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バンダル王国 バンダルおうこく

世界大百科事典 第2版の解説

バンダルおうこく【バンダル王国】

西ローマ帝国末期に北アフリカの地中海沿岸に建設されたゲルマン人を支配者とする国家。ドイツ語でReich der Wandalenと称する。末期的状態にあったローマ帝国に大きな脅威を与え,その崩壊を促す結果となったところから,後に野蛮なゲルマン人の見本として,ときにはプロイセン的軍国主義の原型として槍玉にあげられることにもなった。しかし実際には部族としてのまとまりは弱く,ローマ領アフリカの社会を変革する力をもつものでもなく,むしろこの王国は既存の体制を利用して急速に浮上した専制的支配者の国家,つまりローマ帝国そのものの分身にほかならなかった。

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世界大百科事典内のバンダル王国の言及

【マグリブ】より


[歴史]
 マグリブ史の展開とその社会形成にとって[自然]の項で述べた地中海とサハラ砂漠が大きな意味をもっている。すなわち,フェニキア人によるカルタゴ帝国の建設,ギリシア,ローマ,バンダル王国などの支配は,いずれも地中海の海上交易権とかかわっていたのである。また,イスラム時代に入っても,地中海はアンダルス~マグリブ~マシュリク間の巡礼と交易を媒介とした人,物,文化の交流に重要な役割を果たした。…

【ローマ】より

…彼女はアタウルフ王の死後ローマに送り返され,将軍コンスタンティウスと結婚,のちのウァレンティニアヌス3世を生んだ。第2の波は406‐407年の冬,ラインを渡りガリアを席巻したバンダル,スエビ,アランの諸族で,彼らは409年にはスペインに入り,バンダルはさらに429年マウレタニアに渡り,漸次東進し,カルタゴを占領(439),442年のローマとの条約で今日のチュニジアとリビア西部に独立国(バンダル王国)をつくった。この間にガリアのアルモリカでは農民反乱であるバガウダイの乱が鎮圧されず,ブルグント族もライン下流を渡り進出し,ガリアに入った。…

※「バンダル王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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