フランス・ロマン派の先駆的作家。9月4日、貴族の第10子としてサン・マロに生まれる。ドルなどでの教育、コンブールの父の館(やかた)の環境、姉リュシルとの友情で幼年期をはぐくまれる。1791年アメリカに渡るが、ルイ16世捕らわるの報に接し帰国、反革命軍に加わる。のちイギリスに亡命し『革命試論』(1797)を発表。1800年故国に戻り、まず小説『アタラ』(1801)を出版、続いて『アタラ』と『ルネ』を含む『キリスト教精髄』(1802)で「キリスト教の美しさ」を「改宗者」の感動をもって描き、世に迎えられ、ナポレオンの知遇を得てローマ大使館書記官となる。また『ルネ』はロマン派青年の原型とされ、後の世代に大きな影響を与えた。04年アンギャン公処刑でナポレオンと対立したが、30年まで政治生活を続ける。11年フランス・アカデミー会員に選ばれ、『殉教者たち』(1809)執筆のための東方旅行から生まれた『パリ・エルサレム紀行』を出版。14年には『ボナパルトとブルボン王家について』でナポレオンを攻撃した。トラピスト修道会の改革者を描く『ランセの生涯』(1844)、さらに自らの生涯とその時代を「記憶の魔法」とみごとな文体で再構成し、プルースト以後評価の高い『墓の彼方(かなた)からの回想』(1848~50)を残した。文学上の名声と多くの女性の愛を得ながら、「近代的憂愁を創造」して、19世紀初期文学の流れをロマン主義へ導いた作家として知られる。48年7月4日没。
[田部井玲子]
『真下弘明訳『わが青春』(1983・勁草書房)』▽『真下弘明訳『墓の彼方の回想』(1983・勁草出版サービスセンター)』
フランスの作家,政治家。ロマン主義文学の先駆者といわれる。ブルターニュ半島北岸サン・マロの貴族出身。1791年,フランス革命の渦中にあった祖国を後にして,北米に渡り,新大陸の風土から強い印象を受けた。92年,帰国して反革命軍に投ずるが,負傷してロンドンに亡命。1800年,フランスに帰り,《アタラ》(1801)および《キリスト教精髄》(1802)を発表した。前者は,北米大陸の自然を背景にインディアンの悲恋を描き,後者は主として美的な立場からキリスト教を擁護したものである。09年,歴史的・叙事的物語《殉教者》を刊行,14年には政治的パンフレット《ボナパルトとブルボン王家》を発表して,王政復古に貢献した。22年,まず駐英大使,次いで外務大臣に任ぜられた。30年の七月革命とともに公職を辞し,自伝《墓のかなたの記》の執筆に専念した。最晩年の作に修道士の生涯を描いた《ランセ伝》(1844)がある。彼は,フランス革命後の動乱の時代にあって,新しい時代の心情をすぐれて詩的な文体により表現した。当初《キリスト教精髄》の一部をなし,のちに小説として独立した《ルネ》は,理由なき不安と倦怠,すなわち世紀病的心情を表現して一世を風靡した。しかし,彼の最大の傑作は,死後に刊行された自伝的回想録《墓のかなたの記》(1849-50)である。これは,作者の内面の記録であるとともに,ナポレオン,ルイ18世など,当時の代表的人物に接した者の手になる,時代と人間の記録である。
執筆者:高山 鉄男
フランス西部,ロアール・アトランティク県の町。人口1万4415(1982)。中世以来の古い歴史をもち,1551年アンリ2世によるシャトーブリアン勅令は,プロテスタントに対する弾圧を指示したものとして名高い。また第2次世界大戦下の1941年10月,在仏ドイツ軍将校が襲撃殺害された報復に,この地で27人の身代りが銃殺され,以後,シャトーブリアンの犠牲者の名は,対ドイツ・レジスタンスを象徴するものともなった。
執筆者:加藤 晴康
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1768~1848
フランスの文学者,政治家。貴族出身でフランス革命中亡命し,のちナポレオンと復古王政政府に仕えた。『キリスト教精髄』『アタラ』『ルネ』を書き,キリスト教の美と自然の美しさを讃美し,ロマン主義文学の先駆者となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…ヒレ(フィレ,テンダーロインtenderloin)は最も柔らかく,脂肪が少ない。頭のほうについていた部分から腰のほうへ向かって太くなっており,後端部につづく最も太い部分からはシャトーブリアンchateaubriand,それにつづく中心部からはトルヌードtournedos,そしてこれら以外の両端部からはヒレミニョン(フィレミニョン)filet mignonと呼ぶステーキがつくられる。シャトーブリアンは,フランスの文学者,政治家で美食家として知られたF.R.deシャトーブリアンの名にちなむもので,彼の料理人が主人のためにふつうの2倍もの厚さに切った肉をステーキにしたのに始まるといわれる。…
…
[言葉の成立と用語法]
保守主義という言葉は,フランスのロマン主義者シャトーブリアンが,1818年に自分の政治雑誌に《保守主義者Le Conservateur》と命名したのが最初の使用とされている。しかし一般化するのは,イギリスで1830年代初めに第1次選挙法改正問題をめぐって,その時のトーリー党の中で,それまでの旧弊固持者というイメージを脱して秩序ある変革の擁護者としてのイメージに転換するべきだと考える人々が,〈保守党〉という名前を提唱し,それが1834年以降正式の党名に採用されてからであった。…
…とりわけルソーの書簡体小説《新エロイーズ》や自伝的な作品《告白録》がその代表とされる。恋愛を中心とする自己の感情の起伏や精神的苦悩を主人公に仮託して描く自伝文学は,ロマン主義文学の中でも主要な位置を占め,ゲーテの《若きウェルターの悩み》,シャトーブリアンの《ルネ》(1802),セナンクールの《オーベルマン》(1804),コンスタンの《アドルフ》へと継承され,ミュッセの《世紀児の告白》(1836)へと受け継がれる。この系譜の中からは,激変する社会の現実と自己の存在との乖離(かいり)を感じ,愛に満たされず何かを求め続け現実から逃避していく〈世紀病mal du siècle〉を病んだロマン派的魂の典型が浮かび上がる。…
※「シャトーブリアン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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