ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド・グループ(読み)ろいやるばんくおぶすこっとらんどぐるーぷ(英語表記)Royal Bank of Scotland Group plc

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド・グループ
ろいやるばんくおぶすこっとらんどぐるーぷ
Royal Bank of Scotland Group plc

イギリスの金融グループ。略称RBSグループ。主要子会社であるロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(スコットランド・ロイヤル銀行=RBS)は、以前は準大手の位置にあったが、2000年3月に総資産規模で2倍以上のナショナル・ウェストミンスター銀行(ナットウェストNatWest)を敵対的TOB(株式公開買付制度)で傘下に収め、イギリスの主要銀行の地位に躍進した。RBSは、250年以上の歴史のなかで200以上の銀行が合併してできあがった、伝統のある、同時に革新的でもある銀行である。

[安部悦生]

歴史

1727年、RBSはスコットランドのエジンバラチャーター勅令)に基づき設立された。資本金は11万1347ポンド、発起人の中心はイレイ伯爵Earl of Ilayであった。同行は今日も積極的な経営方針で有名であるが、1728年には当座貸越overdraftの前身である当座勘定cash accompt(account)を導入し、イギリスで後に一般化する当座貸越の先鞭(せんべん)をつけた。1783年グラスゴーに最初の支店を設けて以降、各地に支店を設立、ブランチ・バンキングを行う銀行となった。

 RBSの歴史は合併の歴史でもあるが、1864年にスコットランドのダンディ銀行Dundee Banking Co.を買収して規模を拡大した。また1874年にはロンドンに支店を設置し、金融の中心地であるイングランドにも進出した。1910年時点で158の支店と900人のスタッフを擁する銀行となった。

 第一次世界大戦中は融資や銀行券の発行などによって政府の資金需要を手助けした。なお、スコットランドの市中銀行はいまでも銀行券の発行権をもつ。一方、第一次世界大戦中の1918年にイングランドでビッグ・ファイブとよばれる大銀行体制が成立し、スコットランドの銀行は相対的に中規模となった。しかし、RBSは積極的に拡大策をとり、1924年ロンドンのドラマンズ銀行Drummonds Bankを、さらに1930年にはロンドンと北西部に勢力をもつウィリアムズ・ディーコンズ銀行Williams Deacon's Bankを買収した。これはスコットランドの銀行が本格的にロンドンに進出したことを意味していた。また1939年にはイギリスのもっとも重要な個人銀行であったロンドンのグリン・ミルズGlyn, Mills & Co.を買収。このグリン・ミルズとウィリアムズ・ディーコンズ銀行とRBSの3行で、スリー・バンクス・グループを形成した。

[安部悦生]

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後になると、キャッシュ・ディスペンサー(現金自動支払機)や支店決済の自動化を推し進め、積極的な合理化に乗り出した。またニューヨークに代表事務所を置くなど国際化にも着手した。1969年にはナショナル・スコットランド商業銀行National Commerce Bank of Scotlandを吸収合併し、スコットランド銀行業の60%以上のシェアを占めるまでとなった。1970年ウィリアムズ・ディーコンズとグリン・ミルズを合併してウィリアムズ・グリンズ銀行に改組、さらに1985年ウィリアムズ・グリンズ銀行をRBSに合併することにより3行を合体し、事業の一元化を図った。

 1970年代は北海油田の開発により、スコットランドはとくにその恩恵を受けたが、RBSも資金供給やリースによって油田開発に力を発揮した。1972年、クリアリング・バンク(手形決済銀行)として初の住宅ローンの提供を始め、個人需要にもこたえた。また1973年に全支店をオンライン化したスコットランド最初の銀行となった。

 1983年、RBSに対してスタンダード・チャータード銀行とHSBCからTOB買収が仕掛けられたが、この試みは成功せず、RBSはその後独自路線を歩んだ。1988年にはアメリカのロード・アイランド州のシチズンズ・ファイナンシャル・グループCitizens Financial Groupを買収し、アメリカでの投資を強めた。さらにスペイン最大手のバンコ・サンタンデールBanco Santander(現サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行=BSCH)と提携してヨーロッパ全域の電子銀行サービスを目ざすIBOS(Inter Bank On-Line System)構築へと進み、フランス、ドイツ、ベルギー、オランダ、イタリアなどにおける主要銀行を網羅する決済システムの形成に向かった。

 他方、1985年に自動車保険会社ダイレクト・ラインを設立して保険業務にも参入。同社は電話による自動車保険の直販の草分けであり、イギリスの自動車保険を大きく変えるきっかけとなった。1990年代に入るとダイレクト・バンキングに乗り出し、24時間の電話による銀行業務を開始。1997年イギリスで最初の全面的インターネット・オンラインサービスを開始し、同年スーパーマーケット・チェーンのテスコTesco、ネット金融サービスのバージン・ダイレクトVirgin Directと提携関係に入った。小売店の集客力を生かした提携は成功を収め、テスコとの折半出資でテスコ銀行が設立された。

[安部悦生]

ナットウェストの買収

しかしRBSを一躍有名にしたのは、イギリス四大銀行(ビッグ・フォー)の一員であったナットウェストを2000年に買収したことである。当時、ナットウェストは多角化戦略の失敗で株価低迷に陥っており、この買収はスコットランド銀行Bank of Scotlandと争われた。資産規模で半分足らずの準大手銀行(1998年のRBSの総資産は約750億ポンド)が四大銀行の一角をめぐってTOBを仕掛けたこの事件は、異例の買収劇として話題となった。

 合併後はRBS、ナットウェストを中心に、ダイレクト・ライン、シチズンズ・ファイナンシャル・グループのほか、アイルランドを地盤とするアルスター銀行Ulster Bank(1836年設立)、「女王陛下のプライベートバンク」として名高い名門クーツCoutts & Co.(1692年設立)などを通して幅広い金融サービスを展開している。2001年にはリテール(小口取引)強化を図り、アメリカのメロン・ファイナンシャルMellon Financial Corp.を買収。アメリカ北東部ニュー・イングランドで活動するシチズンズに統合して、ペンシルベニア州やニュー・ジャージー州など東部地域まで事業規模を拡大した。RBSの2001年の総資産は3688億5900万ポンド、従業員数は11万1500人。

[安部悦生]

その後の動き

2008年10月、金融危機に直面し200億ポンドの公的資金の注入を受けて実質国有化された。さらに2009年11月、255億ポンドが再注入され、イギリス政府の出資比率は70%から84%に高まった。2013年までに1割強にあたる支店や保険部門の売却などで再建を目ざす。2008年末のグループ全体の総資産は2兆4016億5200万ポンド、従業員数17万4000人(2007)。銀行単体の2008年末の総資産は1兆8779億3000万ポンド。

[編集部]

『安部悦生他著『イギリス企業経営の歴史的展開』(1997・勁草書房)』『S. G. ChecklandScottish banking : a history 1695-1973(1975, Collins, Glasgow)』『Gretchen Antelman, Thomas Derdak ed.International Directory of Company Histories Vol. 1-50(St. James Press, Chicago)』

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