バレアレス諸島(読み)バレアレスショトウ(英語表記)Islas Baleares

デジタル大辞泉 「バレアレス諸島」の意味・読み・例文・類語

バレアレス‐しょとう〔‐シヨタウ〕【バレアレス諸島】

バレアレス

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「バレアレス諸島」の意味・わかりやすい解説

バレアレス[諸島]
Islas Baleares

イベリア半島の東,地中海上にあってマリョルカMallorca,メノルカMenorca,イビサIbiza,フォルメンテラFormenteraその他の小島からなるスペイン諸島で,行政的には一県をなしている。総面積5014km2,人口98万3131(2005),主都はパルマ・デ・マリョルカ。言語はカスティリャ語(スペイン語)のほかに中世カタルニャ語から分かれたいくつかの方言が使われる。

 バレアレス諸島は地質学的にはイベリア南部のペニベティカ山脈の延長であり,付近の海域では水深は500mに達しない。気候は温暖寡雨の典型的な地中海式気候で,農作物も小麦,ブドウ,オリーブ,かんきつ類,アーモンドなど地中海農業のそれが主流を占める。また近年はスペインを代表する国際的観光地としても知られる。

 地中海西部に位置するバレアレス諸島が海上交通の要衝であることは,あらためて指摘するまでもなく,前7世紀にはフェニキア人の植民活動の舞台となった。以来,イベリア半島の政治支配権がローマ人,次いでイスラム教徒へと推移すると,バレアレス諸島もこれに従った。

 1229年12月31日,バレアレス諸島最大の町マリョルカ(現,パルマ・デ・マリョルカ)はハイメ1世の率いるアラゴン連合王国軍に降伏,イビサ(1235)とメノルカ(1287)もこれに続いた。征服後,イスラム教徒は島を追われ,代わってカタルニャ人が入植して現在の住民の基底をつくった。ハイメ1世の死後(1276),バレアレス諸島は南フランスの一部とともにマリョルカ王国を形成,アラゴン王家の傍系がこれを治めたが,1343年には最終的にアラゴン連合王国の一部となった。

 ハイメ1世による軍事征服の背後には興隆期にさしかかったカタルニャの商業経済があった。事実,バレアレス諸島,とりわけマリョルカ市はカタルニャと北アフリカ,そして地中海と大西洋を結ぶ通商航路に不可欠な中継基地となって繁栄,同市の商人も北海沿岸にまで進出した。他方,〈シチリアの晩鐘〉(1282)に始まるアラゴン王家のイタリアおよびギリシア進出も前線基地としてのバレアレス諸島に支えられたものだった。さらにジェノバなどと並んでマリョルカ市は後の大航海時代を可能にする航海技術開発の中心地でもあった。18世紀初頭のスペイン継承戦争過程メノルカ島はイギリス軍に占領されたが,1783年のベルサイユ講和条約でスペインに返還された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バレアレス諸島」の意味・わかりやすい解説

バレアレス諸島
ばれあれすしょとう
Islas Baleares

スペインの東岸沖合い約350~390キロメートルの地中海上に、北東から南西方向にかけて並ぶ山がちな諸島。最大のマジョルカ島のほか、メノルカ島、イビサ島、フォルメンテラFormentera島の4島および約150の小島からなる。イビサとフォルメンテラの2島は隣り合って位置するので、ピティウセンPityusenと総称されることもある。総面積5014平方キロメートル、人口84万1669(2001)。行政的には自治州(1983年以後)を構成し、行政中心都市はパルマ。美しい風景と温暖な地中海性気候のため、国際的な観光・保養地として知られる。伝統的産業は小麦、ブドウ、アーモンドなどの地中海式農業、灌漑(かんがい)畑での園芸農業、牧畜、靴やマジョリカ陶器製造などの手工業である。

[田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

早くからギリシア人やフェニキア人が往来し、とりわけ、フェニキア人は紀元前6世紀以降、イビサ島に建設した居留地エブススを拠点にして岩塩などの交易を活発に展開した。フェニキア人のカルタゴを撃ち破ったローマは前122年バレアレス諸島を占領し、ローマ人入植者を呼び寄せ、良質のぶどう酒などを生産した。その後、この諸島は紀元後426年ゲルマン系のバンダル人に征服され、554年からはビザンティン帝国の勢力下に入り、また902年からはコルドバのカリフが支配した。1229年アラゴン王ハイメ1世はイスラム勢力を駆逐してマジョルカ島をアラゴン王国領とし、イビサ島も1235年に征服してカタルーニャ人を入植させた。メノルカ島は1287年アラゴン王アルフォンソ3世によって征服された。バレアレス諸島はハイメ1世の死後、諸島を相続した王の次男ハイメ王子の代からアラゴン王国との間に溝が生じたが、1343年ペドロ4世の手で最終的にアラゴン王国に編入された。1713年ユトレヒト条約でイギリス領となったが、1782年スペイン領に復帰した。

[青木康征]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バレアレス諸島」の意味・わかりやすい解説

バレアレス諸島
バレアレスしょとう
Islas Baleares

スペイン東方,地中海西部に浮ぶスペイン領の諸島。マヨルカ,メノルカ,イビサの各島と周辺の小島から成り,バレアレス州,バレアレス県を構成。県都はマヨルカ島のパルマ。 1983年自治領。ベティカ山系の連続である海底山脈の突出部にあたり,低い山地と平地が交錯。カルタゴ,バンダル,ムーア人の侵略を受けたが,13世紀にスペイン人の手に戻ったのち,地図制作と航海術の中心地として栄えた。住民の 80%以上はマヨルカ島に住み,さらにその2分の1はパルマに集中。住民はおもにカタルニャ人で,カタルニャ語を用い,その他はユダヤ人,イタリア人など。農業が主産業で,オリーブやオレンジ,穀物,豆類,飼料作物を産する。ヒツジ,ヤギ,ブタの飼育も盛ん。アーモンド,アンズ,ワイン,オリーブ油,バター,チーズ,塩を積出す。風光明美で,気候が温和な観光地として有名。みやげ用のレースや刺繍品の生産も盛ん。面積 5014km2。人口 70万 2770 (1991推計) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android