改訂新版 世界大百科事典 「ヤコビ」の意味・わかりやすい解説
ヤコビ
Carl Gustav Jacob Jacobi
生没年:1804-51
ドイツの数学者。ポツダムのユダヤ系の銀行家の家に生まれ,16歳でベルリン大学へ入学した。大学の教育にはあきたらず,L.オイラーの著書をかたっぱしから読んで数学を身につけた。1825年にベルリン大学から学位を授与され,26年にケーニヒスベルク大学(現,カリーニングラード大学)へ講師として移り,27年に助教授,31年に教授となった。42年に糖尿病で辞任するまでここにいたが,その後はベルリンへ居を移し,痘瘡が原因で他界するまで自由な境遇で研究に従事した。
ヤコビは同時代のノルウェーのN. H.アーベルとまったく同じ発想で,楕円積分が表す関数の逆関数を考え,これが二重周期関数であることを証明し,楕円関数と名づけた。さらに,3種の楕円関数sn,cn,dnを導入して,この関数の研究に進展をもたらした。
行列式に関する研究も知られている。n個の独立変数をもつ関数fi(x1,x2,……,xn)と,これらの関数の第1階偏導関数∂fi/∂xk(i=1,2,……,n; k=1,2,……,n)で作られた行列式をJ.J.シルベスターは〈ヤコビの行列式〉と名づけて,重要視していた。
力学では,正準変数の概念を一般化してW.R.ハミルトンが与えた偏微分方程式を簡易化し,天体力学や数理物理学で重要な役割を演ずるようにした。それで後世ではハミルトン=ヤコビの偏微分方程式と呼ぶようになった。
執筆者:小堀 憲
ヤコビ
Moritz Hermann von Jacobi
生没年:1801-74
ドイツに生まれロシアで活躍した電気物理学者。初期の電動機をボート駆動用に用いることを試みた。ポツダムに生まれ,父は銀行家で,弟C. G. J.ヤコビは数学者として有名になった。モリッツ・ヤコビはゲッティンゲンで建築学を学び,電気学にも早くから興味をもった。1837年に招かれてペテルブルグ(現,サンクト・ペテルブルグ)にうつった。ロシア皇帝が彼に与えた援助は,電気研究に対する史上初の国家援助であった。ヤコビは,34年につくった回転式電動機を改良して,39年に約1馬力の電動機を製作した。彼はこの電動機を長さ約8mのボートにとりつけて64個の電池でまわし,14人をのせてネバ川を毎時約4kmの速度でさかのぼらせた。これは電動機を交通機関に使う最初の試みであった。電源に使う電池が高くつくので,この試みはそれ以上には進展しなかった。ヤコビは電鋳,電信,アーク灯街路照明の実験も行った。また,学者の間に共通の電気単位が存在しないことの不便さに気づき,みずから標準抵抗をつくってヨーロッパの物理学者の間を巡回させた。
執筆者:高橋 雄造
ヤコビ
Friedrich Heinrich Jacobi
生没年:1743-1819
ドイツの哲学者。デュッセルドルフに生まれ,ジュネーブ大学に学び,のち商人,財務官の生活を送り,1804年にミュンヘン学士院長となる。ヤコビの哲学は,〈信仰哲学〉あるいは〈感情哲学〉として知られ,カントも含めた啓蒙的合理主義の理性による認識の間接性,抽象性を批判して,外界の認識においても,超感覚的,神的世界の認識においても,直接的な知としての感情あるいは信仰によるべきことを説く。ここには,人間の経験的認識の確実性の根拠を信念にまで還元するヒュームの影響がみとめられるとともに,感情を重視するルソーの影響がとりわけ強く,彼の文体にまで及んでいる。ハーマン,ヘルダーらの盟友とともに,ここに形づくられた反啓蒙的な思想の潮流は,のちのシュレーゲル兄弟,シュライエルマハーらのドイツ・ロマン派の先駆をなす。主著は《スピノザの学説》(1785),《神的事物とその啓示》(1811)など。
執筆者:坂部 恵
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報