東京四域・1地方)

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デジタル大辞泉の解説

ナウル(Nauru)

南太平洋の共和国。首都ヤレン。赤道の南にあり、サンゴ礁のナウル島を占める。第二次大戦後、英国・オーストラリアニュージーランド信託統治領となり、1968年に独立。燐(りん)鉱石を産し輸出していたが枯渇しつつある。人口1万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

ナウル

◎正式名称−ナウル共和国Republic of Nauru。◎面積−21km2。◎人口−1万人(2011)。◎首都−ヤレンYaren。◎住民−ナウル人5400人,他の太平洋諸島人2400人,中国人800人など。
→関連項目ミクロネシア

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世界大百科事典 第2版の解説

ナウル【Nauru】

正式名称=ナウル共和国Republic of Nauru面積=21km2人口(1996)=1万1000人首都=ヤレンYaren(日本との時差=+3時間)主要言語=ナウル語,英語通貨=オーストラリア・ドルAustralian Dollar赤道の南約50kmの南緯0゜31′,東経166゜56′の太平洋上にある共和国。共和国としては面積(伊豆大島の1/4足らず),人口ともに世界最小である。
[自然]
 ナウル島は最高点でも65mにすぎない,平たんな隆起サンゴ礁の島である。

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大辞林 第三版の解説

ナウル【Nauru】

中部太平洋、赤道直下のナウル島を領土とする共和国。イギリス・オーストラリア・ニュージーランドの信託統治領から1968年独立。住民はミクロネシア人が多い。首都ヤレン。面積20平方キロメートル。人口1万( 2003)。正称、ナウル共和国。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ナウル
なうる
Republic of Nauru英語
Republik Naoeroナウル語

赤道の南約40キロメートルに位置する島国。正称ナウル共和国Republic of Nauru。1968年1月31日にオーストラリア、ニュージーランド、イギリスの施政下にあった信託統治領から独立。人口は1万0084(2011国勢調査)。東京都の新島(にいじま)より一回り小さい島が唯一の国土で、その面積は21平方キロメートル。バチカン、モナコに次ぐ世界で三番目の小独立国である。かつては燐(りん)鉱石収入で世界有数の富裕国家であったが、21世紀に入って資源が枯渇してからは一気に経済が破綻(はたん)し、苦しい国家運営が続いている。[小林 泉]

自然・地誌

太平洋の島嶼(とうしょ)国家はいずれも複数島からなるが、ナウルは周囲19キロメートルのソラマメ状の隆起サンゴ礁島一つが全領土である。また、島の周囲にはサンゴ礁の形成がみられず、この地域では珍しく海がいきなり深海に通じている。そのため島嶼民でありながら、リーフ(岩礁)内での魚貝類の生産活動といった漁労文化の発展はみられなかった。島の周辺部は平坦地で、中央部は海抜60メートルほどの台地である。この高台は、海鳥の糞(ふん)や死骸(しがい)が堆積し数万年単位の長期間を経て化石化した燐鉱石でなっており、この資源の存在が近代以降のナウルの人々の運命を翻弄(ほんろう)してきた。
 熱帯海洋性気候で平均の年間降水量は2000ミリメートルほどであるが、毎年一定ではなく、島内に水源がないために干魃(かんばつ)にみまわれることも少なくない。
 考古学や言語学の詳細研究はなされていないが、民族的、言語的特徴から住民はミクロネシアに属しており、紀元前2000年ごろに西方からカヌーで移動してきたと推定されている。[小林 泉]

歴史

1798年、イギリスの捕鯨船ハンター号がナウル島を「発見」したとされる。1888年にはドイツが保護領化し、コプラ(ココヤシ果実の胚乳を乾燥させたもの)生産に力を注いだ。1899年にイギリス人アルバート・エリスAlbert Fuller Ellis(1869―1951)が、ナウルの土壌がきわめて純度の高い燐鉱石であることを発見し、1907年から採掘権をもつドイツのヤルート会社に権利金を支払って、採掘を開始した。鉱山の採掘労働者は現地人ではなく、イギリス人が連れてきた中国人であった。第一次世界大戦でドイツが植民地領土を失った後の1920年、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスの3国を施政国とする国際連盟の委任統治領となったが、日本軍が1942年に軍事拠点と燐鉱石を求めて占領。太平洋戦争での日本の敗戦により、1947年にはオーストラリア、ニュージーランド、イギリスの3国を施政国とする国連(国際連合)信託統治下に置かれ、1968年1月31日に独立した。
 独立後に燐鉱石事業を国営化した政府は、莫大(ばくだい)な収入をもとに国民の無税化、医療・教育費の無料化、さらには結婚した成人男子に無償で住宅を提供するなどの政策を実施。これにより1970年から1980年代にかけては世界でも有数な富裕国として知られた。一方、20世紀末には燐鉱石の資源枯渇が予想されていたため、余剰資金を積極的に事業に投資して将来に備えた。それは国営の航空・海運会社の運営であり、海外不動産や株式の保有であった。しかし、事業家の不在、乱脈経営、指導者の不正蓄財等々の理由で投資事業はことごとく失敗し、海外資産のすべてを消失した。21世紀に入り、燐鉱石の枯渇とともに政府財政が破綻し、これまでの富裕国から一気に国際的援助の必要な国へと転落してしまった。[小林 泉]

政治

政体は大統領を国家元首とする共和制であるが、独立後もイギリス連邦に所属している。議会は一院制で3年任期の議員数18で構成され、議員の互選により大統領を決める。行政は議院内閣制で、大統領が議員のなかから指名する4、5名の大臣により組閣される。
 独立以来21年間、大統領に就いていたハマー・デ・ロバートHammer DeRoburt(1922―1992)は、国民の信頼も厚く国内政治は安定していた。しかし、相次ぐ投資事業の失敗がしだいに明らかとなり、1989年に経済改革を掲げたバーナード・ドイヨゴBernard Dowiyogo(1946―2003)に大統領の座を奪われた。これで経済の健全化が進むかにみえたが改革は思うに任せず、その後はめまぐるしい政権交代が続いて政治は混迷、経済は破綻の道を突き進んだ。2007年、重量挙げオリンピック選手として国民的英雄であったマーカス・スティーブンMarcus Stephen(1969― )が大統領に就任後は、不安定ながらも政権を維持してきた。2011年11月にスプレント・アルモゴ・ダブウィドSprent Arumogo Dabwidoが大統領に就任した。2013年には総選挙が行われ、バロン・ディバベシ・ワンガBaron Divavesi Waqa(1959― )が大統領に選出された。
 かつて近隣島嶼諸国に援助する側であったナウルが被援助国となって、対外関係への関心は変化した。2005年には、初めてドナー国会合を招致して国際社会へアピールしたのもその表れである。外交関係においては、当初台湾を国家承認していたが、2002年7月に断交して中国と国交を樹立。しかし、2005年5月にはふたたび台湾との外交関係を復活させて中国と断交した。1999年に国連加盟国となり、常駐の国連大使を送っている。[小林 泉]

経済・社会

使用通貨はオーストラリア・ドルであるが、実際のところ国民の経済活動は存在しなかった。ナウル人といえば公務員か燐鉱石公社の幹部職員であり、実際に働く鉱山労働者や商業の担い手は近隣島嶼からの出稼ぎ者か中国人であった。食料品はもちろん水までも輸入に依存しており、自生する植物以外に自給的作物の栽培はなく、漁獲も趣味としてのスポーツフィッシングがあるだけで、漁民などはいなかった。それでも1人当り国民総所得(GNI)が2万ドル(アメリカ・ドル)を超えていた1980年代は問題なかったが、2000年代には3433ドル(アメリカ・ドル、2009)まで落ち込み、自給経済の基盤がないだけに、近隣島嶼と比べて事態は深刻である。
 経済立て直しは当面残存資源に依存し、これまで粗放採掘であった燐鉱石を緻密(ちみつ)に再掘して輸出することにかかっていた。この計画を実行に移した結果、2004年には年間100万オーストラリア・ドルまで落ち込んでいた輸出額を2007年には2000万オーストラリア・ドルまで回復させた。2011年時点で国家財政の50%超がオーストラリアや台湾からの援助に頼っているものの、このまま順調に推移すれば、今後20年から30年は見通しが立てられる計算で、政府はこの間に国内産業の育成を実現したいと考えている。国民の教育レベルは高いが、実際に生産労働をしたことのない人々ばかりで、今後の産業育成には多くの困難が予想される。国民の大半がキリスト教徒で、公用語は英語とナウル語である。
 学校教育はすべて英語を使用し、国民の識字率はほぼ100%。6~16歳の間に10年間の義務教育期間が設けられている。高等教育進学希望者はさらに2年間の追加教育を受けた後に、主としてオーストラリアの大学に進学する。[小林 泉]

日本との関係

太平洋戦争中の日本軍による占領時、日本軍は戦闘準備と食糧不足のために1200名のナウル人をトラック諸島(現、チューク諸島)に強制疎開させた。そこでは飢えと病気のため多くの死者が出て、終戦後ナウルに帰島できたのは737人であった。そのなかに初代大統領のデ・ロバートがいた。このような不幸な歴史にもかかわらず、彼は疎開中の日本人との交流から親日となり、独立後には頻繁に来日した。1971年(昭和46)から1989年(平成1)まで、東京に領事館を設置。国営ナウル航空も鹿児島に就航していた。
 デ・ロバート失脚後の政治混乱と財政危機が起きてから、対日関係はしだいに希薄になっていった。しかし、経済破綻したナウルは日本の援助対象国となり、2013年度(平成25)までの累積で21.06億円の無償資金協力・技術協力が実施された。駐フィジーの日本大使がナウルも兼任している。[小林 泉]
『リュック・フォリエ著、林昌宏訳『ユートピアの崩壊 ナウル共和国』(2011・新泉社)』

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