ドイツ南西部,バーデン・ビュルテンベルク州の都市。正称はFreiburg im Breisgau。人口21万3998(2004)。スイスに近い南シュワルツワルトを背にして上部ライン平原にのぞむ美しい都市で,歴史の古い大学(1457創立)や音楽大学によって日本にも知られる。経済面では19世紀以来繊維工業が発達し,またこの地方の物産(シュワルツワルトの酪農製品やカイザーシュトゥールのブドウ酒)の取引場所として地方経済に重要な役割を果たしている。1120年この地方の支配者ツェーリンゲンZähringen家によって建設され,13世紀はじめ同家が断絶したのち,フライブルク伯を称したウラッハUrach家の支配を経て,14世紀にはハプスブルク家の支配下に入った。17世紀には一時フランス領となったこともある。1805年バーデン領となり,21年カトリックの大司教座が置かれた。第2次大戦中爆撃によって旧市街は破壊されたが,大聖堂などは残った。
執筆者:坂井 栄八郎
1200年ごろ,末期ロマネスク建築として着工されたあと,ゴシック時代を通じて身廊,塔,内陣の順で造営と改築が進められた。トレーサリー(狭間飾)だけからなる尖塔部をつけた単塔は,ドイツ・ゴシック建築の最美のものである。放射状祭室をもつ内陣の中央祭壇画は,H.バルドゥングの《聖母戴冠》。祭室の一つにはホルバイン(子)の《羊飼いの礼拝》を見る。玄関などの彫刻群もゴシック期のもの。
執筆者:勝 国興
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ドイツ南西部、バーデン・ウュルテンベルク州の都市。ニーダーザクセン州のフライブルク・アン・デア・エルベ、スイスのフリブールなど他の同名の都市と区別して、フライブルク・イム・ブライスガウという。人口20万5100(2000)。シュワルツワルト山地の西麓(せいろく)、ライン川支流ドライザーム川の扇状地上の標高278メートルに位置する。商業と地方行政の中心都市であるが、木材加工、家具、化学繊維、電気器具、酪製品などの工業も立地し、第二次世界大戦後は西方のライン低地への市街地拡大が著しい。西郊のカイザーシュトゥール火山(557メートル)斜面で栽培されるブドウを原料とするワインの取引も行われる。総合大学をはじめ、音楽大学、教育大学、造形芸術大学を有する大学都市でもある。また、後期ゴシック様式の尖塔(せんとう)をもつミュンスター教会には、1827年以来、上ライン地方の大司教座が置かれ、宗教都市ともなっている。シュワルツワルト山地観光の基点をなす。環境行政に力を入れており、「環境都市フライブルク」の別名がある。1980年代後半、環境定期券という制度を始めたことでも知られている。これは環境保全を目的に公共交通機関の利用を促進するために、日曜日や祭日に定期券を使用すると本人以外に大人1人と子供4人まで無料で同行できるなどのサービスが受けられるというもの。日本でも90年代後半から東京、神奈川などで導入されている。
1120年ツェーリンガー家コンラート公による自由な建設都市(計画都市)を起源とし、1218年ハルラッハ伯領となるが、1368年以来、とくに1638年から1806年まではハプスブルク家の支配下にあって、その西方政策の拠点としての役割を果たした。
[佐々木博・進藤牧郎]
「フリブール」のページをご覧ください。
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ドイツ,バーデン‐ヴュルテンベルク州にある都市。他の同名の都市と区別するために「ブライスガウの」(im Breisgau)を付す。典型的な建設都市で,1120年ツェーリング家のコンラートによって建てられた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…都市の人口は3万3000(1996)。フライブルクFreiburgとも呼ばれる。1157年ツェーリンゲン家によってスイス西部,サリーヌ河岸に都市が建設され,後に領域支配を貫徹して都市国家を形成した。…
※「フライブルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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