東京都千代田区駿河台(するがだい)にある日本ハリストス正教会教団の本会、また東京復活大聖堂の通称。1884年(明治17)3月に着工、1891年3月8日完成・成聖式(開堂式)。それを伝える翌日の新聞記事のなかに「ニコライ堂」とあることから、当初から日本ハリストス正教会の創始者であるロシア人宣教師ニコライにちなんで、この呼び名がつけられていたと考えられる。聖堂の原設計はペテルブルグのシュチュールポフMikhail Arefyevich Shchurupov(1815―1901)で、実施設計はイギリス人のコンドルといわれている。施工者は長郷泰輔(ながさとやすすけ)(1849―1911)。れんがおよび石造、銅板葺(ぶ)き。ビザンティン様式の教会形式を日本に伝え残した貴重なもの。1923年(大正12)の関東大地震で鐘楼が倒れ内部が焼損したので、1927年(昭和2)から修復工事(1929年完成)。設計者は岡田信一郎で、ドーム、屋根の形、内部が変わったが、窓枠以外の壁体はほとんど当初のままである。1962年(昭和37)国の重要文化財に指定された。
[山川令子 2018年9月19日]
『鈴木重吉著・撮影『明治建築』(1971・恵雅堂出版)』▽『牛丸康夫著『日本正教史』(1978・日本ハリストス正教会教団府主教庁)』
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正式名称は日本ハリストス正教会復活大聖堂(東京復活大聖堂)。通称は日本におけるギリシア正教の最初の宣教師である大主教ニコライにちなむ。東京都千代田区神田駿河台。コンドルの設計により1884年(明治17)起工,91年3月8日開堂。ビザンチン風のドームと高塔により市民に親しまれたが,1923年(大正12)関東大震災のときドームなどを焼失。岡田信一郎の設計で復興され現在の姿となった。重文。
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…戦後広島に設けられたエリザベト音楽大学(1948年広島音楽学校として発足,63年大学)は,独自の宗教音楽学科をもち,現在ローマ・カトリック系の音楽の拠点となっている。ロシア正教会系の音楽は,東京のニコライ堂が中心である。プロテスタント諸派の教会では,賛美歌の斉唱・合唱が主軸となっているが,最近はパイプ・オルガンを備える教会が徐々に数を増しつつある。…
…神田駿河台に本部を置き,伝道学校,のち正教神学校,女子神学校を設立し,日本ハリストス正教会は明治のキリスト教各派のなかでも有力な地歩を築いた。それを象徴するのが91年に完成した復活大聖堂(ニコライ堂)である。出版活動にも力をいれ,1901年には新約聖書の邦訳を出版した。…
…これはカトリック教会の信徒約5万人に次ぐ数である。91年,駿河台に完成した東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)はその勢力の象徴であった。しかし日露関係はしだいに険悪化し,1904年日露戦争が始まるに及び,教会は重大な迫害を被った。…
※「ニコライ堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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