改訂新版 世界大百科事典 「ヒルファディング」の意味・わかりやすい解説
ヒルファディング
Rudolf Hilferding
生没年:1877-1941
ドイツ社会民主党の理論的指導者,経済学者。主著は《金融資本論》(1910)。ウィーンのユダヤ系商家に生まれ,ウィーン大学で医学を学ぶかたわら,社会主義学生同盟のメンバーとなり,社会科学に関心をいだくようになった。1902年,彼はドイツ社民党の理論的指導者K.カウツキーに同党理論誌《ノイエ・ツァイトNeue Zeit》への論文掲載を要望し,以来,同誌に〈保護関税の機能変化〉(1903),〈貨幣と商品〉(1911-12)等,多数の論文を発表した。処女論文〈ベーム・バベルクのマルクス批判〉(彼がM. アドラーと共同編集で刊行した《マルクス・シュトゥディーエンMarx-Studien》叢書第1巻に収録。1904)はその理論水準の高さで注目を集めた。1910年《金融資本論》を著し,銀行資本と産業資本との結合である〈金融資本〉が〈近代資本主義〉の新しい資本形態として成立したことを論証しようとした。第1次大戦後,ドイツ独立社民党を経て,ドイツ合同社民党を結成しドイツ社民党に合流,その理論誌《ゲゼルシャフト》の主筆として活躍した。とりわけ,社会主義への過渡期としての意味をもつ〈組織資本主義〉の理論を強く主張した。また23年と28年の2度にわたって社民党内閣における大蔵大臣を務めた。33年3月,ナチスに追われて国外に脱し,41年2月,フランスでゲシュタポに捕らえられ,強制収容所内で死亡したといわれている。
執筆者:侘美 光彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報