日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルゴーニュ派」の意味・わかりやすい解説
ブルゴーニュ派
ぶるごーにゅは
Les Bourguignons フランス語
フランスの王政下で、1390年代から1430年代のなかばまでアルマニャック派と対立抗争した党派。対立は、1411年以降決定的となって内乱状態に入り、1435年のアラスの和約まで継続する。1407年王弟オルレアン公ルイが、従兄弟(いとこ)のブルゴーニュ公国当主ジャンに暗殺されたが、ジャンも、ルイの息子シャルルの義父アルマニャック伯ベルナールを頭目とするアルマニャック派によって謀殺され(1419)、両公家の復讐(ふくしゅう)戦の様相をみせた。ブルゴーニュ公国はフランドルを領したが、ネーデルラントをねらってイギリス、さらにはドイツ諸侯に対しても和親政策を進めたため、それに反発してアルマニャック党派が形成されたという性格が強い。
[堀越孝一]