詩人ダンテの最初の重要な作品。詩と散文の混合形式で,1293年前後に執筆された。散文で叙述された物語の枠組みのなかに31編の詩を収めるが,詩はいずれも1283年から91年にかけて作られた。内訳は短詩28編とカンツォーネ3編で,これらの詩編を中央のカンツォーネの前後に振りわけて,10+(10+1)+10=31編という構造をとらせ,三位一体説の数字に基づき(32+1=10),〈愛〉の物語を展開する。ダンテが9歳のときに同じく9歳の少女ベアトリーチェに恋心を抱いたという形をとっているために,古来,現実的で清純な〈愛〉を歌った物語として読まれる傾向があり,とくにロマン主義的解釈とラファエル前派の詩人たちの影響もあって,日本にはこの種の解釈による翻訳と紹介がなされてきた。しかしながら,《新生》は何よりも清新体派の詩人群のなかにあって,寓意の〈愛〉を軸に新しい文学的境地をひらいたダンテの詩論の書であり,かつ詩的宣言の書である。また内容的には,若くして昇天したベアトリーチェを媒体に,ダンテが見神の体験を詩と散文のうちに定着させようと目ざした作品であり,この意味において《新生》はのちの《神曲》の〈天国編〉に相応する。そして詩人はこの見神の体験をさらに壮大な規模に展開させて,より現実的な〈地獄編〉と〈煉獄編〉を加えることによって,《神曲》を完成させるのである。
→神曲
執筆者:河島 英昭
第2次世界大戦直後の1945年11月に新生社から発行された月刊総合雑誌。岩淵辰雄,馬場恒吾,青野季吉,正宗白鳥ら戦時中不遇だった自由主義者が名を連ねた,仮とじ,32ページ,定価1円20銭の創刊号は,たちまち13万部を売りつくした。国民がいかに自由な言論に飢えていたかを如実に物語るできごとだった。いわゆる大家を動員し,創作も毎号のせた。しかし,無名の青年,青山虎之助が主宰する新生社は,敗戦直後に続出した多くの出版社同様長続きせず,《新生》も47年2・3月合併号で挫折,48年1月から復刊号を7冊出して廃刊となった。なお58年,66年にも同名誌が出されたが,内容はまったく異なる。
執筆者:海老原 光義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イタリアの大詩人ダンテの初期のもっとも重要な作品。1293年前後、詩人が28歳のころ、それまで書きためた詩31編を骨子にし、これらを分析解説する散文を加えて全42(もしくは43)章にまとめあげた詩文集。詩の内訳はソネット25編、カンツォーネ5編、バッラータ1編で、一般には若き日のダンテの習作と考えられがちであるが、子細に検討すると、第23章のカンツォーネを中心に、長短の詩編に振り分けて、10+(10+1)+10=31編という構造をとらせ、三位(さんみ)一体説の数に基づいて「愛」の物語を展開している。
ダンテは9歳のときに同年の美少女ベアトリーチェに会ったが、さらに9年後の18歳のときに彼女に再会して、激しい「愛」を覚えるが、やがてベアトリーチェは昇天してしまう。古来、この作品は清純な恋心を歌った物語として読まれる傾向があるが、正しくは寓意(ぐうい)の「愛」を基軸に、ダンテが新しい文学的境地を開いた詩論の書と考えねばならない。なによりも見神の体験を表現しようと試みた野心作で、その意味では後の『神曲』の「天国編」に相応している。
[河島英昭]
『『新生』(山川丙三郎訳・岩波文庫/三浦逸雄訳・角川文庫)』
総合雑誌。1945年(昭和20)11月から48年10月まで全23冊。新生社発行。編集兼発行人の青山虎之助(とらのすけ)により第二次世界大戦後の混乱期に創刊され一時代を画した。言論、文学界の大家を動員して新生日本の言論をリードしようとしたとみられる。言論面では尾崎行雄、賀川豊彦(とよひこ)、馬場恒吾(つねご)、森戸辰男(たつお)、山川均(ひとし)、大内兵衛(ひょうえ)、文芸面では青野季吉(すえきち)、正宗白鳥(まさむねはくちょう)、永井荷風(かふう)、広津和郎(かずお)、宇野浩二(こうじ)、久保田万太郎、谷崎潤一郎(じゅんいちろう)、上林暁(かんばやしあかつき)、井伏鱒二(いぶせますじ)などが執筆し、当初は異常な売れ行きを示した。青山は新生社を設立し戦後出版界の風雲児として評判をとった。
[栗坪良樹]
『『回想の新生――ある戦後雑誌の軌跡』(1973・「新生」復刻編集委員会)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ダンテ青年時代(1294年頃)の散文まじりの叙情詩集。いわゆる「清新体」風の清純な感傷をもって理想の恋人ベアトリーチェへの思慕をうたい,近代文学の先駆とされる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
… 伊丹万作,俳句の中村草田男とは旧制松山中学校の同窓で同人誌を出した仲間である。小山内薫に師事して戯曲,映画シナリオを書き始め,松竹蒲田の長編第1作《新生》(1920)で脚本家としてデビュー。生涯に書いたシナリオはみずから監督した作品を含め200本以上に及ぶ。…
…《家》執筆中に妻を失った彼は,家事手伝いの姪と過失を犯し,予想される非難を避けて1913年渡仏,16年まで滞在した。この間の経緯は退廃からのよみがえりを主題として,《新生》(1918‐19)に描かれている。社会的に葬られることも覚悟したこの告白は,むしろその誠実さによって評価され,彼は生涯最大の危機を切り抜けた。…
…それは出版に顕著に現れた。1945年11月には戦後最初の総合誌《新生》が創刊され,活字に飢えていた人びとの支持をえた。続いて《人民評論》《民主評論》などの雑誌が創刊された。…
…しかしながら13世紀後半,ホーエンシュタウフェン家の没落とともに,〈シチリア派〉の宮廷詩人たちも四散して,彼らの詩は北イタリアにひろまり,同じくプロバンスの詩を別個に継承しつつあったボローニャの詩人たちの詩法と影響しあって,トスカナ地方に〈清新体〉の詩を生みだした。 〈清新体〉派の代表的詩人はダンテ・アリギエーリであり,この新しい詩法は《新生》のなかに書きこまれている。すでに〈シチリア派〉はプロバンスの宮廷恋愛詩を取り入れ,〈愛〉についての論議を俗語詩のなかに繰り返した。…
…ダンテは幼少から古典文法と修辞学を修め,長じてブルネット・ラティーニに師事した。《神曲》のなかでダンテの導き手となったウェルギリウスに代表されるように,ラテン諸作家を規範としただけでなく,古代ギリシアの文学的伝統やアラブ世界の思想も取り入れ,他方ではシチリア派やトスカナ派の詩人たちと実作上の詩法を競い,G.カバルカンティとグイニッツェリGuido Guinizzelliの影響を受けて,〈愛〉の詩的概念を転換させ,《新生》を著して清新体派の雄となった。その詩的契機が,1274年のベアトリーチェとの出会いである。…
※「新生」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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