シャトーブリアン(読み)しゃとーぶりあん(その他表記)François-René de Chateaubriand

デジタル大辞泉 「シャトーブリアン」の意味・読み・例文・類語

シャトーブリアン(François René de Chateaubriand)

[1768~1848]フランス小説家政治家ロマン主義文学の先駆者代表作キリスト教精髄」、小説「アタラ」「ルネ」、自伝「墓の彼方の回想」など。

シャトーブリアン(〈フランス〉chateaubriand)

ヒレ肉の最上の部位。また、それを網あるいは鉄板の上で焼いた料理。作家シャトーブリアンコックが工夫したという。

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精選版 日本国語大辞典 「シャトーブリアン」の意味・読み・例文・類語

シャトーブリアン

  1. [ 1 ] ( François-René de Chateaubriand フランソワ=ルネ=ド━ ) フランスの作家、政治家。フランス‐ロマン主義文学の創始者カトリック教主義を思想的基盤とする。代表作は中編「アタラ」「ルネ」を含む「キリスト教精髄」。(一七六八‐一八四八
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙 ( [フランス語] chateaubriand ) 西洋料理の名。ヒレ肉の頭に近いところを網で焼いたステーキ[ 一 ]のコックが工夫したところからといわれる。
    1. [初出の実例]「シャトブリアンとアティショーの煮たのと菓子」(出典:古川ロッパ日記‐昭和一三年(1938)五月六日)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャトーブリアン」の意味・わかりやすい解説

シャトーブリアン(François-René de Chateaubriand)
しゃとーぶりあん
François-René de Chateaubriand
(1768―1848)

フランス・ロマン派の先駆的作家。9月4日、貴族の第10子としてサン・マロに生まれる。ドルなどでの教育、コンブールの父の館(やかた)の環境、姉リュシルとの友情で幼年期をはぐくまれる。1791年アメリカに渡るが、ルイ16世捕らわるの報に接し帰国、反革命軍に加わる。のちイギリスに亡命し『革命試論』(1797)を発表。1800年故国に戻り、まず小説『アタラ』(1801)を出版、続いて『アタラ』と『ルネ』を含む『キリスト教精髄』(1802)で「キリスト教の美しさ」を「改宗者」の感動をもって描き、世に迎えられ、ナポレオンの知遇を得てローマ大使館書記官となる。また『ルネ』はロマン派青年の原型とされ、後の世代に大きな影響を与えた。04年アンギャン公処刑でナポレオンと対立したが、30年まで政治生活を続ける。11年フランス・アカデミー会員に選ばれ、『殉教者たち』(1809)執筆のための東方旅行から生まれた『パリ・エルサレム紀行』を出版。14年には『ボナパルトとブルボン王家について』でナポレオンを攻撃した。トラピスト修道会の改革者を描く『ランセの生涯』(1844)、さらに自らの生涯とその時代を「記憶の魔法」とみごとな文体で再構成し、プルースト以後評価の高い『墓の彼方(かなた)からの回想』(1848~50)を残した。文学上の名声と多くの女性の愛を得ながら、「近代的憂愁を創造」して、19世紀初期文学の流れをロマン主義へ導いた作家として知られる。48年7月4日没。

[田部井玲子]

『真下弘明訳『わが青春』(1983・勁草書房)』『真下弘明訳『墓の彼方の回想』(1983・勁草出版サービスセンター)』


シャトーブリアン(フランス)
しゃとーぶりあん
Châteaubriant

フランス西部、ロアール・アトランティック県の小都市。人口1万2065(1999)。ナントの北北東66キロメートル、ビレーヌ川支流のシェール川に臨む。農産物集散地、農機具製造の中心地。「旧城」(11~15世紀)とルネサンス様式の「新城」(16世紀)が有名。

[高橋伸夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「シャトーブリアン」の意味・わかりやすい解説

シャトーブリアン
François-René,vicomte de Chateaubriand
生没年:1768-1848

フランスの作家,政治家。ロマン主義文学の先駆者といわれる。ブルターニュ半島北岸サン・マロの貴族出身。1791年,フランス革命の渦中にあった祖国を後にして,北米に渡り,新大陸の風土から強い印象を受けた。92年,帰国して反革命軍に投ずるが,負傷してロンドンに亡命。1800年,フランスに帰り,《アタラ》(1801)および《キリスト教精髄》(1802)を発表した。前者は,北米大陸の自然を背景にインディアンの悲恋を描き,後者は主として美的な立場からキリスト教を擁護したものである。09年,歴史的・叙事的物語《殉教者》を刊行,14年には政治的パンフレット《ボナパルトとブルボン王家》を発表して,王政復古に貢献した。22年,まず駐英大使,次いで外務大臣に任ぜられた。30年の七月革命とともに公職を辞し,自伝《墓のかなたの記》の執筆に専念した。最晩年の作に修道士の生涯を描いた《ランセ伝》(1844)がある。彼は,フランス革命後の動乱の時代にあって,新しい時代の心情をすぐれて詩的な文体により表現した。当初《キリスト教精髄》の一部をなし,のちに小説として独立した《ルネ》は,理由なき不安と倦怠,すなわち世紀病的心情を表現して一世を風靡した。しかし,彼の最大の傑作は,死後に刊行された自伝的回想録《墓のかなたの記》(1849-50)である。これは,作者の内面の記録であるとともに,ナポレオン,ルイ18世など,当時の代表的人物に接した者の手になる,時代と人間の記録である。
執筆者:


シャトーブリアン
Châteaubriant

フランス西部,ロアール・アトランティク県の町。人口1万4415(1982)。中世以来の古い歴史をもち,1551年アンリ2世によるシャトーブリアン勅令は,プロテスタントに対する弾圧を指示したものとして名高い。また第2次世界大戦下の1941年10月,在仏ドイツ軍将校が襲撃殺害された報復に,この地で27人の身代りが銃殺され,以後,シャトーブリアンの犠牲者の名は,対ドイツ・レジスタンスを象徴するものともなった。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「シャトーブリアン」の意味・わかりやすい解説

シャトーブリアン

フランスの作家,政治家。ブルターニュ生れの貴族。大革命に失望し,自然を求めて北米に渡り,帰国後反革命軍に加わる。負傷して英国に亡命中(1793年―1800年),無神論的啓蒙思想を奉じた《革命論》(1797年)を書くが,母と姉の死によりカトリックに復帰し,感情的護教論《キリスト教精髄》(1802年)を著す。その挿話となっている短編小説〈アタラ〉〈ルネ〉はアンニュイ文学の典型で,世紀末ニヒリズムに先駆し,ロマン主義に大きな影響を与えた。1809年にはエルサレム巡礼を行い,散文叙事詩《殉教者》を上梓(じょうし)。王政復古時代に外交官,外務大臣を務めるが,1830年七月革命以後引退。晩年に自伝的回想録《墓のかなたの記》を執筆した。
→関連項目ジュベールフィルヘレニズム

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャトーブリアン」の意味・わかりやすい解説

シャトーブリアン
Chateaubriand, François-René, vicomte de

[生]1768.9.4. イルエビレーヌ,サンマロ
[没]1848.7.4. パリ
フランスの小説家,政治家。ブルターニュの古い貴族の家に生れた。フランス革命によって陸軍少尉の地位を失い,1791年単身アメリカに渡り,帰国後,反革命軍に参加,負傷してイギリスに亡命 (1793) 。 1800年に帰国し,ナポレオンのもとで公職についたが相いれず,04年辞職。王政復古とともに政界へ復帰,上院議員,イギリス駐在大使,外務大臣などを歴任した。主著は『キリスト教精髄』 Le Génie du christianisme (1802) で,ことにその一部である小品『アタラ』 Atala (01) および『ルネ』 Renéは名高い。ほかに死後出版された『墓の彼方の思い出』 Mémoires d'outre-tombe (48~50) など。色彩豊かな描写と情熱的な雄弁体によって,ロマン主義に大きな影響を与えた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シャトーブリアン」の解説

シャトーブリアン
François René de Chateaubriand

1768~1848

フランスの文学者,政治家。貴族出身でフランス革命中亡命し,のちナポレオン復古王政政府に仕えた。『キリスト教精髄』『アタラ』『ルネ』を書き,キリスト教の美と自然の美しさを讃美し,ロマン主義文学の先駆者となった。

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和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典 「シャトーブリアン」の解説

シャトーブリアン【chateaubriand/châteaubriant(フランス)】

牛肉の部位の名称の一つで、ヒレの中央の太い部分。また、その部位のステーキ。◇フランスの作家・政治家で、美食家としても知られるフランソワ・シャトーブリアン(Chateaubriand)の料理人モンミレイユが考案し、この名をつけたとされる。また、畜産物の集積地シャトーブリアン市(Châteaubriant)に由来するという説もある。

出典 講談社和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「シャトーブリアン」の解説

シャトーブリアン
François-René de Chateaubriand

1768〜1848
フランス−ロマン主義の文学者・政治家
『アタラ』(1801),『キリスト教精髄』(1802),『ルネ』(1802)を発表して知られ,王政復古期には各国大使・外相として活躍。

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世界大百科事典(旧版)内のシャトーブリアンの言及

【ビーフステーキ】より

…ヒレ(フィレ,テンダーロインtenderloin)は最も柔らかく,脂肪が少ない。頭のほうについていた部分から腰のほうへ向かって太くなっており,後端部につづく最も太い部分からはシャトーブリアンchateaubriand,それにつづく中心部からはトルヌードtournedos,そしてこれら以外の両端部からはヒレミニョン(フィレミニョン)filet mignonと呼ぶステーキがつくられる。シャトーブリアンは,フランスの文学者,政治家で美食家として知られたF.R.deシャトーブリアンの名にちなむもので,彼の料理人が主人のためにふつうの2倍もの厚さに切った肉をステーキにしたのに始まるといわれる。…

【保守主義】より


[言葉の成立と用語法]
 保守主義という言葉は,フランスのロマン主義者シャトーブリアンが,1818年に自分の政治雑誌に《保守主義者Le Conservateur》と命名したのが最初の使用とされている。しかし一般化するのは,イギリスで1830年代初めに第1次選挙法改正問題をめぐって,その時のトーリー党の中で,それまでの旧弊固持者というイメージを脱して秩序ある変革の擁護者としてのイメージに転換するべきだと考える人々が,〈保守党〉という名前を提唱し,それが1834年以降正式の党名に採用されてからであった。…

【ロマン主義】より

…とりわけルソーの書簡体小説《新エロイーズ》や自伝的な作品《告白録》がその代表とされる。恋愛を中心とする自己の感情の起伏や精神的苦悩を主人公に仮託して描く自伝文学は,ロマン主義文学の中でも主要な位置を占め,ゲーテの《若きウェルターの悩み》,シャトーブリアンの《ルネ》(1802),セナンクールの《オーベルマン》(1804),コンスタンの《アドルフ》へと継承され,ミュッセの《世紀児の告白》(1836)へと受け継がれる。この系譜の中からは,激変する社会の現実と自己の存在との乖離(かいり)を感じ,愛に満たされず何かを求め続け現実から逃避していく〈世紀病mal du siècle〉を病んだロマン派的魂の典型が浮かび上がる。…

※「シャトーブリアン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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