第29代アメリカ合衆国大統領。在職1921-23年。オハイオ州に生まれ,同州で《マリオン・スター》紙の社主として活躍。州政治から政界入りし,連邦上院議員(1915-21)を経て,共和党から出馬し大統領となる。ハーディング内閣は,一面ではC.E.ヒューズやH.C.フーバーなど有能な閣僚に恵まれ,ワシントン軍縮会議(1921-22)やその他外交面での成果を上げ,また第1次大戦後の不安定な経済を順調な軌道にのせることに成功した。しかし同時にそれは,高率関税にみられるような企業厚遇の経済政策に走り,それを自由放任主義的な保守政治への回帰とみる人も多かった。一方,ハーディング政権の名声を著しく傷つけたものは,一部閣僚や側近者を巻き込んだ汚職事件であり,なかでもティーポット・ドーム油田疑獄事件は,あたかも政権自体が腐敗しているかのような印象を残した。ハーディングは,事件が公となる前,遊説先のサンフランシスコで病に倒れ,客死した。
執筆者:青木 怜子
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アメリカ合衆国第29代大統領(在任1921~23)。11月2日オハイオ州生まれ。ジャーナリズムで活躍したのち政界に入り、オハイオ州上院議員(1900~04)、同州副知事(1904~06)、連邦上院議員(1915~21)を歴任。1920年の選挙で共和党の大統領候補として「平常への復帰」を掲げて当選。保守的で、実業界の利益を重視して、政治の腐敗を招き、施政期にティーポット・ドーム事件など汚職事件が頻発した。指導性に欠けたが、ヒューズ国務長官やフーバー商務長官など有能な閣僚に恵まれ、ワシントン会議(1921~22)は成功裏に終わり、国内経済も未曽有(みぞう)の繁栄に向かった。23年8月2日遊説旅行中にサンフランシスコで急死した。
[新川健三郎]
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1865~1923
アメリカの政治家,第29代大統領(在任1921~23)。共和党員。1920年の大統領選挙で「正常への復帰」をスローガンに当選。ワシントン会議の海軍軍縮などでは成果をあげたが,指導力が弱く,施政期に汚職事件が頻発した。在任中に急病死。
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…以上の対立と並行して,列国とくに日米間には大戦末期以来海軍軍拡競争が進行中であり,各国の戦後復興にとって大きな負担となっていた。ここにW.G.ハーディング・アメリカ大統領は,軍備制限と東アジア・太平洋問題のための国際会議を提唱し,日本,アメリカ,イギリス,フランス,イタリア,ベルギー,オランダ,ポルトガル,中国の9ヵ国が参加することとなった。アメリカは,日本の中国進出の一支柱であった日英同盟が1921年に満期となることに着目し,これを終了させて新たな列国関係をつくり出すことを意図して,会議を提唱したのであった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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