イタリア北部,エミリア・ロマーニャ州の同名県の県都。人口17万4471(2004)。エミリア街道沿いの平野に位置し,ポー川の支流パルマ川が市内中央を流れる。州都ボローニャに次ぐ第2の都市である。農産物の集散地,食品工業の中心地。生ハム,パルメザン・チーズは有名である。スタンダールの小説《パルムの僧院》で知られるパルマは,ローマの植民都市として発達し,12,13世紀には自由都市であったが,ミラノのビスコンティ家の領地を経て,1513年教皇領となる。45年,ファルネーゼ家出身の教皇パウルス3世は息子のピエル・ルイジに,ピアチェンツァとともにパルマ公国として与えた。以後1731年までファルネーゼ家の支配となる。次いで,スペインのブルボン朝が統治(1731-1808)し,フランスの風俗が深く浸透するところとなる。オポレオンによってフランス領とされ,ウィーン会議の結果パルマ公国はオーストリアに帰属することになった(1815-47)。1860年サルデーニャ王国に統合される。1922年8月には,約2万人のファシスト行動隊と市民の間に壮烈な闘いが交わされ,同隊の市への進入を阻んだ実績をもつ。
文化的伝統を有する町で,16世紀にはバロック絵画の先駆をなすコレッジョが活躍した。また,マニエリスムの画家パルミジャニーノは同市の出身である。音楽では,作曲家G.F.F.ベルディはパルマ県の小村ロンコレ(ブセート)に生まれ,指揮者A.トスカニーニはパルマ音楽院に学んだ。パルマ大学は,イタリア最古の大学の一つで,すでに11世紀には自由七科を教授しており,12世紀には医学と法学が著名であった。
執筆者:望月 一史
あせたばら色の煉瓦造のサンタ・マリア・アスンタ(聖母被昇天)大聖堂は,玄関左右の柱を2頭のライオン像が背負い,3層のアーケードがファサードを飾るロンバルディア・ロマネスク様式である。南翼廊(トランセプト)に置かれた《キリスト降架》(1178)の浮彫は,当地出身の彫刻家アンテーラミBenedetto Antelami(1150ころ-1230ころ)の傑作である。隣接する洗礼堂の装飾も,彼が手がけた。コレッジョはサン・パオロ修道院に天井画(1519),サン・ジョバンニ・エバンジェリスタ教会に《キリスト昇天》,大聖堂に《聖母被昇天》の円天井画を描いた。
執筆者:五十嵐 ミドリ 国立パルマ美術館は,国立古代博物館とともに,ファルネーゼ家が1583-1622年に建てた(未完成)パラッツォ・デラ・ピロッタにある。所蔵作品は18世紀にパルマを支配したブルボン家のフィリッポにより,その収集が開始され,19世紀を経て,第2次大戦後には壁からはがされた壁画も加えられた。コレッジョの作品を核とする15世紀から18世紀のパルマ派絵画の歴史を展望することができる。
執筆者:生田 圓
ペルーのロマン派の作家。1872年から1910年にかけて断続的に発表した《ペルー伝説集》は,全10巻から成る大作であり,征服以前から植民期を経て共和政にいたるペルーの風俗,伝説,歴史的逸話などをロマン主義的な手法で綴って,ひとつのジャンルを創造した。彼はこの作品でペルーの伝説と伝統を提示することにより,ペルー人としての国家意識と国民性の自覚を促している。
執筆者:神代 修
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イタリアのプロサッカークラブ。ホームスタジアムはパルマのエンニオ・タルディーニ(収容人員2万9000)。チーム創設は1913年だが、セリエAに昇格したのは1990年代に入ってからである。乳製品会社のパルマラットがスポンサーにつき、クラブの経営に乗り出してから強豪にのし上がった。1992年、コパ・イタリアに優勝し、1993年にはヨーロッパ・カップウィナーズ・カップでも優勝した。過去、イタリア代表のフォワード、ジャンフランコ・ゾラGianfranco Zola(1966― )のほか、エルナン・クレスポHernan Crespo(1975― 、アルゼンチン)、ベロンJuan Sebastián Verón(1975― 、アルゼンチン)、リリアン・テュラムLilian Thuram(1972― 、フランス)といった錚々(そうそう)たる顔ぶれがプレーしているが、これまでリーグ優勝はない。2001~2002年シーズンには、ASローマ(イタリア)にいた中田英寿(なかたひでとし)(1977― )を獲得、優勝争いへ加わることが期待されたが、優勝争いどころか一時はセリエBへ降格の危機に瀕(ひん)した。2003年パルマラットが破産宣告を受け、クラブは破産管財人の管理下に置かれた。2004年、名称をパルマFC(Parma Football Club)とした。
[西部謙司]
その後、クラブは競売にかけられ、2007年1月にトンマーゾ・ギラルディへ譲渡されることとなった。2008~2009年シーズンにセリエBに降格したが、2009~2010年シーズンにセリエAに復帰した。
[編集部]
『グレッグ・バーク著、佐藤邦雄訳『パルマの真実――イタリアサッカー・セリエAの1年』(1999・日刊スポーツ出版社)』
イタリア北東部、エミリア・ロマーニャ州パルマ県の県都。人口15万6172(2001国勢調査速報値)。ミラノとボローニャを結ぶ交通の要衝。豊かな農業生産と同時に、中小規模ながら食品工業が発展、とりわけパルメザンチーズの本場として知られる。イタリア、バロック絵画の先駆者として16世紀に活躍した画家コレッジョの作品が、大聖堂やサン・ジョバンニ・エバンジェリスタ教会などにみられる。指揮者トスカニーニの生地である。
[堺 憲一]
紀元前4世紀なかばまでエトルリア人がこの地に定住していたが、ローマ時代に商業の中心地、毛織物の産地として発達した。ゴート人、フン人により破壊されるが、テオドリコ帝の治世下にビザンツの都市として再建され、とくに公金保管所のあったことで知られる。中世に司教領からコムーネ(自治都市)になり、フェデリーコ2世に抵抗するほどの実力を有した。現在の市の中心部はこの時期に建設された。1322年独立を失い、以後、教皇庁、ビスコンティ家(1346)、スフォルツァ家(1449)の支配下に入るが、経済的発展は停滞しなかった。1545年公国となる。だが政治的中心はピアチェンツァに移され、パルマはもっぱら居住都市として美化に努められ、またここに音楽文化が開花したのもこの時代である。18世紀なかばブルボン家が、ついでオーストリアがこの市を統治するが、1814年ナポレオン軍が占領、ナポレオンの二番目の妻マリ・ルイーズが、1860年イタリア王国に併合されるまでここを治めた。
[在里寛司]
地中海のスペイン領バレアレス諸島の行政中心都市。諸島中最大のマジョルカ(マヨルカ)島西岸、パルマ湾奥に位置する港湾都市で、司教座所在地。人口33万3801(2001)。良港をもち、軍事・交易の要衝であるため、アラゴン連合王国のマジョルカ王国成立(1229)によりその首都となるまで、支配者が次々と交替した。1716年まではシウダド・デ・マヨルカCiudado de Mallorcaとよばれた。島内諸方向へ向かう鉄道・道路の基点をなし、港は大型船の接岸が可能。東方に空港もある。国際的な観光・保養地で、海水浴場があり、ホテル、レストランなどが多く、観光業が第一の産業となっている。1961年の人口は16万にすぎなかったが、フランコ政権下での観光地化政策による急激な観光客の増加に伴い本土から建設・観光業従事者として多量の人口が流入した。ゴシック様式のパルマ大聖堂(1300~1601建造)、教会、宮殿、ロンハ(取引場、1451)など歴史的建築物が多い。
[田辺 裕・滝沢由美子]
ペルーの小説家、詩人。若いころ渡欧しボヘミアンの生活を送り、スペインの詩人ソリーリャに傾倒して、『調和』(1865)などの詩集を発表。また、ユゴーやロングフェローを翻訳。帰国後はホセ・バルタ大統領の秘書官、上院議員を務め、1884年リマ国立図書館長に就任。詩作品、歴史書も数多く残すが、彼の名を高めたのは1872年から1910年まで書き続けた『ペルー伝説集』である。この作品の大半は植民地時代に題材を得ているが、単なる伝説、挿話あるいは風刺文として分類できるものでなく、それぞれの要素がみごとに融け合い、ペルーの風俗、習慣が鮮やかに活写された物語集となっている。
[安藤哲行]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1833~1919
ペルーの作家,詩人。反カスティリャ反乱に参加し,1860年チリに亡命。太平洋戦争に従軍し,チリの占領で破壊された国立図書館の再建に努めた。代表作は1872~1906年にかけて書かれた『ペルー伝説集』である。全10巻からなり,インカ時代から共和国時代までのペルーの風俗,伝説,寓話,逸話をモチーフとして史実を織り交ぜながら描いた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…小島であるが,アフリカの歴史上重要な位置を占める。1444年,ポルトガル人がこの島を発見したときには無人島でパルマ島と名づけられた。彼らはここに商業基地を設け,奴隷,蜜蠟,アラビア・ゴムなどの集荷基地とした。…
…原子が発する光と原子が吸収する光とは,一般に波長が等しい。
[水素原子のスペクトル]
85年に,J.J.バルマーは水素原子の発する光のスペクトルの中のHα(波長6563Å,赤),Hβ(4861Å,青),Hγ(4340Å,青紫),Hδ(4102Å,紫)の4本の線スペクトルの示す波長λがλ=Am2/(m2-4)(m=3,4,5,6,Aは定数)で表されることを発見した。これらの線スペクトルの系列はバルマー系列と呼ばれるが,その後,T.ライマンによって紫外部に,また,L.C.H.F.パッシェンによって赤外部に,それぞれラインマン系列,パッシェン系列と呼ばれる線スペクトルの系列が発見され,バルマー系列を含めて,これらの系列の線スペクトルの波長λは,で表されることが明らかとなった。…
※「パルマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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