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ブルゴーニュ派 ブルゴーニュはBourguignons

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブルゴーニュ派
ブルゴーニュは
Bourguignons

百年戦争中のフランスで,オルレアン公ルイアルマニャック派に対立した党派。ブルゴーニュジャン (無畏公) を指導者とする。両者の抗争はフランスを2分し,1407年にはルイが暗殺され,ジャンもまた殺害され (1419) ,結果としてブルゴーニュ派イングランドとの同盟が成立するまでにいたった。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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百科事典マイペディアの解説

ブルゴーニュ派【ブルゴーニュは】

百年戦争後半期フランス国王シャルル6世の発狂(1392年)後,全王族・貴族間で起きた政権争いの一党派。Bourguignonsという。ブルゴーニュ公ジャンを首領とし,英国と結んでアルマニャック派と抗争した。
→関連項目シャルル[7世]ブルゴーニュ公国

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブルゴーニュ派
ぶるごーにゅは
Les Bourguignonsフランス語

フランスの王政下で、1390年代から1430年代のなかばまでアルマニャック派と対立抗争した党派。対立は、1411年以降決定的となって内乱状態に入り、1435年のアラスの和約まで継続する。1407年王弟オルレアン公ルイが、従兄弟(いとこ)のブルゴーニュ公国当主ジャンに暗殺されたが、ジャンも、ルイの息子シャルルの義父アルマニャック伯ベルナールを頭目とするアルマニャック派によって謀殺され(1419)、両公家の復讐(ふくしゅう)戦の様相をみせた。ブルゴーニュ公国はフランドルを領したが、ネーデルラントをねらってイギリス、さらにはドイツ諸侯に対しても和親政策を進めたため、それに反発してアルマニャック党派が形成されたという性格が強い。[堀越孝一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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