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ファレル Farel, Guillaume

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ファレル
Farel, Guillaume

[生]1489. ドーフィネ,ガプ
[没]1565.9.13. メッツ
スイスで活躍したフランスの宗教改革者。ルフェーブル・デタープルの弟子として人文学を学び,パリ大学で聖書を研究し,カルディナル・ルモワーヌの学院長をつとめる。改革派に入り,ルフェーブルらとともに「モーの人々」に属し,1527年説教者として各地で下層民への伝道に努める。 23年スイスに行き,カルバンの協力を得て,ジュネーブ,ローザンヌの宗教改革に活躍。 38年以後ヌーシャテルを中心に活動。フランス・プロテスタント最初の神学者として『簡約なる宣言』 Sommaire et brève déclaration (1525) を著わした。

ファレル
Farrel, Suzanne

[生]1945.8.16. シンシナティ
アメリカの舞踊家。アメリカン・バレエ学校を卒業し,1961年 G.バランシンに見出されてニューヨーク・シティー・バレエ団に入団。バランシンお気に入りのバレリーナとして,『ドン・キホーテ』など彼の主要な作品で主役をつとめた。 69年結婚を機に一時バレエ団を離れるが,翌 70年 M.ベジャールの 20世紀バレエ団のトップダンサーとして復帰,『ニジンスキー・神の道化』『悪の華』などを踊った。 75年バランシンは新作『チガーヌ』上演に際し,彼女のバレエ団復帰を要請,以後『ウィンナ・ワルツ』『ダビッド同盟舞曲集』などで主演を続け,89年引退した。

ファレル
Farrell, James Thomas

[生]1904.2.27. シカゴ
[没]1979.8.22. ニューヨーク
アメリカの小説家。シカゴ大学卒業後さまざまな職についたが,シカゴのサウス・サイドに住むアイルランド系の貧しい人々の生活を描く3部作『若いロニガン』 Young Lonigan (1932) ,『スタッズ・ロニガンの青年時代』 The Young Manhood of Studs Lonigan (34) ,『最後の審判の日』 Judgment Day (35) で成功。次いでダニー・オニール5部作『私のつくらなかった世界』A World I Never Made (36) ,『星失われず』 No Star Is Lost (38) ,『父と子』 Father and Son (40) ,『わが怒りの日々』 My Days of Anger (43) ,『時の顔』 The Face of Time (53) ,連作『時の宇宙』A Universe of Time (64~70) などを発表。その他,短編集『危険な女』A Dangerous Woman and Other Stories (57) ,評論集『文芸批評に関する覚え書』A Note on Literary Criticism (36) ,『50歳の回想』 Reflections at Fifty (54) がある。

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百科事典マイペディアの解説

ファレル

ルフェーブル・デタープルの感化を受け,モーの宗教改革に従事,バーゼル,シャテルなどでも改革を推進し,1536年以降はカルバンを迎えてジュネーブのプロテスタント化に成功した。

ファレル

米国の作家。野球を好んだ体験に基づく小説《若きロニガン》(1932年)とその後編《スタッズ・ロニガンの青春時代》(1934年),《審判の日》(1935年)の3部作で知られる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ファレル【Guillaume Farel】

1489‐1565
スイスの宗教改革者。南フランス,ドーフィネ県ガップに生まれ,パリに学んでルフェーブル・デタープルの学問的・信仰的感化を受け,ルモーヌ学寮の人文学教授となる。師とともにモーの宗教改革に従事,同志の挫折後も志を持続しスイスに移る。1532年ワルド派をアルプス山中に訪ねて同派をスイスの宗教改革に結びつけた。35年ジュネーブの宗教改革を決断させ翌年カルバンを協力者に迎えた。38年以後はヌシャテルで改革を遂行しその地で死んだ。

ファレル【James Thomas Farrell】

1904‐79
アメリカの小説家。シカゴのアイルランド系移民が住むサウス・サイドに生まれ育ち,雑多な職業を経て入学したシカゴ大学に在学中から小説を書きはじめた。同地区の貧民の生活を素材に,家庭や学校や教会に代わって街頭や賭博場が教育機関となった当時の大都会の少年の転落の姿を,くどいほど克明なドライサー的自然主義の手法に,ジョイスに倣った〈意識の流れ〉の技法をも加えて描いた三部作《スタッズ・ロニガンStuds Lonigan(若きロニガン)》(1932),《スタッズ・ロニガンの青春時代》(1934),《審判の日》(1935)を発表。

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世界大百科事典内のファレルの言及

【カルバン】より

…学者で宗教改革の実践に走るのは,フランスでほとんど前例を見ない挙であった。1536年にファレルの強い要請を受けてジュネーブの宗教改革に携わるが,教会の自立の思想を持つ彼らは市当局の教会政策と衝突して追放され,カルバンは38年から41年までシュトラスブルクにいて神学教授と亡命フランス人教会の牧師を兼ね,この市の改革者M.ブツァーたちから多くを学んだ。妻を迎えたがプロテスタントにおける家庭の理念は,カルバンによって基礎づけられた。…

【キリスト教】より

…少なくともルターには政教一致の意図がなく,その条件もなかったからである。ツウィングリはやがて戦死し,改革事業はファレルとカルバンにうけつがれた。カルバンは1536年,ファレルの懇請に負けてジュネーブの改革に加わり,いったんストラスブールに赴いて《キリスト教綱要》を書き改め,41年にもどって最後までこの地で改革に没頭した。…

【アメリカ文学】より

… 29年の大恐慌を境に,頽廃的ムードの中にも繁栄していた1920年代の社会は冷たく暗い幻滅感と危機感をたたえた社会へと変わり,社会的関心を第一とする作品が目につくようになる。ノリス的自然主義者スタインベックは《怒りの葡萄》(1939)で農民の窮境を叙事詩的に語り,コールドウェルは南部の貧しい白人を,J.T.ファレルは都会の不良少年を,黒人作家R.ライトは抑圧された黒人の姿を,それぞれなまなましく描いた。またT.ウルフやH.ミラーは自伝的作品によって原始的生命をもった個性への復帰を示した。…

※「ファレル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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