帝国主義段階あるいは独占資本主義段階とも呼ばれる19世紀末以降の後期資本主義を特徴づける,支配的な資本の存在形態をさす言葉。オーストリアのマルクス主義者R.ヒルファディングの《金融資本論》(1910)以来,経済学上の重要な概念になっている。すなわち,この時期には,株式会社組織をとる大規模な産業資本と銀行資本とが,産業金融(商業金融と対比的に用いられる)と呼ばれる特有の業務による融合関係のもとに,独占的な大企業または企業集団を形成し,それが支配的な資本として,経済動向を規定するほどの役割を果たすようになった。このような産業資本と銀行資本の融合した状態を金融資本という。
19世紀末葉以後の資本主義の発展は,それ以前とは異なる新しい段階を画するものをもっていた。手工業段階からの資本蓄積を背景にみずから産業革命を実現してきたイギリスの,綿工業を代表とする産業資本の自由競争的な発展に対して,遅れて資本主義化したドイツやアメリカでは,資本主義的発展の初期から,すでに発達した機械制工業を導入しなければならなかった。しかも,時あたかも鉄鋼業をはじめとして大規模な固定資本を必要とする重工業が主力産業の地位につく段階に到達していたから,それまでイギリスで一般的にみられた個人企業的な資本の存在形態にかわって,内部資金の蓄積をまたずにひろく資金を動員・集中する株式会社制度が根底的な重要性をもつことになった。同時に金融機関も,商業手形の割引を中心とするイギリス型の商業銀行業務とは異なる業務をもって,巨大産業株式会社の成立・発展に不可欠の役割を与えられたのである。大規模な資金の動員が行われるためには,企業の株式や社債が金融中心地の市場で円滑に消化されなければならない。その企業の証券発行を引き受け,投資家に売りさばく金融業者の役割が決定的に重要である。金融業者としても,投資家の信頼を得て事業を拡大するためには,泡沫的な企業の証券取扱いによって目先の利益を追求するだけではすまない。関与した企業の発展に将来にわたって関心をもち,資金的・人的結合を通して影響力を行使するようになる。金融機関が産業の固定資本投資のための長期貸付けを行うことも,証券市場の好調期に証券発行によって資金を回収する可能性が開かれたことによって,容易にされることになった。
このような産業企業と金融機関との関係は,産業・企業間の競争関係にも影響する。金融機関にとっては,関係をもつ企業どうしが激しい競争をくりひろげ,いずれかが敗れるような事態は好ましくないからである。企業間の協調による利益確保のためのカルテルやシンジケート,株式の信託や保有による一層の大規模化のためのトラストやコンツェルンなど,独占的な資本結合が推進され,また,このような安定化や大規模化がいっそう広範な外部資金動員の条件を形成する,という関係ができた。このような事態の進行のもとで,資本輸出入も促進され,ドイツやアメリカはやがてイギリスに対抗・優越する産業的基礎を形成することができたのであった。このような産業と金融の特殊な融合関係による独占体としての金融資本が,支配的な資本の存在形態として,主力産業を支配するようになると,資本主義世界の全体的な運行に,景気循環の発現形態をはじめ,さまざまな変容が進む。また,レッセフェール(自由放任)の傾向にかわって経済政策の積極化がみられるようになり,帝国主義段階と呼ばれる新しい時代を画することになった。
ヒルファディングが金融資本の概念について定義ふうに述べた有名な一節がある。〈産業の資本のいっそう大きな部分が,それを用いている産業家たちのものではなくなる。彼らがその資本を利用できるのは,彼らに対してその資本の所有者を代表している銀行を通してのみである。他方,銀行は資本のいっそう大きな部分を産業に固定せざるをえない。それに対応して,いっそう高い度合で,彼らは産業資本家になるのである。銀行資本,すなわち貨幣形態にある資本であって,現実にはこのようにして産業資本に転化されているものを,私は金融資本と名づける〉(《金融資本論》第14章)。しかし,この一節は一見して明らかなように,商業手形の割引を主要業務とする商業銀行と産業との間にもある程度あてはまりそうな抽象的な表現で銀行と商業の関係を述べているにすぎず,この前後にヒルファディングが述べていることの的確な要約とはいいがたく,まして彼の大著を総括するような命題でもない。当然,これを《帝国主義論》(1917)で引用したレーニンは,この定義が,最も重要な要素である高度の,すなわち独占をもたらすほどの,生産と資本の集積について言及していないから不完全であるとして(ちなみに〈金融資本は,株式会社とともに発展し,産業の独占化をもって完成に至る〉というのが,レーニンによって引用された部分の次にくるヒルファディングの文章である),彼自身の簡潔な定義を次のように対置している。〈生産の集積,そこから成長する独占,銀行と産業との融合あるいは癒着--これらの点に金融資本の発生史と金融資本の概念の内容がある〉(第3章)。金融資本という用語と重ね合わせて〈金融寡頭制financial oligarchy〉という表現もしばしば用いられている。
ヒルファディングが観察の対象とした時期以後,とくにアメリカで進行した事態を念頭におきながら,P.スウィージーは,独占体の支配構造における銀行の優位を含意するヒルファディングの概念規定を批判し,産業に対する銀行の優位は独占形成期に過渡的に現れる現象であるとして,誤解をまねく〈金融資本〉にかえて〈独占資本monopoly capital〉という用語を用いることを主張した(《資本主義発展の理論》1941,第14章)。ヒルファディングは,資本主義の新しい段階の発展傾向を一般的に明らかにすることを意図しているのであり,他の国や他の時期との対比において形成期のドイツ金融資本の特徴を明らかにしようとしているわけではない。しかし彼の与えた叙述は,事実上,ドイツで展開された事態に最もよくあてはまるものであった。ドイツでは,預金・貸付けなどの銀行業務と証券の引受業務との両者を行ういわゆる兼営銀行型の信用銀行Kreditbankと呼ばれる金融機関が,金融の分野で重きをなしており,株式会社形式をとる産業企業の発展に重要な役割を果たしていた。その特徴は,交互計算業務によって取引企業の日々の決済から事実上の長期信用の授与までを行うとともに,証券発行業務をも行って,産業企業の金融上の必要のほとんどすべてを請け負うという点にあった。その結果,独占体の形成においても,信用銀行が一般に主導権をとり,銀行自身の大規模化も進んで,20世紀初めにはベルリン六大銀行がドイツにおける金融寡頭制を代表するものとみなしうる状況にあった。アメリカでは,やや事情を異にし,一般銀行業務を行う商業銀行と証券業務を行う投資銀行(インベストメント・バンク)とが分離的に存在する傾向があり,また銀行集中が容易には進行しにくい事情もあった。20世紀初頭には,マネー・トラストと呼ばれる少数の大利益集団が形成され,金融寡頭制という言葉のあてはまる状況が成立してはいたが,株式所有や重役兼任による結合が主であって,金融取引上の関係はドイツのように密接ではなかった。しかもその後,大産業企業のなかには十分な内部資金をもち外部資金への依存度を,したがって金融機関への依存度を低下させるものも現れてくる(自己金融化の傾向)。
問題は,資本主義の発生期の商人資本,確立期の産業資本に対して,後期資本主義を特徴づける代表的な資本の存在形態をどのように概念化するのか,である。現代に至る新しい展開を考慮に入れるとともに,主要国の金融資本の形成・発展に関する歴史研究が豊富になったことをふまえて,今日なお議論が続けられている。スウィージーのような見解に対して金融の役割を強調する主張も依然強いが,銀行と産業の融合による独占体の運動を明らかにする際に,支配構造上,銀行と産業のどちらが上位かを問う必要はないとする見方と,あくまで金融上位が基本であって,変種にみえるものも本質的にはそれに帰着しうるとする見方とに分かれている。
→帝国主義 →独占
執筆者:春田 素夫
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R・ヒルファーディングは主著『金融資本論』(1910)で初めて金融資本を定義して、「実際には産業資本に転化されている銀行資本、すなわち貨幣形態における資本」あるいは「銀行によって自由にされ、産業資本家によって使用される資本」といったが、これに対してレーニンは、高度な生産および資本の集中の発達とその結果としての独占に言及していない点で不完全であると批判した。もっともヒルファーディング自身も「金融資本は株式会社の発達とともに発達するもので、産業の独占化につれて最高度に達する」ともいっている。このように19世紀末から20世紀にかけて生産が集積・集中して社会化し、資本主義が変貌(へんぼう)して独占が成立するのとあわせて、資本の形態も変化した。すなわち、産業資本の独占とともに銀行資本の独占形態も発生し、銀行は、資本間の仲介者という控え目の役割から、全体としての資本家の貨幣資本のほとんど全部を自由にしうる全能者となった。ここに出現した独占的産業資本と独占的銀行資本とが融合・癒着した新しい資本形態を金融資本という。
独占のもとで資本のこの変化発展をもたらすには、高度集積の資本調達を可能にする株式会社制度の発達が必要であった。とくに固定資本の増大には大量で長期の資本調達を必要とするが、株式資本の形で資本を流動化することによって、他人の所有する資本を返済不要のまま企業自体に集中利用できるのである。さらに株式会社の資本調達を拡大するためには、銀行融資の新しい展開が必要であった。すなわち、本来は短期融資を取り扱う銀行資本は、社会の遊休資本の大部分を集中支配するとともに、株式会社の行う資本の流動化を基礎として、長期に利用される資本を銀行にとっては短期に供給する新しい関係を結び、固定資本に対する長期信用、直接的産業株式保有の形で資本を独占的産業資本に固定する。このようにして独占的産業資本と独占的銀行資本との金融的結合、融合、癒着がなされる。さらに重役派遣などの人的結合、独占的産業資本による独占的銀行資本の株式保有などによって補強される。
株式会社では所有の集中を越えて支配の集中がおこる。しかも支配の集中は株式会社相互間に連鎖的に拡大されるから、その結果として、株式所有を軸に集団化した企業による独占支配体制が形成される。さらにこの企業集団に、新しい融資関係で結合することとなった銀行が参加して、総合的に金融資本の運動の実際の担い手となり、その国の内外に金融的支配の網を広げ、その国と勢力圏の政治・経済の事実上の支配者となる。これが金融寡頭制支配である。
ところで、このような独占的産業資本と独占的銀行資本との結合としての金融資本は、まず優れてドイツ的事情に基づいておこり、さらに他のすべての独占資本主義国において成立したが、その結合関係は各国において異なった内容をもって展開している。
資本蓄積の乏しいドイツでは、イギリス、フランスなど先進国の産業水準に到達するために、まず株式会社制度を発達させた。この制度は、とくに鉄や石炭などの重工業の資本調達に大きな役割をもった。資本家自身の不十分な資本蓄積を、他の階級からの資本の動員で補ったのである。銀行は大陸型産業銀行として証券の発行を引き受ける特殊業務、すなわち発行業務をもち、最初から産業に対して優位を保ちながら独占形成を促進した。
イギリスでは、産業から蓄積された遊休資本は、ロンドン金融市場を媒介に、後進国や植民地の公債、鉄道その他事業証券に投下され、銀行資本と産業資本との融合は植民地寄生の関係を通じて間接的に成立した。
アメリカでは、産業自身の巨大な蓄積が、再投資され拡大独占化するとともに、関連産業や銀行に投資されて、主として産業資本が銀行資本を支配する融合傾向をとった。しかし、アメリカの商業銀行が投資銀行と結び付いて果たす基本的役割もまた金融資本としての結合、融合である。
P・スウィージーは、このアメリカでの独占的産業資本の自己金融に着目し、金融資本概念を放棄してそのかわりに独占資本概念を用いることを主張したが、これは金融資本を産業資本の独占に矮小(わいしょう)化するものである。各国における独占的産業資本と独占的銀行資本との融合の形態は、それぞれ異なってはいるが、それは資本の集中的利用の強度の違いを現すものにすぎない。
[海道勝稔]
『R・ヒルファディング著『金融資本論』(岡崎次郎訳・岩波文庫/林要訳・大月書店・国民文庫)』▽『レーニン著、宇高基輔訳『帝国主義』(岩波文庫)』▽『レーニン著、副島種典訳『帝国主義論』(大月書店・国民文庫)』
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たんなる銀行資本ではなく,銀行資本と産業資本との融合によって形成された独占資本をさす。19世紀末の重工業部門における技術革新が,生産の大規模化をもたらすにつれて,銀行の企業に対する支配力が強化されるとともに,独占化した企業も銀行の株式保有者となって両者は一体化する。この過程は,株式会社制度が広範に発達していたドイツ,アメリカで最も顕著にみられる。
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資本主義の帝国主義段階における支配的な資本。自由主義段階の産業資本と対比される。19世紀末以降のドイツを分析したR.ヒルファディングは,独占的な産業と独占的な銀行とが結びついた資本形態を,金融資本と名づけた。これを援用して,日本の財閥コンツェルンを金融資本とよぶ場合がある。しかし,イギリスやアメリカではドイツのような関係はみられないので,金融資本の実態を一義的に規定すべきではないとする見解も有力である。
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…これらの企業は株式会社のかたちをとることによって,膨大な社会的資金を集中し,銀行との関係を密接化し,企業合併を進めて大型化・合理化することができた。このようなかたちで巨大な株式会社として発展した資本は金融資本とよばれる。 この段階になると,資本主義には新しい現象が現れてくる。…
…第2次大戦前の日本の財閥は,強い結合体の代表的な例であるが,戦後の財閥解体を経て,より緩やかな企業集団として再編成されてきた。 このような独占資本を,大産業資本と大銀行資本の融合という点に着目して,金融資本とも呼ぶ。二つの言葉がほぼ同じ対象を指して用いられているわけであるが,ニュアンスとしては,経済力集中に焦点を合わせたのが前者,結合の組織における金融の役割に焦点を合わせたのが後者といえよう(用語の差が学説の差を反映している場合もある)。…
…ドイツ社会民主党の理論的指導者,経済学者。主著は《金融資本論》(1910)。ウィーンのユダヤ系商家に生まれ,ウィーン大学で医学を学ぶかたわら,社会主義学生同盟のメンバーとなり,社会科学に関心をいだくようになった。…
…したがってそれらは,《資本論》の全体系を正当に評価したうえでの現実認識ではなかったことに留意しなければならない。 さらに,このようないわゆる〈修正主義論争〉をふまえて,R.ヒルファディングはその著書《金融資本論》(1910)でおよそ次のような新しい理論を展開した。近代の資本主義社会を支配している資本は,単なる産業資本ではなく,金融資本である。…
※「金融資本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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