アントワープ(英語表記)Antwerp

翻訳|Antwerp

デジタル大辞泉 「アントワープ」の意味・読み・例文・類語

アントワープ(Antwerp)

アントウェルペン英語名。

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精選版 日本国語大辞典 「アントワープ」の意味・読み・例文・類語

アントワープ

  1. ( [英語] Antwerp ) ⇒アントウェルペン

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改訂新版 世界大百科事典 「アントワープ」の意味・わかりやすい解説

アントワープ
Antwerp

ベルギー北部,スヘルデ川の河口に臨む大貿易港,臨海工業都市で,同名州の州都。アントワープは英語で,フラマン語オランダ語)ではアントウェルペンAntwerpen,フランス語ではアンベルスAnversまたはアンベール。人口は46万(2004)でベルギーでは第2位。フラマン語圏の中心都市でもある。同港は内陸水路や鉄道,高速自動車道によってベルギー各地のみならず,西ドイツ,北フランスと,また1976年に完成したスヘルデ・ライン運河により,ライン河口と結ばれている。このような広い後背地を擁する同港は,ベルギーの輸出入の9割を扱うのみならず,ロッテルダム,ル・アーブルに次ぐヨーロッパ第3の荷扱高を誇っている(8万トン以上のタンカーは入港できぬため,1971年にロッテルダムとの間にパイプラインを敷設して,これを補っている)。工業は,第2次世界大戦前からの造船や非鉄金属精錬(とりわけコンゴ産の銅,コバルト)や石油精製,アメリカ系自動車会社の組立工場などに加えて,戦後のフラマン地域の工業化の拠点として,オランダ国境まで17kmにわたる臨海工業地帯がスヘルデ川の東岸(さらに一部西岸)に造成され,ベルギーのみならずアメリカや西ドイツ,フランス,イタリアなどの企業が競ってここに石油化学工場を設立した。同市はこのような貿易や工業を背景とする,首都ブリュッセルに次ぐ有力な経済的中心地で,多数の商社,銀行,保険会社を擁している。また文化面では,二つの文科系大学や音楽・美術大学,商船大学が置かれ,王立美術館,ルーベンス館(旧邸),プランタン館などの博物館や王立劇場,王立オペラ劇場なども有名である。市街は19世紀末から次第に近代化され,また火災などで古い由緒ある建築が失われたが,市の中心部には市庁舎とそれと向かい合うギルド会館群,ルーベンスの名画《マリアの昇天》で有名な聖母教会をはじめとする16世紀の後期ゴシック建築やバロック建築でその歴史をしのぶことができる。

15世紀中葉までは,数ある年市開催都市のひとつにすぎず,人口もまだ2万足らずであった。しかし,この頃から急激な興隆を遂げ,16世紀中葉にはヨーロッパで並ぶもののない商業金融の中心地となった。それは,ヨーロッパ大陸に輸出攻勢をかけてきたイギリス毛織物の販売の拠点となったこと,さらにインド進出を達成したポルトガルが,その輸入した香辛料をここで売りさばき,代りに東洋向けの銀や銅を仕入れたためである。こうして,この都市にはイギリス,ポルトガル,ドイツ,スペイン,イタリアなど全ヨーロッパの商人が集まり,世界で初めての商品取引所も1533年に完成した。しかし,その後オランダ独立戦争の戦乱,とりわけ85年のスペインへの降伏によって,多くの商人(とくにプロテスタント)はこの都市を棄ててアムステルダムに去り,独立したオランダに海への出口をふさがれて,最盛期10万の人口は4万に落ち,一内陸都市に転落した。フランス革命後海への出口は再び解放されたものの,1863年まではオランダが課していた重い通過関税が同市の発達の大きな障害となり,同年ベルギー政府がこれを買い取ってから順調な発展が約束された。
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百科事典マイペディア 「アントワープ」の意味・わかりやすい解説

アントワープ

ベルギー北西部,スヘルデ河口の港湾都市。フラマン語(オランダ語)ではアントウェルペンAntwerpen,フランス語ではアンベール,アンベルスAnversという。ベルギー第2の都市で,鉄鋼・造船・繊維・製糖・ダイヤモンド研磨工業が行われる。大学(1966年創立)がある。7世紀より知られ,13世紀以後商業都市として発展し,16世紀スペイン支配下に西欧第1の貿易港となり,また1531年にはヨーロッパで最初の株式取引所が設立された。50万2604人(2012)。
→関連項目アントワープオリンピック(1920年)アントワープ中央[駅]

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旺文社世界史事典 三訂版 「アントワープ」の解説

アントワープ
Antwerp

ベルギー北部の商業部市。アントウェルペンとも呼ばれる
12世紀ごろから商業が発達,1291年に自由都市となり,1315年ハンザ同盟に加入。15世紀後半からブリュージュにかわって繁栄し,カール5世の時代はアジア物産の中継貿易で栄え,当時のヨーロッパにおける金融の中心地として繁栄。オランダ独立戦争中,スペイン軍に占領略奪されて衰え,三十年戦争後まったく不振となった。1830年ベルギーが独立してから再び発展し,現在に至っている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アントワープ」の意味・わかりやすい解説

アントワープ
あんとわーぷ
Antwerp

ベルギー北部、アントウェルペン州の州都アントウェルペンの英語名。

[編集部]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アントワープ」の解説

アントワープ

アントウェルペン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アントワープ」の意味・わかりやすい解説

アントワープ

「アントウェルペン」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のアントワープの言及

【ブラバント】より

…中世に神聖ローマ帝国最西端の領邦ブラバント公領をなした。現在はベルギーのブラバント州とアントワープ(アントウェルペン)州,オランダの北ブラバント州から成る。フランス語地帯に属するベルギーのブラバント州の南半分およびフランス語とオランダ語を公用語とするブリュッセル以外は,オランダ語を用い,オランダ領も含め住民の大部分はカトリック。…

【商業】より

… これに比べてポルトガルのインド航路の開拓とスペインの新大陸発見は従来の貿易構造に対してはるかに大きな影響を与えた。大量のコショウがポルトガル船によってリスボンへ,さらにアントワープへと運ばれた。こうして16世紀前半にアントワープは西ヨーロッパの大市場に成長した。…

【商人】より

…スペイン,ポルトガルの王室は厳重な国家管理によってこの貿易から最大の利益をあげようとしたが,それにくいこんで成功したのはむしろドイツ,オランダ,イタリアなどの外国商人であった。一方,北方ではアントワープが大きく発展していた。その商業取引所は1485年に開設され,16世紀にはヨーロッパ中の商人が集まるようになった。…

【水運】より

…インド航路やアメリカの発見によってヨーロッパの海運は大きく発展したが,北海と地中海を結ぶ伝統的な交易網もなおその重要性を失わなかった。【清水 広一郎】
[近世・近代の海運]
 16世紀における北西ヨーロッパ最大の中継貿易港アントワープが,オランダ独立戦争の渦中で1585年スペイン軍に占領され港の入口がオランダ側に閉鎖されると,中継貿易の中心はオランダのアムステルダムに移った。17世紀前半オランダの海運と貿易は驚異的発展を遂げ,その商船隊はバルト海,北海から南の地中海,レバント,さらにアフリカ西海岸,カリブ海域,北アメリカ,東アジアにまで進出し,オランダはまさにヨーロッパの海運業者になった。…

【大航海時代】より

… アジアにおけるポルトガルの活動はアルブケルケ以後は国家財政の悪化もあってしだいに低調になっていったが,48年になって大きな転機を迎えた。この年国王ジョアン3世はベルギーのアントワープにあった商館を閉鎖し,王室財政の悪化が明白になった。またインドではこの年に積極的な軍事政策をとっていた副王ドン・ジョアン・デ・カストロがゴアで没し,これ以後インドにおけるポルトガル人はゴアを中心として,イスラム商人との間に貿易を行うだけになった。…

※「アントワープ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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