バイユー(読み)ばいゆー(英語表記)Bayeux

日本大百科全書(ニッポニカ)「バイユー」の解説

バイユー
ばいゆー
Bayeux

フランス北西部、カルバドス県の都市。人口1万4961(1999)。4世紀以後司教区が置かれた古い町で、大聖堂は大部分が13世紀の建立、ロマネスク・ゴシック様式である。大聖堂の南に建つ旧牧師館には、いわゆる「マティルダ(マティルド)王女の刺しゅう」とされる長さ約70メートルの「バイユー・タペストリー」があり、ノルマン人によるイギリス人征服に関する約70の場面が示されている。第二次世界大戦におけるノルマンディー上陸作戦により、フランスで最初に連合軍に解放(1944年6月8日)された都市としても有名。

[高橋伸夫]

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デジタル大辞泉「バイユー」の解説

バイユー(bayou)

米国ルイジアナ州のミシシッピ川下流域にみられる、流れのゆるやかなところ。

バイユー(Bayeux)

フランス北西部、ノルマンディー地方、カルバドス県の都市。大部分が13世紀に建造されたノルマンゴシック様式を代表するノートルダム大聖堂や、ノルマンディー公ウィリアム1世征服王)によるイングランド征服を描いた「バイユーのタペストリー」を展示するバイユー美術館がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「バイユー」の解説

バイユー
Baillou, Guillaume de

[生]1538. パリ
[没]1616. パリ
フランスの内科医で近代疫学の創始者。ラテン名 Ballonius。 1580年パリ大学医学部長。国王の侍医もつとめる。 1570年から 1579年の間に流行病に関する記述をまとめた。これはヒポクラテスの疫病論以来の総合的な業績といわれ,100年後の T.シドナムに影響を与えたとされているが,ギリシア学説を紹介するにとどまり,独自の科学的観察を示すにはいたっていない。また,百日咳を初めて記載し (1578) ,近代的な意味でのリウマチという語を導入した。

バイユー
Bayeu (y Subias), Francisco

[生]1734.3.9. サラゴサ
[没]1795.8.4. マドリード
スペインの画家。サラゴサでホセ・ルサンに学んだあと,マドリードで A.G.ベラスケスに師事。 1763年 R.メングスに招かれて王宮装飾を助け,やがてカルロス3世の宮廷画家となり,88年王の画家になる。新古典主義的画風にロココ風の甘美さを加えた多くの作品を残した。彼はまた F.ゴヤの師,義兄でもあり,ゴヤは彼の肖像画を残している。主要作品は,サラゴサのピラール大聖堂の天井画2点,トレド大聖堂の修道院壁画。

バイユー
Bayeux

フランス北西部,ノルマンディー地方,カルバドス県の町。カンの北西約 30km,オール川沿岸に位置し,レースとプラスチックの製造,酪農製品加工業がある。ガロ・ローマ時代以来の重要な都市で,ノルマン人の公国建設の根拠地でもあった。たびたび戦火を受けたが,11~14世紀の大聖堂,司教館などが残っている。マチルド王妃博物館にあるノルマン王のイングランド征服 (→ノルマン・コンクェスト ) の図を示すバイユー・タペストリーは有名。人口1万 4568 (1982) 。

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世界大百科事典 第2版「バイユー」の解説

バイユー【Bayeux】

フランス北西部,ノルマンディー中部カルバドス県の町。人口1万4721(1982)。シェルブールとカンの間に位置する。第2次大戦末期,フランスで最初に解放された。しかも奇跡的に戦火を免れたため,中世の面影をとどめる。ガリア人,ブルトン人,サクソン人,ノルマン人に次々と支配された古い歴史をもち,11世紀のノートル・ダム大聖堂が残る。また同大聖堂所蔵のいわゆる《バイユーのタピスリー》も名高い。【小野 有五】

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