ニヒリズム(英語表記)nihilism

翻訳|nihilism

デジタル大辞泉 「ニヒリズム」の意味・読み・例文・類語

ニヒリズム(nihilism)

虚無主義
すべての事象の根底に虚無を見いだし、何物も真に存在せず、また認識もできないとする立場。
既存の価値体系や権威をすべて否定する思想や態度。ツルゲーネフニーチェカミュなどに代表される。

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精選版 日本国語大辞典 「ニヒリズム」の意味・読み・例文・類語

ニヒリズム

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] nihilism ) 本当に信頼できる真理や価値などは何もないとする考え方精神状態。虚無主義。〔外来語辞典(1914)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「ニヒリズム」の意味・わかりやすい解説

ニヒリズム
nihilism

ラテン語ニヒルnihil(虚無)に基づく造語。あらゆる既成の宗教的・道徳的・政治的権威や既成の社会的秩序とそのイデオロギーに対する無条件的な否定の立場を表し,虚無主義と訳される。この語が哲学用語として比較的重要な意味で最初に使用された場合の一つとして認められているのは,1799年にF.H.ヤコビフィヒテにあてた公開書簡の場合であり,そこではフィヒテの観念論がニヒリズムとして非難されている。一説によれば,弁証法を神学の対象にも適用したアベラールの説を継承した12世紀の神学者たちの一派のいわゆるニヒリアニズムnihilianism,すなわちキリストの人間性は偶有性にすぎず,キリストは人間としてはニヒルであるという中世キリスト論が,当時のヤコビたちに影響を与えていたといわれる。B.F.X.vonバーダーの場合になると,ニヒリズムは単に哲学の世界の問題であるにとどまらず,教会の教えに対する抗議という19世紀ヨーロッパ最大の危険思想として社会的に問題とされるにいたる。彼によれば,近代の科学的知性の無節度な展開の結果として信と知の分裂が生じたところにニヒリズムの根源がある。そのことを彼は1826年ミュンヘン大学創設のさいの演説の中で述べた。

 だがニヒリズムという語が一般に普及しはじめたのは,ツルゲーネフの小説《父と子》(1862)でニヒリスト(虚無主義者)という表現が用いられたことによってだといわれる。この小説では,急進的インテリゲンチャバザーロフがその学友アルカージーによってニヒリストと呼ばれている。この意味でのニヒリズムは,ロシアの社会主義運動における一種の反体制的立場として,ヘーゲル左派の影響下に1855年のアレクサンドル2世の即位から70年ごろにかけて盛んであった。チェルヌイシェフスキーは60年代におけるこの種の革命運動の精神的指導者である。また革命的無政府主義の創始者バクーニンはニヒリストたちの党派と手を握って革命を扇動した。

 だが現代思想にとって最も重要なのは,ニヒリズムに関するニーチェの思想である。ロシアのニヒリストたちがアレクサンドル2世を暗殺して処刑された年,すなわち1881年の秋の遺稿で,ニーチェはすでに,おそらく彼らの立場を指してニヒリズムという語を用いている(のちのいわゆる〈能動的ニヒリズム〉)。彼がもっと広い一般的な意味でこの語を用いはじめたのは,おそらくブールジェの《現代心理試論》(1883)からデカダンスについて学んだことに関係して,86年夏以来のことである(いわゆる〈受動的ニヒリズム〉)。彼はさらに同年末以降,ドストエフスキーの《主婦》《虐げられた人々》《死の家の記録》《悪霊》などをフランス語訳で読み,地下的・流刑囚的生活者の力強い意志,およびキリスト者の病的な心理について学ぶところがあった。かくして晩年のニーチェの精神史的洞察によれば,人々がプラトンのイデア論以来の形而上学的伝統を通じて,これまで真の実在だと信じこまされてきた超越的な最高の諸価値,特にキリスト教の道徳的諸価値が,今やその有効性を失って虚無化しはじめているが,たとえ根本的には虚無であったにしても,そういう超越的諸価値こそが真の実在だと信じられて,それによって人々がこれまで秩序ある共同生活を送ってきたことこそが,西洋の歴史を根本的に規定してきた論理であると考え,そういう西洋の歴史の論理そのものを彼はニヒリズムの本質と見る。従来は潜在的であったそういうニヒリズムの本質が今や顕在化し,超越的諸価値に対する信仰が失われた結果,人間の共同生活がその根拠を失い,現実世界が実は本質的に権力意志の争いの世界としての様相をもつことが暴露されるにいたった現代の危機的状況を,彼は〈神の死〉と名づける。そういう危機的状況から逃避せず,むしろそれに徹底することを通じてそれを超克しようとする〈ある極端なニヒリズム〉に,彼のすべての根本思想の核心が存する。

 これに対してハイデッガーは,ヨーロッパの形而上学そのものが全体としてニヒリズムにほかならず,それはプラトンに始まりニーチェにおいて完結したと見る。彼によれば,形而上学の根本的な問いは,〈なぜそもそも存在者があるのか,虚無があるのではないのか〉という形でライプニッツによって初めて定式化された。形而上学が存在者の充足理由としての存在しか問わなかったことを批判して,存在者としては虚無である存在そのものへの問いに専心した点で,彼の思想は東洋の無の思想によほど接近している。だが総じて東洋の無が肯定的な意味をもつのに対し,西洋のそれは一般に身の毛もよだつ虚無という意味を含意しており,虚無としての意識の否定性のうちに人間の対自存在の深淵をみてとったサルトルの実存思想の場合もまた,現代におけるその顕著な一例である。
執筆者:

インド思想の中で,〈ニヒリズム〉という言葉が当てられるものとしては,二つばかりある。一つは〈ナースティキヤnāstikya〉で,正統バラモン教,正統ヒンドゥー教の側から,仏教やジャイナ教に対して投げかけられた言葉である。この言葉は,〈ベーダ聖典の規定にのっとって行われる祭式によって来世に獲得される天界は存在しない(ナアスティna asti)〉ということに由来するとされる。つまり,ベーダ聖典を権威と認めない宗教思想を指しているのである。もう一つは仏教の〈空〉の思想である。これは,いわゆる概念的な思考(言葉)によって理解されているものごとは,ありのままの真実ではないということを主張するものであるが,ヒンドゥー教徒などからは,いっさいのものごとの存在を認めない虚無主義と曲解されたのである。

執筆者:

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百科事典マイペディア 「ニヒリズム」の意味・わかりやすい解説

ニヒリズム

〈虚無主義〉。語源は〈無・虚無〉を意味するラテン語nihil。一切の既成の価値・秩序・権威を否定する立場。この語の使用はF.ヤコビ(1799年)に始まり,バーダー(1826年)によって信仰と知性の分裂をもたらした反教会的危険思想の意で用いられ,さらにツルゲーネフが《父の子》(1862年)の中で主人公をニヒリストと呼んで以来一般化し,ニヒリズムは1860年代から1970年代にかけて,ロシアの急進的革命思想として盛行した。哲学的には,プラトン以来の形而上学およびキリスト教道徳の支配下にあった西洋の歴史の論理そのものにニヒリズムの本質を見て,〈神の死〉とそれを超克する〈極端なニヒリズム〉を説くニーチェと,さらに当のニーチェさえ〈最後の形而上学者〉として存在の原郷への還帰を強調するハイデッガーが重要である。西洋哲学におけるニヒリズムの否定性は東洋における〈無〉の思想とは性格と強度を異にすると言わなければならない。→
→関連項目父と子

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ニヒリズム」の解説

ニヒリズム
Nihilism[英],nigilizm[ロシア]

虚無主義と訳される。いかなる絶対的な真理も存在しないという認識論上のニヒリズムは,古代ギリシアのソフィストにさかのぼるが,義務や規範を否定する哲学上のニヒリズムは,ニーチェによって取り上げられた。さらに国家や社会秩序を否定する政治上のニヒリズムは,トゥルゲーネフの『父と子』に描かれて以来,1860~70年代のロシアのインテリゲンツィアの思想とみなされるに至った。ナロードニキが西欧ではニヒリストと呼ばれた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ニヒリズム」の解説

ニヒリズム
nihilism

因習と伝統を否定し,いかなる権威や国家の秩序にも従属しないとする立場。「虚無主義」と訳される
ラテン語のnihil(無)に由来し,ロシアの作家トゥルゲーネフの小説『父と子』(1862)によって広められた。ドイツの思想家ニーチェは,さらにこれを哲学上の問題として,「能動的ニヒリズム」の必要性を主張した。ロシアでは,チェルヌイシェフスキーの小説『何をなすべきか』やドブロリューボフ・ピーサレフらの思想家に指導されて社会改革運動に発展,19世紀後半にはニヒリストたちの秘密結社が組織されて,1878年トレポフ将軍の狙撃,81年皇帝アレクサンドル2世の暗殺など,テロリズムを行った。

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世界大百科事典(旧版)内のニヒリズムの言及

【永劫回帰】より

…ニーチェはヨーロッパが依拠してきたいっさいのものを――主体や意識や理性という概念も,科学や宗教や民主主義も――生の実相から離れた虚偽であると看破した。これらの背後にあるプラトン主義やキリスト教も実はニヒリズムの発現でしかないとする彼にとって,唯一の実在は,生成の全体としての自然であり,生の唯一の原理は〈力への意志〉となる。近代的な理性の歴史とその進歩信仰は単なる幕間劇としてその意義を失い,存在の全体の根本性格は無限の時間の中での有限な〈力への意志〉の戯れ,つまり永劫回帰であると彼は言う。…

【神の死】より

ニーチェの用語。〈神は死んだ〉と説いたニーチェにとって,神の死とは単にキリスト教の超克ではなく,ニヒリズムの宣言でもあった。ニーチェによると生の本質は〈力への意志〉であり,力への意志はみずからを維持するために必要な世界解釈を行う。…

【ニーチェ】より

…いずれもアフォリズム集である。《曙光》では特に権力感情の分析が展開され,ヨーロッパ的価値観の底に潜むニヒリズムと〈力への意志〉という後期の問題関連の萌芽が認められる。《華やぐ知慧》には批判的解体に伴うペシミズムから新たな晴朗さへの回復がはっきりと認められる。…

【ハイデッガー】より

…それも人類の歴史の重要な転換期ごとに存在・真理・世界がそのつど別な現象の系列として出現するというだけではなく,それらがきわめて早期からそれぞれの人間的意味を減衰させ,ついには存在と世界の喪失へむかって滔々と流れていくという含みを帯びてくる。すなわち後期ハイデッガーの思想は,その先端において〈ヨーロッパのニヒリズム〉との,ニーチェのそれとはまったく異なる対決へと呼び立てられるのである。この世界はギリシア人のいうコスモスでも,キリスト教徒の信じる摂理の舞台でもなく,もはやいかなる体系化も意味づけをも不可能にする渾沌,無へと突きすすんでいく過程そのものにほかならない。…

※「ニヒリズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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