ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビスコンチ」の意味・わかりやすい解説
ビスコンチ
Visconti, Gian Galeazzo
[没]1402.9.3. メレニャーノ
ミラノ公 (在位 1395~1402) 。ビスコンチ家全盛期の支配者。ミラノの西半分を父ガレアッツォ2世から相続したが,東半分を領有する叔父ベルナボを捕えて獄死させ,娘バレンティーナをフランス王シャルル6世の弟オルレアン公ルイにとつがせた。さらに大金を払って神聖ローマ帝国皇族の身分を獲得,1395年ミラノ公の称号を与えられて僭主支配から君主制に移行。軍事・外交両面にわたるすぐれた手腕を発揮して,ベロナ (1387) ,ピサ (99) ,シエナ (99) ,ウンブリアの諸都市 (1400) ,ボローニャ (02) などを版図に加え,北イタリアには余すところフィレンツェのみとなったが,その攻撃途上病死した。また,ミラノ大聖堂の建設をはじめとして,文芸の保護,奨励に努め,ペトラルカとの親交もあった。
ビスコンチ
Visconti, Luchino
[没]1976.3.17. ローマ
イタリアの演出家,映画監督。演劇,映画で活躍。映画作品としては,第1作目の『妄執』 Ossession (1942) 以後,ネオレアリズモ映画の代表作『揺れる大地』 La Terra Trema (48) ,すぐれたスタイルの『夏の嵐』 Senso (53) ,『ベニスに死す』 La Morte a Venezia (71) などを発表した。徹底した時代考証と,官能的な映像で,死後も崇拝者は絶えない。舞台ではシェークスピア,ゴルドーニ,コクトー,サルトル,アヌイ,A.ミラー,T.ウィリアムズらの作品を演出した。
ビスコンチ
Visconti, Matteo I
[没]1322.6.24. ミラノ
イタリア,ミラノの支配者。ビスコンチ家の出身。 1287年ミラノ僭主に選ばれ,大伯父のミラノ大司教と神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の庇護のもとに皇帝代理とシニョーレ (→シニョリーア制 ) の称号を得た。 1315年までにピアチェンツァ,ベルガモ,コモ,クレモナ,トルトナ,パビア,ナバラなどを軍事力で手中に収めた。しかし領土拡大政策は教皇ヨハネス 22世の逆鱗に触れるところとなり,破門され,22年息子ガレアッツォ1世に位を譲った。
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