日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナポレオン伝説」の意味・わかりやすい解説
ナポレオン伝説
なぽれおんでんせつ
Légende napoléonienne フランス語
ナポレオン1世の偉大さとその帝政の栄光をたたえた伝説で、ナポレオン神話ともいわれる。ナポレオンの英雄的存在や劇的生涯は、文学者や思想家のみでなく、民衆によっても伝説化され、19世紀を通じてフランス社会に大きな影響を与えた。
[井上幸治]
理想化の土壌
ナポレオン伝説は、普通の民間伝説や英雄伝説と違って、彼自身が意図的に自身の神話化にかかわっていた。流刑地セント・ヘレナ島まで随伴した軍人・医者・文筆家はいずれも日課として彼の口述を筆記していたが、これらがラス・カーズLas Cases(1766―1842)の『セント・ヘレナの思い出』(1823)を筆頭に、ナポレオンの没(1821)後全ヨーロッパに流布された。これをセント・ヘレナ文学とよんでいるが、そのなかで、ナポレオン像は、人類に火を与えたために山上に縛られたプロメテウスと化し、フランスやヨーロッパに平和を与える殉教者となり、またその軍事的独裁は忘れられて、彼は農民皇帝、革命の申し子ということになる。
このように理想化されたナポレオン像をはぐくむ土壌は、まず第一に農村である。革命によって社会的に解放され、また国有化された土地の一部を購入した農民がナポレオンの軍隊の大部分を占めていたが、彼らはナポレオンが革命の成果を保障することを期待するのみか、三色旗を掲げて大陸を自由と平等を宣布しつつ馳(は)せ回った彼らの追憶は、ナポレオンとフランス国民の栄光とに結び付いていた。とくにナポレオン没落後、ブルボン王朝の反動支配がフランスに復活すると、農民もブルジョアも旧制度への逆転を恐れ、革命の保障としてのナポレオンへのあこがれはいっそう強まった。7月王政下になると、政治の表面にボナパルト派が現れたが、その焦点にたつのがナポレオン1世の甥(おい)にあたるルイ・ナポレオン・ボナパルトで、後のナポレオン3世である。
[井上幸治]
文学への影響
ナポレオン1世と同時代の文学者スタール夫人とシャトーブリアンは、彼の独裁に対する痛烈な批判者であったが、その全盛期に青少年時代を過ごしたユゴー、バルザック、スタンダール、ベランジェらの文学者、詩人は、セント・ヘレナ文学にも触れ、英雄の神話化の風土のなかで、文学におけるナポレオン伝説を完成した。とくに19世紀前半のロマン主義文学において、過去へのあこがれは直接ナポレオンの伝説化につながり、ナポレオン像はいっそう光彩を帯びることになった。ボナパルト派が結成されるのと同時期である。ドイツでは、ナポレオンと会見したゲーテも彼の半神のような人間像を語り、ハイネもナポレオン伝説を無視できず、たとえ批判的であっても、トルストイもナポレオンを作品に登場させた。この伝説がいかに19世紀の世界に広まったかは、ナポレオンの存命中、1818年(文政1)日本では頼山陽(らいさんよう)が「法朗王の詩」を書き、江戸時代の学者の多くは強い関心をもち、10冊余りの伝記が書かれたことからも察せられる。
[井上幸治]