日本大百科全書(ニッポニカ) 「サイクス‐ピコ協定」の意味・わかりやすい解説
サイクス‐ピコ協定
さいくすぴこきょうてい
Sykes-Picot Agreement
第一次世界大戦中の1916年5月、イギリス、フランス、ロシア間で、戦後のオスマン・トルコ帝国領の分割を約束した秘密協定。ロシアの首都ペトログラード(現、サンクト・ペテルブルグ)で調印された。協定の名称は、主として作成にあたったイギリスの外交官マーク・サイクスMark Sykes(1879―1919)とフランスの外交官ジョルジュ・ピコFrançois Georges-Picot(1870―1951)の名からつけられた。協定によると、レバノンを含むシリア、イラク北部、アナトリア南東部はフランスの、イラク中南部、ヨルダンはイギリスの、それぞれ統治地域および勢力圏とし、ロシアはジョージア(グルジア)、アルメニアに接するトルコ領の一部を獲得する。またエルサレムを含むパレスチナは国際管理下に置く、となっていた。この協定は、前年(1915)のフサイン‐マクマホン協定および翌1917年のバルフォア宣言とまったく矛盾するものであり、第一次世界大戦中に示したイギリスの二重外交、および帝国主義時代の大国間の権力政治の典型を示すものであった。
[藤村瞬一]