フサイン=マクマホン書簡(読み)フサイン=マクマホンしょかん(その他表記)Husain-MacMahon Correspondence

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

フサイン=マクマホン書簡
フサイン=マクマホンしょかん
Husain-MacMahon Correspondence

エジプトおよびスーダンイギリス高等弁務官 H.マクマホンオスマン帝国からの独立運動を起したメッカの守護職 S.フサインとの間で 1915年7月 14日から 16年3月 30日の期間に取りかわされた 10通の書簡。これらの往復書簡を通じて,イギリスはフサインがオスマン帝国に反抗する代償として,アラブの独立を承認するという合意が成立した。この合意は条約協定という形で具体化はされなかったが,一般にはフサイン=マクマホン協定と呼ばれている。しかし,アラブに独立を認める地理的範囲をめぐってイギリスとアラブのおもわくに相違が生じた。イギリスは他方でユダヤ民族によるイスラエル建国を支持するバルフォア宣言を出したり,フランスおよびロシアとの秘密条約であるサイクス=ピコ協定を締結するなど矛盾した政策をとったため,第1次世界大戦後パレスチナ問題を生んだ。 (→パレスチナ分割 )  

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

フサイン=マクマホン書簡 (フサインマクマホンしょかん)

第1次世界大戦の直前から,独立アラブ国家の首長たらんとする野望をもつメッカのシャリーフであるフサインは,対オスマン政府反乱交換にアラブ独立をイギリスに認めさせようとした。彼は,大戦中の1915年7月から16年3月に至る間に,エジプト高等弁務官マクマホンHenry MacMahonと各5通の往復書簡を交わし,イギリスに戦後アラブ王国の独立を承認させ,16年6月の〈アラブ反乱〉に立ち上がった。
サイクス=ピコ協定
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百科事典マイペディア の解説

フサイン=マクマホン書簡【フサインマクマホンしょかん】

第1次大戦中の1915年,英国高等弁務官マクマホンH.MacMahonがメッカのアミール(太守)フサインと結んだ協定。対英協力とオスマン帝国への反乱を条件に,英国は戦後のアラブ独立の支持を約束。後にサイクス=ピコ協定バルフォア宣言との矛盾が明らかになり,紛争の原因となった。→パレスティナ問題
→関連項目第1次世界大戦

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

フサイン‐マクマホン書簡(フサイン‐マクマホンしょかん)
Husayn-MacMahon Correspondense

メッカのシャリーフ(太守)のフサインとイギリスのエジプト高等弁務官マクマホンとの間に1915~16年に交わされた計10通の書簡。独立の承認を条件にしてフサインがオスマン帝国に対する反乱を企てることにイギリスは同意した。ただアラブ独立国家の範囲については見解の相違があり,またこれがサイクス‐ピコ協定バルフォア宣言とも矛盾していたことが,現在に及ぶ中東紛争の遠因となっている。

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世界大百科事典(旧版)内のフサイン=マクマホン書簡の言及

【シリア】より

… 第1次世界大戦においてオスマン帝国がイギリス,フランスなどの連合国側に敗北,解体して,国民主義,世俗主義,共和制のトルコが生まれると,スルタン・カリフ制はあっさり廃止される。他方,戦時にメッカのシャリーフ,ハーシム家のフサインは,イギリスからオスマン帝国下にあったシリア,アラビア半島におけるアラブ王国独立の約束を取り付け(フサイン=マクマホン書簡),息子のファイサル1世アブド・アッラーフ・ブン・フサインとともにアラブ反乱を開始する。ファイサル1世は連合国軍の一翼としてダマスクスに入城し,1920年シリア王位につく。…

※「フサイン=マクマホン書簡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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