バーナード(読み)ばーなーど(英語表記)Edward Emerson Barnard

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バーナード」の意味・わかりやすい解説

バーナード(Edward Emerson Barnard)
ばーなーど
Edward Emerson Barnard
(1857―1923)

アメリカの天文学者。広域天体写真術の開拓者。テネシー州の貧家に生まれ、少年のころ写真師のもとで修業し、青年に及んで天文に興味をもつ。26歳でバンダビルド大学に入学、1887年卒業とともにリック天文台の助手に採用され、いくつかの天体を発見した。修業時代にすでに彗星(すいせい)を、1892年に木星の第5衛星とぎょしゃ座新星の星雲冠を確認した。これを期に天の川の広域写真を組織的に撮影し始めた。1895年シカゴ大学で実地天文学教授となり、ヤーキス天文台員を兼任し、終身この任務に携わった。この間に球状星団や新星を写真観測し、1919年には天の川の写真集大成を完了した。これによって182個を含む暗黒星雲の目録を作成した。生涯で16個の彗星を発見したほか、1901年スマトラ島の皆既日食観測に参加して、天体写真術の効用を発揮し、1916年、最大の固有運動をもつバーナード星を発見した。

[島村福太郎]


バーナード(Luther Lee Bernard)
ばーなーど
Luther Lee Bernard
(1881―1951)

アメリカの社会学者、社会心理学者。ケンタッキー州に生まれ、ミズーリ大学で学ぶ。そこで巡り会ったエルウッドの勧めでシカゴ大学へ移り、1910年、同大学から社会学の学位を受ける。ウェスタン・リザーブフロリダ、ミズーリ、ミネソタなどの大学で教壇に立ち、さらにセントルイスのワシントン大学(1929~1946)、ペンシルベニア州立カレッジでも教職につく。アメリカ社会学会の会長にも就任(1932)。心理学的社会学とよばれるバーナードパースペクティブ(視野)の独自性は、環境へのアプローチ、自然的環境と文化的環境に対する適応的行動、共同的適応という視点、生態学の視点、ワトソンらとは異なる行動主義の立場などにある。社会の進歩、精神、態度、社会統制、社会問題など広範にわたる考察があるが、アメリカの社会学教育や社会学史などにも造詣(ぞうけい)が深い。著書に『本能』(1924)、『社会心理学入門』(1926)、『社会学入門』(1942)、妻ジェシーJessie Bernard(1903―1986)との共著『アメリカ社会学の起源』(1943)などがある。

[山岸 健]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バーナード」の意味・わかりやすい解説

バーナード
Barnard, Henry

[生]1811.1.24. コネティカット,ハートフォード
[没]1900.7.5. コネティカット,ハートフォード
教育家,法学者,初代アメリカ合衆国教育長官。 H.マンともどもアメリカ公教育制度の設立,発展に指導性を発揮した。コネティカット州の普通学校委員会の委員長に就任,『コネティカット普通学校日誌・教育年報』 Connecticut Common School Journal and Annals of Education (1838) の創刊,師範学校の創設に尽力した。 1843年ロードアイランド州の初代教育長に就任,55年『アメリカ教育雑誌』 American Journal of Educationを創刊,その抜粋は『バーナード教育宝典』 Barnard's Library of Educationとして刊行されている。その後マディソンのウィスコンシン大学名誉総長 (58~61) ,メリーランドのセントジョンズ・カレッジ学長 (66~67) などを歴任した。

バーナード
Barnard, Chester Irving

[生]1886.11.7. マサチューセッツマルディン
[没]1961.6.7. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の実業家,組織理論家。ハーバード大学に学び,1909年アメリカン・テレフォン・アンド・テレグラフ(→AT&T)に入社,1927年 AT&T傘下のニュージャージー・ベル電話会社社長に就任。同社退社後はユナイテッド・サービス機構,ロックフェラー財団理事長などを歴任。電話会社社長在任中にその体験をもとに組織に関する研究を進め,『経営者の役割』The Functions of the Executive(1938)を著した。企業にかぎらず各種組織を対象に,組織をシステムとしてとらえ,組織均衡の一般理論を提唱して総合的基礎理論を展開し,その後のアメリカ経営学の近代的組織論の基礎を築いた著書として高く評価されている。上記のほか "Organization and Management"(1948)がある。

バーナード
Barnard, Edward Emerson

[生]1857.12.16. テネシー,ナッシュビル
[没]1923.2.6. ウィスコンシン,ウィリアムズベイ
アメリカ合衆国の天文学者。幼少より独力で天文学を学び,バンダービルト大学を卒業後,1887年リック天文台に勤務。1895年以降はシカゴ大学のヤーキズ天文台で研究するとともに,教授として実用天文学を教えた。1901年にはアメリカ海軍スマトラ日食観測隊に参加。天体写真観測の開拓者として知られ,銀河の詳細な写真観測(1889)をはじめとして,16個の彗星木星の第5衛星アマルテアの発見(1892),また 1968年まで最大の固有運動をもつことで知られた恒星バーナード星の発見(1916),暗黒星雲の観測(1919)などでも知られる。

バーナード
Bernard, Luther Lee

[生]1881.10.20.
[没]1951.1.24.
アメリカのシカゴ学派の社会学者。 1907年ミズーリ大学卒業,10年シカゴ大学で博士号取得,フロリダ,ミズーリ大学教授を経て,17年ミネソタ大学社会学教授となった。社会を集合行動ととらえ,その行動形式を刺激と反応とから考察。さらに,集合行動の組織として直接的な接触集団と間接的な接触集団とを区別し,指導や統制の問題にまで言及した。主著『アメリカ社会学講義』 The Teaching of Sociology in the United States (1909) ,『社会心理学入門』 An Introduction to Social Psychology (26) 。

バーナード
Barnard, Frederick Augustus Porter

[生]1809.5.5. マサチューセッツ,シェフィールド
[没]1889.4.27. ニューヨーク
アメリカの教育家,コロンビア大学総長。 25年間に及ぶ在任中にコロンビア大学を学部だけの男子大学から有力な総合大学に発展させた。 1828年エール大学卒業,数年間聾唖学校で教鞭をとった。 38~54年アラバマ大学,54~56年ミシシッピ大学で数学,科学,英語を教えた。 56~61年ミシシッピ大学学長に就任。 64年コロンビア大学に移ってからカリキュラムの拡大,カレッジ高学年での選択制の採用などを主張。鉱山学部の新設,女子への大学の開放などにも貢献し,89年に開設された女子カレッジは彼の功績を記念してバーナード・カレッジと名づけられた。

バーナード
Barnard, Christiaan Neethling

[生]1922.11.8. ケープ,ボーホートウェスト
[没]2001.9.2. キプロス,パフォス
南アフリカの心臓外科医。医学をケープタウン大学で学び,1953年クローテ・スキュール病院の外科医となった。 56年渡米,ミネソタ大学に留学し,ここで心臓外科の最新の知識と技術を修得した。 58年帰国,クローテ・スキュール病院に戻るとともにケープタウン大学心臓外科部長。 67年 12月彼を中心とする心臓外科グループは人間の心臓移植に世界で初めて成功したが,拒絶反応のために患者は術後 18日で死亡した。しかし,70年代後半までに心臓移植を行なった患者の何人かは数年間生存した。 69年来日。 83年までクローテ・スキュール病院心臓外科部長をつとめた。

バーナード
Barnard, Lady Anne

[生]1750
[没]1825
イギリスの女流詩人。スコットランドの貴族の家に生れた。古い歌謡を模した『ロビン・グレー老』 Auld Robin Gray (1771) の作者として知られる。

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