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ネー ネーNey, Michel

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ネー
Ney, Michel

[生]1769.1.10. ザールルイ
[没]1815.12.7. パリ
フランスの陸軍軍人。ネイとも表記される。法律事務所の書記から,1788年にフランス軍に入隊。フランス革命戦争で戦功を立て,99年に師団長となった。 1804年ナポレオン1世により陸軍元帥に任じられ,05年エルヒンゲンの戦いに勝ち,その後もイェナケーニヒスベルク,アイラウに転戦し,07年にはフリートラントで戦功を立てた。 08年エルヒンゲン公爵を授与され,12年のロシア遠征ではボロジノの戦いで功績をあげてモスクワ公爵の称号を授けられた。ロシアからの退却では後衛軍を指揮した。 14年には将軍たちの先鋒となってナポレオンに退位を求め,第1次王政復古ではブザンソンの知事となった。しかし 15年にエルバ島から逃れたナポレオンの配下となり,ワーテルローの会戦では中心的な役割を演じたため,第2次王政復古で反逆罪により銃殺された。

ネー
ney

楽器の一種。アシ (葦) を意味するペルシア語。アシ製で前面に5~6孔,裏に1孔をもつ尺八式の縦笛。西アジア北アフリカ一帯で古典音楽民族音楽に用いられ,アラビア音楽圏内ではナイという。

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世界大百科事典 第2版の解説

ネー【Michel Ney】

1769‐1815
フランス革命期およびナポレオン時代の軍人。樽屋の子として生まれた。1788年に軍隊に入り,革命戦争で武勲をたて,99年にライン軍司令官として少将に昇進したが,つねに兵卒と起居をともにし,〈勇者中の勇者〉とうたわれた。ナポレオンのもとでさらに戦功をあげ,1804年に元帥,08年に公爵となり,12年のロシア遠征の際には,退却のしんがりを守って勇戦し,モスコバ公の称号を与えられた。14年にナポレオンが退位したのち,しばらくルイ18世に仕えたが,百日天下に際して再びナポレオンのもとで戦ったため,王政復古とともに捕らえられ,反逆罪で銃殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ネー
ねー
Michel Ney, duc d'Elchingen, prince de la Moskova
(1769―1815)

フランスの軍人。町家の出。1788年軍に入り、92年からの革命戦争、とくに94~96年の戦役に活躍して立身、96年将軍となった。ナポレオン1世に仕えて、1804年元帥、歴戦の軍功により08年エルヒンゲン公の称を得た。質朴にして勇猛果敢、「勇者中の勇者」といわれ、広く信望を博し、半島戦争スペイン独立戦争)、モスクワ遠征に従軍、モスクワからの退却にも活躍し、12年モスクワ公の称を得た。13~14年の戦役にも奮戦したが、一方でナポレオン退位を促進、その退位後にはルイ18世に尽くして貴族に叙せられた。ナポレオンのエルバ島脱出に際し、その阻止に向かい、軍のナポレオン崇拝熱のうちに寝返ったが、15年ワーテルローの戦いに敗れ、王政復古下、謀反罪をもって裁かれ、銃殺刑に処された。なお1802年、マリ・アントアネット付き侍女の娘と結婚している。[山上正太郎]

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