漁労文化(読み)ぎょろうぶんか

改訂新版 世界大百科事典 「漁労文化」の意味・わかりやすい解説

漁労文化 (ぎょろうぶんか)

水辺に生息する魚介類,藻類を採捕することを基本形とする文化。本質的な考え方としては陸上の採集狩猟文化に対応する部分が多いところから,漁労文化そのものを原始的な文化と評する論もあるが,これは正しくはない。むしろ,近代的な資本主義経済の下に,多獲して広く流通機構に乗せるという漁労技術も含めて,人間の水辺・水界における活動全般を包括する文化としてとらえるべきである。

人間が陸上に生活する生物であるのに対して,漁労の対象となるものが水中に生息する生物であるために,その接点に生ずる漁労文化そのものは,陸上における諸文化とはまったく異質の文化として展開される。すなわち,人間の側が積極的に水域に近づき,さらに水域に進出して,対象生物を採捕するということのために,結果として人間に数多くの知恵を要求し,そこから幾多の技術が開発されることになる。この場合,〈数多くの知恵〉といったのは,対象となる水域の生物に関する知識の集積であり,〈幾多の技術〉というのは,その知識の集積によって編み出される多獲努力への手段としての技術であるから,この両者には生物学・生態学から造船術・航海術,さらに電気工学・機械工学に至る幅広い学問の領域にわたっての総合的な知識・技術が要求されるわけであり,これらすべてを包括する文化としての漁労文化は,ある部分については,むしろ近代科学の粋を集めた技術文化とさえいえるだろう。ただ本質的には,その対象生物を管理し増殖して,人間の要求に応じた数量を適正に常時確保するという構想は,いまだ十分に熟成していないので,陸上における牧畜文化農耕文化に対応する部分がきわめて少ないということは認めざるをえない。人間の生存手段としての漁労活動は,多くの場合,陸上における他の生存手段,たとえば,採集,狩猟,牧畜,農耕という文化と組み合わされている。つまり,陸上の採集・狩猟文化と並行して水辺の漁労文化が存在する例もあれば,陸上の近代的な農耕文化と組み合わされる漁労文化もあるというわけである。

陸上の採集文化に対応する形の原初的な漁労文化は〈そこにあるものを拾う〉という単純な行動から始まる。〈漁〉という字は日本語で〈いさる〉と読むが,これは〈磯求食る(いそあさる)〉から転じたという。すなわち,磯で貝類や藻類を集めたり,干潟で逃げおくれた小魚や甲殻類を手づかみで捕らえるという行為が,漁労の最初の形である。同じく〈漁〉という字を〈すなどる〉と読むのは〈磯魚捕る(いそなどる)〉から転じたとされるが,まさに磯でそのような小魚を捕らえることであって,道具を使うことなく,採集行為をするものといってよい。現代でも,山陰から北陸にかけて女性が従事する冬の岩場での〈海苔(のり)つみ〉つまりイワノリ採取も,遠浅の砂浜海岸で春の大潮に家族づれでにぎわう〈潮干狩り〉もいわばこのような原初形態の漁労活動のなごりであるし,草根の毒を使って干潟や水たまりの小魚を捕らえる〈毒漁poison fishing〉も,このような採集文化の延長上にあるといってよい。この段階で,道具を使用しはじめる場合,これも最初は陸上の他の作業に使う道具をそのまま水辺に転用することが多く,たとえば《万葉集》の国栖(くず)(大和地方)人が行ったという〈火振り漁〉は,片手にかざした灯火に集まってくる川魚を,鉈(なた)の背でたたくという形で最近までそのまま踏襲された漁法であるし,スールー海(フィリピン南部)の浅い磯で腰まで浸りながら左手にかざしたカンテラの火に集まる魚を右手のボロ(山刀)で水面上からすばやく切りつける〈魚切り漁〉も,そのようなありあわせの道具を使用した初期的段階のものである。

陸上の狩猟文化と対比される漁労文化は,動物を〈追っかけていってつかまえる〉または〈待ち伏せしてつかまえる〉という行為であって,この論理はそのままの形で近代漁業にまで続いている。北極圏の氷原ではラッコセイウチを対象とする場合も,カリブートナカイ)を対象とする場合も,同じくhuntingという語が使用され,氷原から海面に逃れたものを追うからといってfishingといいなおす必要はない。使用する道具もまさに狩猟具そのものであって,投擲具,すなわち弓矢とか投げ槍から始まって銃砲類にまで及ぶのである。アマゾン川やアンダマン島(インド洋)で弓矢を使って川や海の魚を射るという形の漁労や,先に鏃(やじり)や銛(もり)のついた投げ槍から捕鯨砲にいたる各種の漁労具の開発となっていく。アラブの漁民やオーストラリア内陸原住民(アボリジニーズ)がサメやエイのような獰猛な魚を好んで漁労の対象とするのは,その闘争本能が狩猟の延長としてのこれらの魚種にだけ向けられていることを物語っている。待伏せの方は各種の罠(わな)を生み出す。餌を用意した(うけ)だとか,魚道を遮断して一方のかこいに誘導する(えり)や(やな)は,そのままの形では陸上の狩猟とは対比し難いかもしれないが,小鳥を捕らえるための仕掛け罠や,中型獣を誘いこむ檻(おり)等にその類似を見いだすことができる。

 の使用は漁労文化史の中で特色のある技術革新であろう。それまでは竹や籐(とう)を使用していたものを,繊維製品におきかえた段階から漁労文化は独自の道を歩みはじめる。つまり網は動かすことが可能であるため,竹を建て並べる魞や簗よりも応用の範囲が広く,定置網の諸型態以外に〈引網〉として〈地引網〉や〈舟引網〉が開発されるし,小型のものを魚のいる水面に向けてひろげる〈投網(とあみ)〉も考えられる。そして,このような網の使用は,少数例ながら陸上にも見られる。〈刺し網〉の形式そのままに小鳥を捕らえる〈霞網〉があり,カモシカを生け捕りにするnet-huntingという〈追いこみ網〉形式の狩猟法も考えられる。

 釣りという概念は漁労独自の待伏せ方式である。餌のついた釣針を水中に垂らしてこれに誘い寄せられた魚を引っかけて捕らえるという漁法は,世界各地に普遍的に分布している。針は古い時代には陸上の動物の骨や角を用いたり,貝殻を細工したものであるが,後には金属器,とくに鉄器におきかえられる。餌の使用も,民族によっては魚の習性に応じたいろいろの擬似餌におきかえて,独特のものを生み出した。それには,太平洋各地でタカラガイにネズミの尻尾の形のヤシの葉をつけたものでタコを釣るタコ石漁法のように〈ネズミとタコ〉の民話を伴ったりもする。

 なお,海に独自な待伏せ漁法に,干満の差を利用する〈建て干し〉と〈石干見(いしひび)〉がある。前者は竹簀で,後者は石積み浅海の一部を区切り,干潮時に逃げおくれた魚を捕らえるもので,その分布は太平洋,インド洋に広くひろがる。陸上では鳥を捕らえる場合に〈おとり〉を利用することがあるが,同様の例にアユの〈友釣り〉がある。また,訓練したタカを放ってウサギ等の小動物を捕らえる〈鷹狩〉にはアユを対象とする〈鵜飼〉が匹敵する。

 農耕文化と漁労文化という対比では,ノリ,ワカメの藻類養殖が挙げられる。現にノリ養殖業者は年間の作業過程を農業に対比させて〈海苔百姓〉と呼ばれるが,カキや真珠の貝類養殖も対象が動物ではあるが作業の内容としては藻類養殖と同系列におくことができる。陸上の動物を対象とする牧畜文化は,水域では,海面におけるハマチやタイの養殖,内水面におけるウナギやコイの養殖に対比できよう。しかし内水面では漁労そのものが農耕と直接関連する場合も多い。一定期間,多量の水を農地に蓄える水田耕作の場合,その水面に小魚が生育することも珍しくない。〈魚(うお)伏せ籠〉で魚を捕るのはもっぱら水田の中であるし,中国や東南アジアでの淡水魚の養殖は,むしろ水田農業の発達と軌を一にするもので,〈水田養鯉〉は農地に水を張っている期間を活用したものである。

以上述べた各種の漁労文化は,それぞれの段階で,地域により季節によって,この漁労に携わる人間を特定する場合がある。とくに人間がを用いて水面に進出するようになると,男が舟で漁労に乗り出し,女が陸地で農作業に従事するとか漁獲物の加工・販売を分担するという男女分業が始まり,女の方が潜水に専従する地方では〈海女(あま)〉という特殊な技能集団が生まれる。もちろん男の潜水の事例の方が圧倒的に広範囲に分布するが,民族による技能差が著しいこともよく知られる。舟を利用して沖合に乗り出すという点でも民族的な技能差は顕著となり,方位,風,波を見ながら遠距離を航海する技術も進歩する。これら航海術そのものは必ずしも漁労文化という範疇には入らないが,海に関する信仰という点で,陸上とは異なった諸文化を数多く生み出している。他界観念とか,航海の安全とか,豊漁というものを,それぞれの民族が独自の精神文化に結びつけているのである。

 なお,陸上の文化の伝播とは異なって,水域ないし海上では,ほとんど障害なく広範囲に文化が拡散・伝播することも大きな特徴であろう。すなわち,各種の漁法とか,魚に関する俗信・寓話とか,その加工・保存法とかは,海を介して広い地域にひろがっており,その類似性から海の文化圏を設定することができる。なお,河川とか海という環境の認識とか,水中生物の生態系,あるいはその習性に関して,漁労民の持っている知識の正確・精密であることは驚嘆に値する。
海人(あま) →漁業[漁業信仰] →漁具 →漁法
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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