フルトベングラー(読み)ふるとべんぐらー(その他表記)Wilhelm Furtwängler

精選版 日本国語大辞典 「フルトベングラー」の意味・読み・例文・類語

フルトベングラー

  1. ( Wilhelm Furtwängler ビルヘルム━ ) ドイツの指揮者。ベルリンの生まれ。ライプチヒゲバントハウス管弦楽団、ベルリン‐フィルハーモニーを指揮して欧米各地で活躍。二〇世紀最大の指揮者の一人とされる。(一八八六‐一九五四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フルトベングラー」の意味・わかりやすい解説

フルトベングラー(Wilhelm Furtwängler)
ふるとべんぐらー
Wilhelm Furtwängler
(1886―1954)

ドイツの指揮者。トスカニーニと並んで20世紀を代表する巨匠。ベルリン大学考古学教授を父として1月25日ベルリンに生まれる。初め作曲を学んだが、1906年指揮者としてデビュー。リューベック、ついでマンハイムの歌劇場で経験を積みつつ、ドイツ各地に客演して頭角を現した。22年名指揮者ニキシュの後任としてライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団ならびにベルリン・フィルハーモニーの指揮者に就任、ドイツの指導的な指揮者としての地位を確保、ついでワインガルトナーの後任としてウィーン・フィルハーモニーの指揮者も兼任、さらにバイロイト音楽祭やベルリン国立歌劇場の総監督も務めた。国外での活動も増え、25年のニューヨーク・フィルハーモニーをはじめ各地に客演。第二次世界大戦中ドイツにとどまって活動したため、戦後、戦犯容疑をかけられたが無罪。47年活動を再開するや、ヨーロッパの主要ポストをほとんど手中に収め、ヨーロッパ楽界に君臨した。肺炎のためバーデン・バーデンで54年11月30日死去。その指揮は激しい緊迫感と深い感動を伴うと評されたが、それは作品を再創造する演奏を目ざし、つねに徹底した作品解釈を怠らなかった賜物(たまもの)である。なかでもベートーベン、ワーグナーブルックナーブラームスは高い境地を示しており、絶品と称賛され、残された多くのレコードによってその一端をうかがうことができる。

[岩井宏之]

『ベルント・W・ヴェスリング著、香川檀訳『フルトヴェングラー/足跡――不滅の巨匠』(1986・音楽之友社)』『脇圭平・芦津丈夫著『フルトヴェングラー』(岩波新書)』『C・リース著、八木浩・芦津丈夫訳『フルトヴェングラー――音楽と政治』(1983・みすず書房)』『芦津丈夫・石井不二雄訳『フルトヴェングラーの手記』(1983・白水社)』『芦津丈夫訳『フルトヴェングラー 音と言葉』(1978・白水社)』


フルトベングラー(Adolf Furtwängler)
ふるとべんぐらー
Adolf Furtwängler
(1853―1907)

ドイツの考古学者、美術史学者。著名な指揮者ウィルヘルムの父。ギリシアオリンピア遺跡発掘調査に参加、さらにベルリンの博物館で研究を続け、ベルリン大学、ミュンヘン大学などで教授、並行してミュンヘン古代博物館館長を務めた。その間ギリシア各地で古代遺跡・遺品などの発掘調査活動に従事し、アテネで没した。紀元前4、5世紀のギリシア彫刻や彫刻宝石ジェム)などのほか、さらに古い時代の陶器、陶器画など広く古代ギリシアの美術を研究し、美術考古学の領域に大きな業績を残した。古代関係の著書は多いが、ウルリヒスと共著の『ギリシア・ローマの彫刻』(1911)に邦訳がある。

[鹿島 享]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フルトベングラー」の意味・わかりやすい解説

フルトベングラー
Furtwängler, (Gustav Heinrich Ernst Martin) Wilhelm

[生]1886.1.25. ベルリン
[没]1954.11.30. バーデンバーデン
ドイツの指揮者。ミュンヘンで学び,1905年からチューリヒ,リューベックなどで指揮者として活動を始め,15年マンハイム歌劇場の指揮者。 20年ベルリンの国立歌劇場,22年ライプチヒのゲバントハウスおよびベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者となる。また世界各地の音楽祭で演奏活動を行うなど国外でも活躍。 30年にナイトの称号を得,34年ローマのサンタ・チェチリア王立アカデミー会員,ドイツ芸術院会員。第2次世界大戦後,ナチスに屈従したとされスイスへ退いたが,無罪となり,ドイツへ戻って 52年ベルリン・フィルの終身指揮者となる。また,ウィーン,ロンドン,ニューヨークなどでも指揮をし,20世紀前半最大の指揮者といわれた。著書,音楽評論『音楽について』 Gespräche über Musik (1948) 。

フルトベングラー
Furtwängler, Adolf

[生]1853.6.30. フライブルク
[没]1907.10.10. アテネ
ドイツのギリシア考古学者。フライブルクとライプチヒの大学で学び,ミュンヘンで H.ブルンに師事して古典芸術を学んだ。約3年間のギリシア,イタリア旅行ののち,1880年ベルリン博物館長,94年ミュンヘン大学考古学教授。 1901年にはエイナ島の発掘を指導し,すぐれた考証と鑑識眼で古代のギリシア彫刻,壺絵,宝石を研究し,年代順のカタログを制作した。主著書『ギリシア彫刻の傑作』 Meisterwerke der griechischen Plastik (1893) 。指揮者 W.フルトベングラーの父。

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