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フォルクスワーゲン Volkswagen AG

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フォルクスワーゲン
Volkswagen AG

ドイツの自動車メーカー。1937年ドイツ政府により設立。ナチスのドイツ労働戦線内につくられた組織が前身で,「国民に国民車(フォルクスワーゲン)を」という構想のもとフェルディナント・ポルシェが設計を担当,1936年に試作車が完成した。のち国有の有限会社となり,第2次世界大戦中は軍需工場とされた。戦後ドイツ連邦共和国(西ドイツ)で自動車の生産を再開,1960年株式会社に改組され,株式の 60%を一般に公開し,残りの 40%を西ドイツ政府とニーダーザクセン州が 20%ずつ保有した。本社を置くウォルフスブルクはフォルクスワーゲンを生産するためにつくられた町であり,その本社工場は世界最大の自動車プラントとして有名。1965年ダイムラー=ベンツの子会社アウト・ウニオン,1969年 NSUモートレンベルケを買収して両社を合併させ,アウディ NSUアウト・ウニオン(1985アウディに改称)を設立,中型車を生産させた。1970年レンタカーチェーンのゼルプストファーレル=ウニオンを買収してレンタル業務にも進出。1998年イギリスの自動車メーカー,ロールス=ロイスからベントレー部門を買収した。2012年ポルシェと経営統合。ヨーロッパを中心に南北アメリカ,アジア,アフリカなどに多数の製造・販売拠点をもつ。傘下企業とフォルクスワーゲングループを構成し,高級車アウディ,ブガッティ,ベントレー,ポルシェ,ランボルギーニ,中級車フォルクスワーゲン,大衆車セアトおよびシュコダ,二輪車ドゥカティ,商用車スカニア,MANなどのブランドを展開する。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

フォルクスワーゲン

世界3位の自動車メーカー。独アウディや伊ランボルギーニ、英ベントレーを傘下に抱え、2010年のグループの販売台数は前年比13.7%増。13年に電気自動車の投入を計画中。

(2011-03-24 朝日新聞 朝刊 2経済)

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デジタル大辞泉の解説

フォルクスワーゲン(Volkswagen)

《国民車の意》ドイツに本社を置く欧州で最大の自動車メーカー。1937年にヒトラーの命令で設立、1960年、半官半民の会社に改組された。第二次大戦後に製造されたビートル(かぶと虫)で知られる。1988年、ドイツ連邦政府が保有株式を全て売却し、完全民営化した。傘下にアウディ・ベントレー・ブガッティ・ランボルギーニなどのブランドをもつ。VW(ファウベー)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フォルクスワーゲン
ふぉるくすわーげん
Volkswagen AG

ヨーロッパ最大の自動車メーカー。本社はドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ウォルフスブルク市にある。世界における乗用車販売シェアは10.3%で、ヨーロッパにおいて首位にある(2008)。
 1937年、ヒトラーの命令で一般大衆のための「快適で経済的な小型車」である「国民車」を生産する目的で設立された。国民車はKdF(カーデーエフ)ワーゲンKraft durch Freude Wagenと命名されF・ポルシェによって試作が進められた。しかし、第二次世界大戦中、工場は軍用車の生産に特化したため、国民車の生産は中止された。戦後になって、ポルシェの開発した独特な流線型のデザインである「ビートル」(カブトムシ)の生産が開始された。ビートルは世界中の大衆の支持を得て、1961年には年間生産台数が100万台を突破した。累積生産台数では、1965年1000万台、1972年には単一モデルでは最大の累積生産台数を誇ったフォード社のフォードT型車(T型フォード)の生産記録(1500万7033台)を破る快挙を成し遂げた。この間、同社は、1953年にブラジル、1964年にメキシコ等で海外現地生産を行い、ドイツ乗用車メーカーのなかではもっとも早く国際化戦略を展開してきたことで知られている。
 第二次世界大戦後、フォルクスワーゲンは、国有の有限会社として出発したが、1960年に株式会社に転換するとともに、政府所有株式の60%を公開した。残り40%は連邦政府と州政府がそれぞれ20%ずつ所有した(その後、1980年代にコール政権の「民営化」政策により、連邦政府所有分は売却)。1970年代の初め、ドイツ・マルクの切下げや中型車の失敗、さらに直接的には石油危機による世界同時不況により1975、1976年の2年間に10億マルクの損失を計上。そこで1974年ウォルフスブルクにおけるビートルの生産を中止した。だが、メキシコ、ブラジル工場ではそのままビートルの生産は続けられ、1981年にはビートルの累積生産台数は2000万台を突破した。1998年、ビートルのコンセプトを現代風にアレンジした「ニュー・ビートル」が発売され、注目を集めた。
 フォルクスワーゲンは、1970年代の石油危機以降、単一車種生産からの脱却を図ってきた。「ビートル」後の主力車種となった「ゴルフ」のほか、「パサート」「ポロ」などモデルを拡充するとともに、1980年代にはスペインのセアト社、1990年代に入ってチェコのシュコダ社をその傘下に収め、以前から子会社であったアウディとともに、今日ではフォルクスワーゲン(略称、VW)グループとして、VW、アウディ、セアト、シュコダ、VW商用車という5ブランド体制の下で組織・運営された。
 とりわけ、1990年代後半以降、グループとしての600万台体制の実現を目ざして、積極的な大規模投資を行った。とくにグループ内のアウディを高級車ブランドとして特化させ、その競争力を強化するために、最高級車メーカーであるイギリスのロールス・ロイス社やフランスのブガッティ社、さらにはスポーツカーのランボルギーニ社(イタリア)を相次いで買収するとともに、商用車部門の強化のためにスウェーデンの商用車メーカーであるスカニア社を買収し、総合自動車メーカーとしての発展を目ざしている。なお、ロールス・ロイス社については、2003年以降はBMW社が「ロールス・ロイス」の商標権を獲得し、VWは「ベントレー」ブランドのみの利用となる。
 1990年代に入ると、ヨーロッパ経済は不況に突入した。そのためVWも、1993年には同社創設以来最悪、19億マルクもの赤字を記録するところとなった。その後、業績は順調に回復し、1998年にはグループとして482万台(世界シェア11.4%)と1990年の305万台から1.6倍に生産台数を拡大した。その結果1998年の売上高は1342億マルク、税引き後利益も22億マルクでVW創設以来最高水準となった。
 日本では、1983年にVW100%出資の販売子会社「フォルクスワーゲン株式会社」を設立し、1996年(平成8)に「フォルクスワーゲン・グループ・ジャパン」と改称、「ファーレン」「デュオ」という正規ディーラーを組織して、VW車とアウディ車の販売を行っている。1991年には、愛知県豊橋市に専用埠頭(ふとう)をもつ新車整備工場を設立し、国内の物流拠点とする一方、ここでディーラーのサービス技術員の研修等も行われている。[風間信隆]

その後の動き

2008年には世界21か国に61の生産拠点をもち、グループとして634万台を生産し、625万台を販売(世界シェア10.3%)した。2008年の売上高は1138億0800万ユーロ、税引き後利益46億8800万ユーロ。従業員数は2008年末時点で36万9928人。
 日本へは2005年(平成17)にフォルクスワーゲンブランド単独で累計100万台の輸出を達成した。また、2010年1月にはスズキの株式の約20%を取得、スズキとの提携を強化している。[編集部]

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