精選版 日本国語大辞典 「無」の意味・読み・例文・類語
な【無】
な・し【無】
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西洋の哲学は当初から概して存在論としての性格を有する。それは存在者の総体(近代的にいえば対象一般)に関する学であり,〈存在者はあり,無はない〉,あるいは〈無からは何も生じないex nihilo fit nihil〉という考え方に支配されてきた。したがって,深淵あるいは空虚(真空)としての無に対する強い恐怖心はあったものの,現代においてニヒリズムが顕在化するまでは,無は概して存在者一般との関係において問題とされるにとどまり,それ自体として主題化されることはなかった。
カントが《純粋理性批判》の分析論の末尾で範疇表に即して提示している無の分類もまた,対象一般という概念との関係におけるものである。その第1の〈対象のない空虚な概念としての無〉は,第4の〈概念のない空虚な対象としての無〉に対応する。両者はいずれも空虚な概念であるが,後者は自己矛盾する概念の対象として不可能なもの,たとえば2直線で囲まれる図形のような否定的無nihil negativumであるのに対し,前者はたとえば可想体noumenonのような思惟的実在ens rationisであり,皆無Keinesではあるが,必ずしも不可能なものではない。次いで第2の〈或る概念の空虚な対象としての無〉は,第3の〈対象のない空虚な直観としての無〉に対応する。両者はいずれも概念に対する空虚な与件であるが,前者は否定性の範疇に応ずるものとして,たとえば光を欠く影のような欠如的無nihil privativumであるのに対し,後者は実体のない単なる直観形式であり,たとえば純粋な空間および時間のような構想的無ens imaginariumである。
カントは質の範疇に関して否定性の無だけしか取り上げていないが,新カント学派のH.コーエンは実在性と否定性との総合としての制限性という範疇に特に注目し,それに応ずる〈根源の判断〉を論理学の最初に置いた。これは或る限定的な無(ギリシア語でいえば,ouk onではなくてmē on)を媒介として概念を根源的に生産する判断であり,S ist non-P(SはPでないものである)という無限判断の形で表現されて,SとPとの概念共同態がSという概念の根源として先取されることを提示する。ヘーゲルの論理学では,存在と無はいずれも純粋な抽象態であって内容的には一つであり,弁証法の原理に従って存在は無に転換し,両者は生成として総合される。
総じて無の概念をヨーロッパ思想に導入したのは,むしろユダヤ・キリスト教的な宇宙論における,〈無からの創造creatio ex nihilo〉という教説であった。だが現代の実存哲学において無は初めて主題化されるにいたった。ハイデッガーは,人間の現存在を死の不安においてある存在として把握し,また伝統的形而上学においてはもっぱら存在者が問題にされて,無としての存在が忘却されてきたと批判した。サルトルは,意識としての人間の対自存在そのものを〈無化する無néant néantisant〉として把握した。
執筆者:吉沢 伝三郎
一般にインドでは,古くから,ふつうならば肯定的に表現してもよさそうなところを,さらに否定的な表現をすることが多かった。たとえば,〈心楽しく安らか〉ということを,インドではしばしば〈無憂〉と呼ぶ。宗教文献になるとこの傾向はさらに顕著になる。その理由は,真実は,日常われわれが用いていることばによっては表現することができない,という考えが支配的であったということである。ウパニシャッドの有名な文句に,〈そうではない,そうではない〉というのがある。これは,本当の自我(アートマン)は,いかなることばをもってしても指し示すことはできないということをいったものである。また,単なる無をさらに押し進めた〈空〉を主張した中観派の開祖として知られる竜樹(ナーガールジュナ)は,ことばのもつ限界,自己矛盾を徹底的にあばいた。彼の,〈不生不滅〉に始まるいわゆる〈八不〉は,いわば,真実を前にした累々たる屍の山を示したものであるといえる。
→存在論 →ニヒリズム
執筆者:宮元 啓一
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厳密には、いかなる意味でも「存在」しないものを「無」というべきだが、最近の西洋哲学では、存在する事物=存在者ではないものをさして「無」とよぶことが多い。たとえばハイデッガーの『形而上(けいじじょう)学とは何か』(1929)によれば、事実的な対象としてある事物=存在者をすべて退去、滑落させる「不安」の情態性において、個々的な事実=存在者では「無い」ところの「無」が開示される。しかも、「不安の無の明るい夜」に開示されるその「無」のうちに、人間が情態(気分)的に己を投入することは、あれこれの存在者を全体として滑落させつつ越える「超越」の生起であり、この超越は個々的事実としての存在者に対する漠たる対立という以上に、存在者を存在者たらしめる根拠である「存在」に聴従することである。それゆえ、この種の用法における「無」は、存在者とは区別される限りでの「存在」そのものに近づく。
なお、サルトルの主著『存在と無』(1943)における「無」は、ハイデッガーの場合とも異なり、結局は意識、主体性、自由を意味する。サルトル的な意識はどこまでも対象指向的な純粋作用そのものであり、いかなる意味においても対象=事物=存在者ではなく、それゆえ「無」としかいえない。まったく質料的、物的、「即自存在」的なものを含まない絶対の作用性(対自存在)をサルトルは「無」と規定したわけである。
[山崎庸佑]
中国における無の思想の精華は、『老子(ろうし)』や『荘子(そうじ)』の無を展開した魏(ぎ)の王弼(おうひつ)(226―249)にみることができる。元来『老子』の無は、有に対する単純な否定の意味とともに有の意味をもあわせもっていた。だから「有が無から生まれる」ともいえた。このように『老子』は通俗的な有無の対立を超えた無を想定してはいるが、現実存在を完全に否定しきったところに得られるような形式概念には至っていない。無の思想の萌芽(ほうが)的段階なのである。『荘子』は思索を一歩進める。「無用の用」というように、有の意義は無の作用によって生ずることを論理化したことで、それは無の無規定性、無限定性の発見に負うものである。そこでさらにいう。無が、有に対する無としてとくに執着されねばならないものであるならば、その無は否定されねばならない、と。
魏の何晏(かあん)(?―249)は「道は何もないもの、すなわち無である」(無名論)と道破(論破)する。無を道家(どうか)の最高概念である道と同じにみることは、魏・晋(しん)では一般化していった。王弼は『老子』で「道は一を生じ云々」に注して「万物は万形であるが、その中心は一である。何によって一になるかといえば、それは無によってである」という。無はここに至って絶対的な統一原理としての形式概念となり、道家の伝統的な道はむしろ無の下位に位置づけられる。「道は無形無名であるからこそ万物を形成できる」(『老子』1章注)。
こうして『老子』『荘子』以来の無は王弼によって整理展開され、万物を存在づける究極的原因であり、また雑多な差別を統一づける普遍的原理として、その究極的な根源性を明確にした。
[町田三郎]
『大江精志郎訳『ハイデッガー選集1 形而上学とは何か』(1979・理想社)』▽『サルトル著、松浪信三郎訳『存在と無』全三巻(1956~60・人文書院)』▽『津田左右吉著『道家の思想とその展開』(1939・岩波書店)』▽『金谷治「老荘思想における無」(『理想』382号所収・1965・理想社)』▽『森三樹三郎著『無の思想』(講談社現代新書)』▽『松本雅明著『中国古代における自然思想の展開』(1973・国書刊行会)』
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…このうち墨子は,孔子の仁愛が家族を中心とする閉じられた生活共同体への愛であることに反対し,天の神の意志である人類愛,すなわち兼愛を主張した。そのあとに出た儒家の孟子は,墨子の兼愛説を無君無父(君を無(な)みし父を無みす)の思想として激しく攻撃するとともに,他方では人間の自然の性のうちに善が内在するという性善説を唱え,これが永く儒家の正統思想となった。これに対して道家の老子は,儒家の道徳を不自然な人為の産物として否定し,無為自然こそ天の道であることを強調した。…
※「無」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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