ハーディング(その他表記)Warren Gamaliel Harding

精選版 日本国語大辞典 「ハーディング」の意味・読み・例文・類語

ハーディング

  1. ( Warren Gamaliel Harding ウォーレン=ギャメイリエル━ ) アメリカ合衆国第二九代大統領(在任一九二一━二三)。共和党。大企業優先の産業奨励策をとり、また太平洋でのアメリカの勢力拡大に成功閣僚汚職事件との関係が暴露されて非難された。(一八六五‐一九二三

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改訂新版 世界大百科事典 「ハーディング」の意味・わかりやすい解説

ハーディング
Warren Gamaliel Harding
生没年:1865-1923

第29代アメリカ合衆国大統領。在職1921-23年。オハイオ州に生まれ,同州で《マリオン・スター》紙の社主として活躍。州政治から政界入りし,連邦上院議員(1915-21)を経て,共和党から出馬し大統領となる。ハーディング内閣は,一面ではC.E.ヒューズやH.C.フーバーなど有能な閣僚に恵まれ,ワシントン軍縮会議(1921-22)やその他外交面での成果を上げ,また第1次大戦後の不安定な経済を順調な軌道にのせることに成功した。しかし同時にそれは,高率関税にみられるような企業厚遇の経済政策に走り,それを自由放任主義的な保守政治への回帰とみる人も多かった。一方,ハーディング政権の名声を著しく傷つけたものは,一部閣僚や側近者を巻き込んだ汚職事件であり,なかでもティーポット・ドーム油田疑獄事件は,あたかも政権自体が腐敗しているかのような印象を残した。ハーディングは,事件が公となる前,遊説先のサンフランシスコで病に倒れ,客死した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーディング」の意味・わかりやすい解説

ハーディング
Harding, Warren Gamaliel

[生]1865.11.2. オハイオ,コルシカ
[没]1923.8.2. カリフォルニア,サンフランシスコ
アメリカの政治家。第 29代大統領 (在任 1921~23) 。地方新聞の経営を足掛りに政界に進出,1899年オハイオ州上院議員,1915年合衆国上院議員となった。第1次世界大戦中は孤立主義を唱え,外交委員会に属して W.ウィルソンの平和構想に強く反対した。 20年の大統領選挙では共和党候補として「常態への復帰」を掲げて圧勝。 21年8月対ドイツ単独講和を結び,22年にはワシントン海軍軍備制限条約をイギリス,日本,フランス,イタリアとの間に締結。内政面では大資本保護政策,報償人事に伴うスキャンダル,閣僚の汚職で世論の鋭い批判にさらされ,政権崩壊寸前に西部遊説の途上で急死した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハーディング」の意味・わかりやすい解説

ハーディング
はーでぃんぐ
Warren Gamaliel Harding
(1865―1923)

アメリカ合衆国第29代大統領(在任1921~23)。11月2日オハイオ州生まれ。ジャーナリズムで活躍したのち政界に入り、オハイオ州上院議員(1900~04)、同州副知事(1904~06)、連邦上院議員(1915~21)を歴任。1920年の選挙で共和党の大統領候補として「平常への復帰」を掲げて当選。保守的で、実業界の利益を重視して、政治の腐敗を招き、施政期にティーポット・ドーム事件など汚職事件が頻発した。指導性に欠けたが、ヒューズ国務長官やフーバー商務長官など有能な閣僚に恵まれ、ワシントン会議(1921~22)は成功裏に終わり、国内経済も未曽有(みぞう)の繁栄に向かった。23年8月2日遊説旅行中にサンフランシスコで急死した。

[新川健三郎]


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百科事典マイペディア 「ハーディング」の意味・わかりやすい解説

ハーディング

米国の政治家。第29代大統領(1921年―1923年)。共和党。オハイオ州の連邦上院議員として政界に入る。〈平常への復帰〉をスローガンとして第1次大戦に疲れた選挙民の支持をえて当選。ワシントン軍縮会議など外交面での成果があったが,ティーポット・ドーム油田疑獄事件など側近の汚職事件が続発。遊説先のサンフランシスコで客死。
→関連項目クーリッジ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハーディング」の解説

ハーディング
Warren Gamaliel Harding

1865~1923

アメリカの政治家,第29代大統領(在任1921~23)。共和党員。1920年の大統領選挙で「正常への復帰」をスローガンに当選。ワシントン会議の海軍軍縮などでは成果をあげたが,指導力が弱く,施政期に汚職事件が頻発した。在任中に急病死。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ハーディング」の解説

ハーディング
Warren Gamaliel Harding

1865〜1923
アメリカの第29代大統領(在任1921〜23)
第一次世界大戦後,共和党から「平常に帰れ」を掲げて当選。ウィルソン前大統領の政策に反対し,自由放任主義とモンロー主義に立脚した。ワシントン会議を主催し,平和維持に努力したが,在職中,多くの疑獄事件を起こした。旅行先で急死。

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世界大百科事典(旧版)内のハーディングの言及

【ワシントン体制】より

…以上の対立と並行して,列国とくに日米間には大戦末期以来海軍軍拡競争が進行中であり,各国の戦後復興にとって大きな負担となっていた。ここにW.G.ハーディング・アメリカ大統領は,軍備制限と東アジア・太平洋問題のための国際会議を提唱し,日本,アメリカ,イギリス,フランス,イタリア,ベルギー,オランダ,ポルトガル,中国の9ヵ国が参加することとなった。アメリカは,日本の中国進出の一支柱であった日英同盟が1921年に満期となることに着目し,これを終了させて新たな列国関係をつくり出すことを意図して,会議を提唱したのであった。…

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