シャトーブリアン(読み)しゃとーぶりあん(英語表記)François-René de Chateaubriand

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャトーブリアン」の意味・わかりやすい解説

シャトーブリアン(François-René de Chateaubriand)
しゃとーぶりあん
François-René de Chateaubriand
(1768―1848)

フランス・ロマン派の先駆的作家。9月4日、貴族の第10子としてサン・マロに生まれる。ドルなどでの教育、コンブールの父の館(やかた)の環境、姉リュシルとの友情幼年期をはぐくまれる。1791年アメリカに渡るが、ルイ16世捕らわるの報に接し帰国、反革命軍に加わる。のちイギリスに亡命し『革命試論』(1797)を発表。1800年故国に戻り、まず小説『アタラ』(1801)を出版、続いて『アタラ』と『ルネ』を含む『キリスト教精髄』(1802)で「キリスト教の美しさ」を「改宗者」の感動をもって描き、世に迎えられ、ナポレオン知遇を得てローマ大使館書記官となる。また『ルネ』はロマン派青年の原型とされ、後の世代に大きな影響を与えた。04年アンギャン公処刑でナポレオンと対立したが、30年まで政治生活を続ける。11年フランス・アカデミー会員に選ばれ、『殉教者たち』(1809)執筆のための東方旅行から生まれた『パリ・エルサレム紀行』を出版。14年には『ボナパルトとブルボン王家について』でナポレオンを攻撃した。トラピスト修道会の改革者を描く『ランセの生涯』(1844)、さらに自らの生涯とその時代を「記憶魔法」とみごとな文体で再構成し、プルースト以後評価の高い『墓の彼方(かなた)からの回想』(1848~50)を残した。文学上の名声と多くの女性の愛を得ながら、「近代的憂愁を創造」して、19世紀初期文学の流れをロマン主義へ導いた作家として知られる。48年7月4日没。

[田部井玲子]

『真下弘明訳『わが青春』(1983・勁草書房)』『真下弘明訳『墓の彼方の回想』(1983・勁草出版サービスセンター)』


シャトーブリアン(フランス)
しゃとーぶりあん
Châteaubriant

フランス西部、ロアール・アトランティック県の小都市。人口1万2065(1999)。ナントの北北東66キロメートル、ビレーヌ川支流のシェール川に臨む。農産物集散地、農機具製造の中心地。「旧城」(11~15世紀)とルネサンス様式の「新城」(16世紀)が有名。

[高橋伸夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャトーブリアン」の意味・わかりやすい解説

シャトーブリアン
Chateaubriand, François-René, vicomte de

[生]1768.9.4. イルエビレーヌ,サンマロ
[没]1848.7.4. パリ
フランスの小説家,政治家。ブルターニュの古い貴族の家に生れた。フランス革命によって陸軍少尉の地位を失い,1791年単身アメリカに渡り,帰国後,反革命軍に参加,負傷してイギリスに亡命 (1793) 。 1800年に帰国し,ナポレオンのもとで公職についたが相いれず,04年辞職。王政復古とともに政界へ復帰,上院議員,イギリス駐在大使,外務大臣などを歴任した。主著は『キリスト教精髄』 Le Génie du christianisme (1802) で,ことにその一部である小品『アタラ』 Atala (01) および『ルネ』 Renéは名高い。ほかに死後出版された『墓の彼方の思い出』 Mémoires d'outre-tombe (48~50) など。色彩豊かな描写と情熱的な雄弁体によって,ロマン主義に大きな影響を与えた。

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