改訂新版 世界大百科事典 「神の死」の意味・わかりやすい解説
神の死 (かみのし)
ニーチェの用語。〈神は死んだ〉と説いたニーチェにとって,神の死とは単にキリスト教の超克ではなく,ニヒリズムの宣言でもあった。ニーチェによると生の本質は〈力への意志〉であり,力への意志はみずからを維持するために必要な世界解釈を行う。キリスト教は弱者が虚構した世界解釈である。優れた強者は自己を善とし弱者を劣悪とするが,畜群的な弱者はこの価値観を転倒させ,支配する強者を邪悪と規定してみずからを基準の位置に高め,正当化する。来世において弱者が支配者となり,強者は貶(おと)しめられると考える。キリスト教道徳は,畜群的弱者の自己正当化にほかならず,神とは,この道徳の総体また根拠である。ニーチェによると,キリスト教はプラトン主義と結合し,大地を棄てて彼岸に真理の世界を虚構する。この虚構性の洞察が〈神の死〉の宣告であった。〈神の死〉は彼岸的真理の世界の否定と結合している。真理とか世界の目的とか秩序とかいうものは理性の仮構にすぎない。このような最高価値の価値喪失がニヒリズムである。それは宗教的信仰と哲学的理性の失権の宣告であった。ニーチェ自身はニヒリズムを〈力への意志〉の自覚の徹底によって克服したと考えた。20世紀になって,宗教的信仰と哲学的理性の失権は多くの人たちの現実の問題として自覚された。1950年代のアメリカでは超越的他者を否定して成り立つ宗教的信仰の立場が〈神の死の神学〉として模索された。神の死は20世紀の課題の先取りであった。
→ニヒリズム
執筆者:八木 誠一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報