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バスマチ運動 バスマチうんどうBasmachestvo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バスマチ運動
バスマチうんどう
Basmachestvo

十月革命後,中央アジアに起ったイスラム教徒のソビエト政権に反対する武力闘争。イギリス,アメリカ,トルコ,その他の外国干渉勢力や白衛軍の援助を受け,地主,富農,イスラム僧侶などが指導した。 1917年末にコカンドにおいて武力闘争が始り,中央アジア各地に普及し,その間にトルコのエンベル・パシャがこの運動に加わったりしたが,26年頃までに赤軍や現地ソビエト政権によって鎮圧された。しかし,その後 30年代になっても外国からバスマチの侵入があった。バスマチはトルコ語のバスマク basmak (攻撃する) に由来する。

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世界大百科事典 第2版の解説

バスマチうんどう【バスマチ運動】

ロシア帝国の旧植民地トルキスタンにおいて新生のソビエト政権に対して行われた現地ムスリムの〈反革命〉運動。basmacıは〈匪賊,急襲者〉を意味する。運動の参加者には,民族主義者,アミールをはじめとする旧支配者,スーフィー,農民,遊牧民など多様な要素が見いだされ,統一的な組織・綱領は存在しなかった。運動が最も活発であったのは1918‐24年であるが,地域によっては30年代まで存続し,ソビエト政権に多大の脅威を与えた。

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世界大百科事典内のバスマチ運動の言及

【キルギスタン】より

…さらに12月タラス盆地,18年1月オシ郡,2月ピシペク郡,4月ナリン,5~6月プルジェワリスク郡と続き,18年半ばには全土がソビエト政権の支配するところとなり,5月に成立したトルキスタン自治共和国の一部となった。 ソビエト政権は,移住民富農の土地の貧農への分配,炭鉱国有化,国民経済会議の創設などを行ったが,他方バイ(地主)やイスラムの指導者は18年春から夏に南部でバスマチ運動とよばれる農民の反ソビエト運動を組織し,破壊活動を行った。しかし,20年11月ナリンの大暴動のころを最後にバスマチ運動もほぼ鎮圧される。…

※「バスマチ運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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