ナショナル・ウェストミンスター銀行(読み)なしょなるうぇすとみんすたーぎんこう(その他表記)National Westminster Bank Plc

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ナショナル・ウェストミンスター銀行
なしょなるうぇすとみんすたーぎんこう
National Westminster Bank Plc

イギリスの大手民間銀行。略称はナットウェストNatWest。バークレイズ銀行HSBCロイズTSB銀行と並ぶイギリス四大市中銀行の一つであったが、事業多角化に失敗して1990年代末に経営難に陥り、2000年3月ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドRBS)に吸収された。現在はRBSグループ傘下に入っている。

[上川孝夫・佐藤秀樹]

成立

ナットウェストは、1968年にウェストミンスター銀行Westminster Bank、ナショナル・プロビンシャル銀行National Provincial Bank、ディストリクト銀行District Bankの3行の合併により成立した。ウェストミンスター銀行の前身は、1834年にロンドンで最初に株式銀行として設立されたロンドン・アンド・ウェストミンスター銀行London & Westminster Bankである。1909年にロンドン・アンド・カウンティ銀行を、1918年にパーズ銀行を合併し、1923年にウェストミンスター銀行となった。国会議事堂の別名「ウェストミンスター」を行名に冠したクリアリング・バンク(主要決済銀行)として、イギリス金融街を牛耳(ぎゅうじ)ってきた。また、ナショナル・プロビンシャル銀行は、1833年トマス・ジョプリンThomas Joplin(1790ごろ―1847)によってグロスターに設立され、19世紀後半ロンドンに進出、のち合併を重ねて大きくなった。ディストリクト銀行は1830年代の設立である。この3行の合併はイギリスの銀行史上最大規模となり、その後の合併ラッシュをあおりたてることとなった。

[上川孝夫・佐藤秀樹]

業務内容

銀行の成立が示すように、ナットウェストの業務はリテールバンキング(小口取引)に重点が置かれていたため、国際業務や証券引受業務(マーチャント・バンキング)分野への展開が他行に比較して遅かった。国内では、ナットウェスト・ユーケーNatWest UKがリテール業務に力を入れ、消費者金融やリースはロンバード社Lombard North Central PLCが担当している。また、地域的にはアイルランドでの銀行業はアルスター銀行Ulster Bankがカバーしている。「女王陛下のプライベートバンク」として知られる名門クーツCoutts & Co. (1692年創業)も、1920年以来ナットウェストの傘下にある。海外業務は、ほかのイギリスの銀行が旧植民地・自治領などに古くから利害を有していたのに対して、その歴史は浅く、北アメリカとヨーロッパが中心となっている。

 ところで、ナットウェストの会長であったリー・ペンバートンRobert Leigh-Pemberton(1927―2013)は銀行出身としては初めてイングランド銀行(中央銀行)総裁地位(1983~1993)についた人物である。彼は、イングランド南東部の農家の出身で、ナットウェストの会長を1977年から1983年まで務めていた。

[上川孝夫・佐藤秀樹]

多角化の失敗とRBSへの吸収

ナットウェストは中央銀行総裁を出したほどの有力銀行であったが、1980年代の金融規制緩和を境に凋落(ちょうらく)の道をたどった。アメリカやヨーロッパ大陸の金融機関に対抗して、証券会社の合併・買収を通じて投資銀行業務への多角化を図るものの、1987年10月の世界的な株価下落(ブラック・マンデー)に直面して株価が急落。投資銀行業を担当していたナットウェスト・マーケッツ社NatWest Marketsは1989年までに2億2000万ポンドの累損を計上し、さらに1997年3月期決算でデリバティブ(金融派生商品)取引の失敗から7億ポンド余の損失を計上し、1997年12月に投資銀行業務からの撤退を決定。一部の業務を新設のグローバル・ファイナンシャル・マーケッツ社Global Financial Marketsに移した。

 その後、1999年に起死回生をねらって大手生命保険会社(リーガル・アンド・ゼネラルLegal & General)の買収を発表した矢先、スコットランド銀行Bank of ScotlandとRBSに敵対的TOB(株式公開買付)を仕掛けられた。準大手2行が四大銀行の一角をめぐって争った異例の買収合戦は、最終的に総額約220億ポンド(約3兆8000億円)のRBSによる買収提案を受け入れることで決着をみた。

 合併前の1997年時点で、ナットウェストの支店数は世界34か国に約3400(うち約2700は国内)。総資産は1854億0400万ポンド、営業収入は69億7400万ポンドであった。合併後の2008年時点でのナットウェスト・グループの総資産は3212億1900万ポンド、貸出金は1982億6700万ポンド、預金額は2540億1700万ポンド、純資産は134億5800万ポンドである。ちなみに、合併後の2008年時点でのRBSは、総資産2兆4017億ポンド、貸出金8747億ポンド、純資産805億ポンドという規模を誇り、世界50か国以上で業務を展開、顧客数4000万人強を有するイギリス最大級の市中銀行となるに至っている。

[上川孝夫・佐藤秀樹]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ナショナル・ウェストミンスター銀行 (ナショナルウェストミンスターぎんこう)
National Westminster Bank P.L.C.(Public Limited Company)

イギリスの四大クリアリング・バンク(ロンドン手形交換所加盟の預金銀行)の最大の銀行。1968年,当時クリアリング・バンク中第4位のウェストミンスター銀行Westminster Bankと第5位のナショナル・プロビンシャル銀行National Provincial Bankおよび独立系のディストリクト銀行District Bankの3行が合併して生まれた。この合併はイギリス銀行史上最大の規模で,これに続く合併ラッシュの口火となった。前身のウェストミンスター銀行は,1833年のイングランド銀行条令改正時に設立されたロンドン・アンド・ウェストミンスター・バンクLondon and Westminster Bankに始まるが,さらには17世紀のゴールドスミス・バンカーにまでさかのぼることができる。その後1909年にロンドン・アンド・カウンティ・バンクLondon and County Bankを,18年にパーズ・バンクParrs Bankを合併。一方,ナショナル・プロビンシャル銀行も1833年にグロスターで材木商ジョプリンにより設立され,北部ウェールズを中心に発展した。合併の歴史が示すように同行の優位性はリテール・バンキング部門において顕著である反面,国際業務やマーチャント・バンキング(証券引受業務)に進出したのは比較的遅く,外国銀行の進出や証券取引の自由化など競争の激化が進むなか,多面的な業務展開を図っている。1983年,同行会長ペンバートンRobert Leigh-Pembertonがクリアリング・バンク出身者として初めてイングランド銀行の総裁に就任するなど,イギリス金融界において隠然たる力を有している。総資産1569億ポンド,預金残高1171億ポンド(1994年12月)。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android