英語でタペストリーtapestryとも呼ばれる織物。織機に張った経糸(たていと)にボビン(木針)で緯糸(ぬきいと)を通して図柄を織り出す技法は日本の綴織(つづれおり)に相当する。
緯糸は図柄に応じて必要な数の経糸だけに通し,普通の織物のように端から端まで全部の経糸を貫通することはない。経糸はいわば織物の土台として用いられ,織り上がった際には緯糸によって完全に覆われてしまう。したがって経糸にはじょうぶな太い未さらしの木綿糸または毛糸が用いられ,緯糸には色毛糸を主に,絹糸,金・銀糸などが用いられる。経糸の間隔は狭いほど織りが繊細になるが,織物独自のおもしろさが失われる(西欧中世においては1cmにつき5~6本,17世紀には6~7本,18~19世紀には7~8本の経糸が用いられていた。現在は約4本)。緯糸の色数も中世においては25くらいであったが,19世紀には二万数千種にものぼり,色調が微妙になる一方,織物としての色の輝きと対比の妙が失われた。現代では再び色数を限定し,織物特有の力強い色彩効果を求めるようになっている。織機には竪機(たてばた)と臥機(ねばた)の2種類があるが,これは経糸が水平に張られるか,垂直に張られるかの違いであって,織り方は基本的に同じである。タピスリーの用途はおもに壁掛けであるため,大きさは縦,横ともに数mに及ぶものが多く,数人の織師が大きな織機の前に並んで座り,並行して作業を進めてゆく。緯糸をボビンで通す作業はひじょうに手間がかかり,1枚の織物を完成するのに数ヵ月から数十ヵ月を要する。タピスリーはいわば糸で描き出す絵画であり,絵画と同じように複雑な構図を織り出すことのできる特殊な織物といえる。
複雑な図柄をもつために,タピスリーはカルトン(下絵)に基づいて織られる。カルトンは原則として画家によって提供されるが,彩色を施した原寸大のもの,素描あるいは小型の彩色画など形式はさまざまである。これを織物に仕上げてゆく過程で,ある程度織師の自由な裁量にまかされる部分が生まれる。その範囲は中世では比較的大きく,ルネサンス以後19世紀まではきわめて狭かった。20世紀に入ると織物用の特殊なカルトンを用いるタピスリー作家が出現し,現代では自己のデザインをみずから織る作家も少なくない。
タピスリーが古代メソポタミアやギリシアでも織られていたことが神話や聖書などの記述から知られる。しかし多数の作例が残るのは,エジプトの,いわゆるコプト時代(3~7世紀)に入ってからである。死者を葬る棺衣の一部に織りこまれたパネルや壁掛けなどには,滑らかな曲線を出す〈はつり〉の技法やハッチング(段ぼかし)が用いられており,技術的水準の高かったことがわかる(コプト美術)。
西欧ではゴシック時代以降,急速な発展を遂げるが,その制作は中世のかなり早い時期に始まったものと推定される。しかし現存する最古の作例は11世紀末ころの《ザンクト・ゲレオン(ケルン)のタピスリー》,1200年ころの《ハルバーシュタットのタピスリー》《バルディショル(ノルウェー)のタピスリー》で,いずれもロマネスク時代のものである(《バイユーのタピスリー》《ヘロナのタピスリー》もこの時代の作品として知られるが,これらはいずれも刺繡で,慣習的に〈タピスリー〉と呼ばれているにすぎない)。
ゴシック時代後期の1350年ごろ以降,フランスとフランドルを中心に,タピスリーの制作は最盛期を迎え,技術的にも高度で,芸術的価値の高いものがつくられた。石造りの壁体を覆って保温と防湿の役を果たし,しかも自由に取外しのできるタピスリーは,王侯貴族の城館の装飾に最適であった。通常大きさの異なる数枚が一組として織られ,飾る部屋の大きさに応じて自由に組み合わせられるようになっていた。記録によれば,14世紀のフランス国王シャルル5世は約200点近いタピスリーを所有していた。そのうち4分の3は紋章や幾何学文などの比較的単純なものであったが,残りの4分の1には歴史・叙事詩などからとった主題や宗教主題の豪華絢爛(けんらん)たるものが含まれていた。しかし現存するゴシック最古の作品は《アンジェの黙示録》(1373-80。アンジェ城付属美術館)で,これはまた現存するもっとも大規模な作品でもある。シャルル5世の宮廷画家ボンドルJ.Bondolのカルトンをもとに,パリの織師ニコラ・バタイユが王弟アンジュー公ルイの注文により制作したもので,7枚の横長の図柄(1枚は約5m×約20m)を100近い区割りにし,《ヨハネの黙示録》を表す(現存するのは約70場面)。赤地のものと青地のものを交互に配し,ハッチングの技法を縦横に用いて,国際ゴシック様式の時代の絵画をみごとに織物に移し変えている。織師は基本的にはカルトンに忠実に従いながら,随所に植物を織り込むなど自由な工夫を凝らしている。
タピスリーの中心地はパリを除けば,アラス(現在,フランス),トゥールネ,ブリュッセルなどフランドルに集中している。とくにアラスはこの織物を指す普通名詞(イタリア語のアラッツォarazzoなど)として用いられるほど,有名であった。しかし現存するタピスリーの制作地を正確に定めることは,資料を欠くためにほとんど困難になっている。15世紀末の《貴婦人と一角獣》(6枚一組。クリュニー美術館)をはじめとする〈ミル・フルールmille-fleurs(千花模様)〉のタピスリーは,フランドルで織られたと現在では考えられている。〈ミル・フルール〉とは織地一面に小花と小動物を散らすもので,織物の平面的効果を十分に生かしたタピスリー独特の文様である。《一角獣狩り》(7枚一組。ニューヨーク,ザ・クロイスターズ)のうち2枚にもこの文様が用いられている。
16世紀に入ると,タピスリーもその空間表現にルネサンス絵画の線的遠近法を導入し,大きくその様式を変える。ラファエロのカルトンによる《使徒行伝》(10枚一組)は,1515年ごろブリュッセルの織師ファン・アールストPieter van Aelst(?-1531)の工房で織られ,バチカン宮殿のシスティナ礼拝堂の側壁を飾った。ファン・アールストは盛期ルネサンスの複雑な構図をその三次元的空間も含めてみごとに再現している。以後タピスリーは絵画に従属するものとなり,下絵を忠実に写すために中間色を増やし,複雑微妙な色調の変化を追求するようになる。また,フランスでは王権が強まるにつれて,高価なタピスリーを外国(スペイン領フランドル)から輸入するのに要する莫大な経費を削減するために,自国のタピスリー工房の育成につとめ,やがて17世紀初頭にゴブラン製作所が設立され,いわゆるゴブラン織の生産が始まる。スペインにも王立工場が設立され,ゴヤは一時期下絵画家として活躍した。ドイツ,イタリアでもタピスリーの制作が行われたが,フランスが質,量ともに抜きんでている。
現代のタピスリーは20世紀に入り,まずフランスのオービュッソンの製作所での革新によって誕生する。マルタンM.Martin,クットリM.Cuttoliなどの指導のもとに,タピスリーの壁掛けとしての装飾効果を生かすために,色彩の単純化などさまざまな革新が行われた。またルオー,マティスなど現代作家の絵画作品を織物に移す試みも行われる。しかし,もっとも重要な役割を果たしたのはリュルサである。彼は《アンジェの黙示録》など中世のタピスリーに触発され,独自のカルトンを考案して,織師と協力しつつ,タピスリーの新しい美を創造した。パリのゴブラン製作所でもジャノーG.Janneauの指導下に近代化が行われる。リュルサ以後,グロメールM.Gromaire,ピカール・ル・ドゥーPicart le Doux,サン・サーンスM.Saint-Saëns,ドム・ロベールDom Robertなど多くのタピスリー作家が輩出し,個性豊かな作品を次々とデザインした。1962年リュルサの肝いりでタピスリーの国際ビエンナーレがローザンヌで開催され,以後この展覧会が各国のタピスリー作家の創造的な出会いの場として重要な役割を果たしてきた。現代の作家は壁掛けとしてのタピスリーの概念を打ち破り,彫刻やモニュメントを思わせる大胆な作品も制作している。また中南米やエジプトなどでは,地方色豊かな伝統を生かした作品も織られている。
→ゴブラン織 →綴織
執筆者:荒木 成子
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…この民衆的な写実主義がゴシック絵画をマンネリズムのうちに死滅することから救うので,14世紀後半から活躍するネーデルラント出身の芸術家たちはこの着実な写実主義の推進者であった。 壁面をのこさぬ北方のゴシック建築では,壁画は城館の装飾にすぎないが,壁に掛けられたタピスリーが重用され,まずパリとアラス,ついで15世紀にはアラス,トゥールネ,ブリュッセルなどフランドル諸市が制作地で,宗教的・史伝的題材その他,当時の風俗を扱ったものがおもしろい。
[金工]
金工では,エマイユ(七宝)が前代にひきつづいてライン川,マース(ムーズ)川流域の工房とリモージュで製作され,ついで14世紀パリの俗人工房は金工の小像や小箱,杯などの洗練された作品を生み,しばしば透明エマイユをいろどっている。…
…パリ近郊で,とくに17~18世紀,国王の庇護を受けて作られたタピスリー(ヨーロッパの綴織(つづれおり))をさす。その名は広く世界に知られ,ゴブラン織はタピスリーの代名詞としても用いられる。…
… 平面を飾る染織品としては絨毯があったが,室内の立体面も古くから染織品で美化された。中世以後,西洋の室内にタピスリーを掛けることが行われた。これはむき出しの壁をおおって室内を美化することでもあり,あるいは室内の空間を二分し,必要に応じてこの陰にかくれることもできた。…
…文様織の一つ。綴,綴錦とも称し,中国で剋糸(こくし)(克糸,刻糸),欧米でタピスリーtapisserieと呼称されるものがこれに当たる。一般的な多色の紋織物との違いは,紋織物には原則として緯糸に地緯(じぬき)(地組織をなす糸)と絵緯(えぬき)(文様を表す糸)とがあり,地緯はつねに織物の織幅いっぱいに通し糸として用いられるのに対し,綴織では地緯も絵緯も文様にしたがって必要な部分のみ織りはめられ,地緯が織幅いっぱいの通し糸とならないことにある。…
※「タピスリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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