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ブラティアヌ Ion Constantin Brǎtianu

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世界大百科事典 第2版の解説

ブラティアヌ【Ion Constantin Brǎtianu】

1864‐1927
ルーマニアの政治家。ルーマニア有数の政治家の家系に生まれ,彼と同名の父Ion Brǎtianu(1821‐91)は1848年ワラキア革命の参加者で,66年には代表的なブルジョア政党である民族自由党の創立者の一人だった。彼も1909‐27年に同党の党首となり,大臣を歴任,第1次大戦時と1922‐26年には首相を務めた。彼の反民衆的な民族主義的政策は,1907年の農民反乱の鎮圧,第2次バルカン戦争への参戦の主張,革命直後のロシアハンガリーへの干渉政策によく反映されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブラティアヌ
ぶらてぃあぬ
Brtianu

ルーマニアの政治家の家名。(1)ヨン・C・ブラティアヌIon C. Brtianu(1821―91) 「ルーマニアのビスマルク」とよばれる。ワラキアのピテシュティに生まれ、パリに学んだ。「一八四八年の革命」には帰国して重要な役割を演じた。敗北してパリに逃れたが56年に帰国、二公国統一後の66年に自由党を結成し、76年に首相になり、短い中断を挟んで12年間その地位にあった。(2)ヨン・C・ブラティアヌIon C. Brtianu(1864―1927) (1)の長男。同名で紛らわしいので、ヨネルIonelとよばれた。1895年に内相に、1909年に自由党党首に就任し、それから死去するまで断続的に通算15年近く首相を務め、その間第一次世界大戦を戦い、戦後のパリ講和会議で自国の領土拡張に尽力した。(3)コンスタンティン・ブラティアヌConstantin Brtianu(1866―1952?) 通称ディヌDinu。(1)の次男。ブラティアヌ家の経済面を主として担当していたが、1933年に自由党党首となり、民族農民党マニウとともに、国王カロル2世の独裁に反対し、第二次世界大戦末期には共産党とともにアントネスク政権に対するクーデターに参加した。戦後の二つの内閣に無任所相として入閣したが、ソ連派のグローザ内閣への入閣は拒否し、50年に逮捕され、獄死した。(4)ビンティラ・ブラティアヌVintil Brtianu(1867―1930) (1)の三男。1922年に蔵相となり、兄ヨネルの死後27年に首相に就任したが、政治・経済危機に対処しきれず、28年に辞任した。[木戸 蓊]

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