バレアレス諸島(読み)ばれあれすしょとう(英語表記)Islas Baleares

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バレアレス諸島」の意味・わかりやすい解説

バレアレス諸島
ばれあれすしょとう
Islas Baleares

スペインの東岸沖合い約350~390キロメートルの地中海上に、北東から南西方向にかけて並ぶ山がちな諸島。最大のマジョルカ島のほか、メノルカ島イビサ島、フォルメンテラFormentera島の4島および約150の小島からなる。イビサとフォルメンテラの2島は隣り合って位置するので、ピティウセンPityusenと総称されることもある。総面積5014平方キロメートル、人口84万1669(2001)。行政的には自治州(1983年以後)を構成し、行政中心都市はパルマ。美しい風景と温暖な地中海性気候のため、国際的な観光・保養地として知られる。伝統的産業は小麦、ブドウアーモンドなどの地中海式農業、灌漑(かんがい)畑での園芸農業、牧畜、靴やマジョリカ陶器製造などの手工業である。

田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

早くからギリシア人やフェニキア人が往来し、とりわけ、フェニキア人は紀元前6世紀以降、イビサ島に建設した居留地エブススを拠点にして岩塩などの交易を活発に展開した。フェニキア人のカルタゴを撃ち破ったローマは前122年バレアレス諸島を占領し、ローマ人入植者を呼び寄せ、良質のぶどう酒などを生産した。その後、この諸島は紀元後426年ゲルマン系のバンダル人に征服され、554年からはビザンティン帝国の勢力下に入り、また902年からはコルドバカリフが支配した。1229年アラゴン王ハイメ1世はイスラム勢力を駆逐してマジョルカ島をアラゴン王国領とし、イビサ島も1235年に征服してカタルーニャ人を入植させた。メノルカ島は1287年アラゴン王アルフォンソ3世によって征服された。バレアレス諸島はハイメ1世の死後、諸島を相続した王の次男ハイメ王子の代からアラゴン王国との間に溝が生じたが、1343年ペドロ4世の手で最終的にアラゴン王国に編入された。1713年ユトレヒト条約でイギリス領となったが、1782年スペイン領に復帰した。

[青木康征]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バレアレス諸島」の意味・わかりやすい解説

バレアレス諸島
バレアレスしょとう
Islas Baleares

スペイン東方,地中海西部に浮ぶスペイン領の諸島。マヨルカ,メノルカ,イビサの各島と周辺の小島から成り,バレアレス州,バレアレス県を構成。県都はマヨルカ島のパルマ。 1983年自治領。ベティカ山系の連続である海底山脈の突出部にあたり,低い山地平地交錯。カルタゴ,バンダル,ムーア人の侵略を受けたが,13世紀にスペイン人の手に戻ったのち,地図制作と航海術の中心地として栄えた。住民の 80%以上はマヨルカ島に住み,さらにその2分の1はパルマに集中。住民はおもにカタルニャ人で,カタルニャ語を用い,その他はユダヤ人,イタリア人など。農業が主産業で,オリーブやオレンジ,穀物,豆類,飼料作物を産する。ヒツジ,ヤギ,ブタの飼育も盛ん。アーモンド,アンズ,ワイン,オリーブ油,バター,チーズ,塩を積出す。風光明美で,気候が温和な観光地として有名。みやげ用のレースや刺繍品の生産も盛ん。面積 5014km2。人口 70万 2770 (1991推計) 。

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