デジタル大辞泉
「ハイルブロン」の意味・読み・例文・類語
ハイルブロン(Heilbronn)
ドイツ南西部、バーデン‐ビュルテンベルク州の都市。ネッカー川沿いにあり、ワイン産地としても知られる。13世紀のキリアン教会や16世紀の天文時計がある市庁舎など、歴史的建造物の多くは第二次大戦時に被災し、戦後に修復された。
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ハイルブロン
Heilbronn
ドイツ南西部,ネッカー川中流にあるバーデン・ビュルテンブルク州の小都市。人口11万9526(1999)。フランク時代に王領地として記録に現れ,13世紀シュタウフェン朝の家領となる。大空位時代に自由帝国都市となり,商業地として栄えた。1525年ドイツ農民戦争が勃発したとき,ネカータール・オーデンワルト農民団の指導者ヒプラーWendel Hipler(1465ころ-1526)は,5月中旬,ここに農民議会を招集しようとした。そのために作成されたのが《ハイルブロン綱領》で,市民的立場に立って帝国を改造し,封建的諸権利を制限することをうたっている。19世紀以降シュトゥットガルトとならぶシュワーベン地方の商工業の中心として発展,食品,機械,化学工業などが盛んである。
執筆者:瀬原 義生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「ハイルブロン」の意味・わかりやすい解説
ハイルブロン
ドイツ,バーデン・ビュルテンベルク州,ネッカー川沿いの都市。13世紀からシュタウフェン朝の家領。大空位時代に商業地として発達。1944年に英空軍の空襲によりほぼ完全に破壊されたが,多くの歴史的建造物(キリアン教会等)は戦後に修復された。ぶどう栽培地が多く,機械,自動車,食品,製塩などの工業も盛ん。ネッカー川,ライン川を流れる大型船の荷物積み替え場としての河港も重要。クライストの戯曲《ハイルブロンのケートヘン》はこの町の町長の娘をモデルとしている。12万4300人(2011)。
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ハイルブロン
Heilbron, Sir Ian Morris
[生]1886.11.6. グラスゴー
[没]1959.9.14.
イギリスの有機化学者。グラスゴーの王立理工科大学卒業後,ライプチヒ大学に留学し,学位取得 (1910) ,さらにグラスゴー大学で学んだ。リバプール,マンチェスター,ロンドンの各大学の有機化学教授を歴任し,1949年より,醸造産業研究所の研究主任をつとめた。テルペン,ステリン,ビタミンA,スクアレンなどの研究で知られる。ロイヤル・ソサエティ会員 (1931) 。 46年ナイトの称号を贈られ,51年ロイヤル・メダルを受ける。
ハイルブロン
Heilbronn
ドイツ南西部,バーデンウュルテンベルク州の都市。シュツットガルトの北約 40km,ライン川の支流ネッカー川沿いに位置する。ローマ時代の集落の跡に建設された町で,741年歴史に現れ,カロリング王家の城が建てられた。キリアヌス聖堂 (13世紀,15~16世紀に増築) の祭壇の下から泉が湧いたことから,「聖泉」を地名とし,1281年に帝国直轄都市となった。古くからネッカー川の荷揚げ場として商業が発達し,現在も商業,交通運輸,通信の中心。金属加工,ワイン生産にも特色がある。人口 12万2415(2010)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ハイルブロン
はいるぶろん
Heilbronn
ドイツ南西部、バーデン・ウュルテンベルク州の都市。人口11万9300(2000)。ネッカー川右岸に位置する。ネッカー川の水運とワイン取引とで繁栄し、1298年に神聖ローマ帝国の直轄都市になった。現在でも周辺の丘陵地や河谷斜面にブドウ畑が多い。19世紀より近代工業が発達し、ネッカー河港に隣接する工業地域には、製粉、発電、化学、自動車などの工業が立地する。
[朝野洋一]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ハイルブロン
生年月日:1886年11月6日
イギリスの化学者
1959年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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