広義ではフランス革命の際のサン・キュロットの政治的要求や、1920年代初めカフカスと中央アジアの旧ロシア帝国植民地・保護国およびモンゴルにおける反封建革命によって生まれた民主主義的政治体制を含めることもある。より狭い現代的意義においては、第二次世界大戦後、ポーランド、旧東ドイツ、旧チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、旧ユーゴスラビア、アルバニアといった旧東欧諸国、および中国、北朝鮮、ベトナムといったアジアの諸国で反ファシズムないし反帝国主義の民族解放闘争を通じ、統一戦線組織に基づく民主主義的変革の結果として成立した政治体制もしくはその理念をさす(中国のように新民主主義という用語法もあった)。
後者について政治的変革の経路という見地からみると、1917年のロシア革命が、労働者の優れて階級的な組織であるソビエト(評議会)を、普通選挙によって成立した議会にかえて直接に公的・国家的な機関に転化させ、プロレタリア独裁の政治形態を打ち立てたのとは異なり、これらの諸国では、まず人民の武装力を伴った統一戦線組織によって臨時政府が樹立され、この武装力によってファシズム・軍国主義からの解放が達成されたのち、普通選挙によって人民代表制機関(議会)が形成され、この機関が国家権力の担い手になるというコースをたどった点がほぼ共通の特徴とされた(実際にはソ連軍の進攻と駐留のもつ意味が大きかった)。その際、国名としては、人民共和国、人民民主主義共和国などの用語が採用されている。この意味での人民民主主義は、1947~48年までの初期段階では、いまだ社会主義的民主主義ではないが、それが目ざした変革の内容において、すでにブルジョア民主主義を超えた、いわば「第三の道」であって、プロレタリア独裁を経由せずに社会主義への移行を可能にするところの、それぞれ民族的に多様な政治形態をなすものと理解されていた。
統一戦線組織に基づく民主主義的変革という構想自体は、一面では1935年のコミンテルン第7回大会が掲げた反ファシズム人民戦線による新しい政府の樹立という路線を引き継ぐものではあるが、この人民戦線政府がソビエト制に接近すべきものとして位置づけられていたのに対して、第二次大戦後の現実の人民民主主義は少なくともその初期においては、ソビエト型とは異質の政治形態とみなされていたわけである。しかし、その後トルーマン・ドクトリンやマーシャル・プランの登場に伴う冷戦構造の尖鋭(せんえい)化のもとで、ソ連に対する政治的態度が人民民主主義諸国の定位の基準になるという条件が生まれると同時に、1948年にコミンフォルムが、社会主義への独自の民族的な道の探求をブルジョア民族主義と断罪し、ユーゴスラビア共産党を除名するという事態に至る。ここに、各国においてその地位を強化してきていた共産党がソ連共産党の「助言と援助」を、そしてまたその政治的経験を建前上自発的に受容するという状況が広く生まれ、ソビエト型政治形態(政治体制における共産党の指導性の確保、中央集権的な経済管理方法、農業集団化などを含む)の各国への移植過程が進行することになり、こうした経緯のなかで、人民民主主義の概念も、プロレタリア独裁の機能を果たすべき政治形態を意味するものと理解されるようになる。その結果、政治形態の人民民主主義型としての独自性は希薄化することになるが、1960年代に入ってから、これらの諸国が過渡期を終了して社会主義の段階に順次移行するとともに、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ルーマニアなどでは国名も社会主義共和国へと改められ、社会主義への過渡期という段階規定としての人民民主主義の独自の意味も失われていった。これらの諸国におけるとくに1950年代末以降のさまざまな改革に伴う事件(1956年のハンガリー事件、68年チェコスロバキアの再生運動、80年ポーランドの「連帯」の運動など)には、人民民主主義の初期の理念に照らして検討されるべき問題が少なくない。
[大江泰一郎]
『高橋勇治・戸沢鉄彦編『人民民主主義の研究』上下(1955、56・勁草書房)』▽『前野良編『現代革命と人民民主主義』(1958・大月書店)』▽『藤田勇著『人民民主主義構想の成立過程をめぐって』(『ヨーロッパの法体制』所収・1979・東京大学出版会)』
第2次世界大戦後,東ヨーロッパとアジアのいくつかの国(中華人民共和国,朝鮮民主主義人民共和国,ベトナム民主共和国)で樹立された国家形態のこと。中国では新民主主義という言葉が用いられた。これらの国々は第2次世界大戦中,ドイツや日本などのファシズムに直接,間接に占領ないし支配された。そこでこれらの国の解放勢力は労働者,農民,中間層,さらに民族ブルジョアジーの一部をも含む反ファシズム,民族解放の統一戦線を結成して戦ったが,ファシスト陣営の敗北とともに,この種の統一戦線の勢力が政治権力を握ることになった。この結果としてこれらの国では,1917年十月革命後のロシアのように議会制度を否定して,ただちに社会主義権力を樹立するという方式はとられず,議会制度は存続させられ,統一戦線を構成した複数の政党や多様な勢力を基盤としながら,漸進的に社会主義への移行が実現された。こうして人民民主主義という国家形態は,これらの国において二つの革命が一つの統一的過程として遂行された,その全過程を通じての国家形態となったのである。言い換えれば,それは反帝国主義(反ファシズム),反封建革命(ただしチェコなどは例外)から社会主義革命へと連続的に発展していくなかで,革命的・民主的独裁の権力からプロレタリア独裁の権力へとその質的性格を変えていったのである。
こうして人民民主主義の国家形態は,今日ではソビエト形態と並ぶプロレタリア独裁の一形態とされており,したがって西ヨーロッパの議会民主制とは根本的にその性格を異にしている。この相違は,人民民主主義における一院制議会への権力の集中と共産党の指導的役割の確保という点にみられる。なお若干の国々の〈解放〉がソ連の軍事力を背景として行われ,その後もソ連の圧倒的影響下におかれていたことは,それらの外交,内政の両面にわたる多くの問題や困難の遠因になっている。
執筆者:田口 富久治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
第二次世界大戦後,中・東南ヨーロッパおよびアジアに成立した社会主義国家の政治形態の呼称。その定義には推移があり,大戦直後には,資本主義と社会主義の中間の道である,といったゴムウカらの説も行われたが,1948年前後から,プロレタリアート独裁の特殊な形態であるとする統一解釈が行われた。ただし,その際にも,人民民主主義が大戦中の反ファシズム闘争の中から生まれたこと,赤軍の援助,などの諸要因が指摘され,また社会主義革命の遂行過程で一党独裁の形態をとらず,共産党を中心とする勤労者政党の連合が認められた点がソヴィエト制度と対比された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…各国では,大戦中に形成された人民戦線や祖国戦線が権力を握り,社会民主党,共産党,農民党,ブルジョア・リベラルなどの連立政権が成立していた。そのもとで徹底した土地改革と特定の大工業の国有化が行われたが,社会主義の導入は考えられておらず,東欧各国の指導者は新しい体制を〈新しい民主主義〉とか〈人民民主主義〉と呼んでいた。その場合の人民民主主義というのは,ソビエト型民主主義でも西欧型民主主義でもない,両者を総合した民主主義であると考えられていた。…
※「人民民主主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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