ブルンナー(読み)ぶるんなー(英語表記)Emil Brunner

デジタル大辞泉 「ブルンナー」の意味・読み・例文・類語

ブルンナー(Emil Brunner)

[1889~1966]スイスプロテスタント弁証法神学者。チューリヒ大学教授。神と人との出会いの真理を提唱。1953~55年、国際キリスト教大学教授として滞日。日本における民主主義キリスト教的基礎づけを説いた。著「出会いとしての真理」「教義学」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ブルンナー」の意味・読み・例文・類語

ブルンナー

  1. ( Emil Brunner エミール━ ) スイスのプロテスタント神学者。弁証法的神学運動の推進者の一人。昭和二八年(一九五三)来日し、国際基督教大学で教鞭をとった。(一八八九‐一九六六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルンナー」の意味・わかりやすい解説

ブルンナー
ぶるんなー
Emil Brunner
(1889―1966)

スイスのプロテスタントの神学者。12月23日チューリヒの東北ウィンタートゥールに生まれる。大学卒業後イギリスで高校教師をしたのち、1924年からチューリヒ大学の組織神学実践神学の教授。バルトらの初期の弁証法神学の運動に参加、シュライエルマハーを批判した『神秘主義と言葉』(1924)を発表した。自然神学可否をめぐってバルトと論争し、神と人間の結合点として理性を認めた『自然と恩寵(おんちょう)』(1934)を刊行、バルトから『否(ナイン)』という論文で反論を受けた。以来バルトとしばしば論争し、バルトの敵(かたき)役との見方もある。実践的宣教活動にも熱意をもち、1953~1955年(昭和28~30)には来日して国際基督(キリスト)教大学教授として教え、広い影響を与えた。『出会いとしての真理』(1938)、『教義学』全3巻(1946~1960)など多くの著書を残した。4月6日チューリヒにて死去。

[小川圭治 2018年1月19日]

『E・ブルンナー著、後藤安雄訳『弁証法神学序説――体験・認識及び信仰』(1935・岩波書店/1973・福村出版)』『弓削達訳『聖書の「真理」の性格――出会いとしての真理』(1950/訂正版・1956・日本基督青年会同盟)』『ブルンナー著、大木英夫訳『我は生ける神を信ず――使徒信条講解説教』(1962・新教出版社)』『エーミル・ブルンナー著、川田殖・親之訳『キリスト教と文明の諸問題』(1982・新教出版社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ブルンナー」の意味・わかりやすい解説

ブルンナー
Emil Brunner
生没年:1889-1966

スイスのプロテスタント神学者。20世紀のキリスト教思想界をリードした弁証法神学の創始者のひとり。1924-53年チューリヒ大学の組織神学および実践神学の教授,同大学総長もつとめた(1942-44)。クッターH.Kutter,ラガーツL.Ragazらの宗教社会主義の影響下に思想形成を始め,やがてシュライエルマハー以来の人間中心,体験重視の近代神学を批判して,K.バルトらとともに神中心の啓示神学を唱導した。のちバルトと決別したが(自然神学論争),その争点は人間に啓示と結びつく能力〈結合点Anknüpfungspunkt〉があるか否かの理解の差異にあった。ブルンナーはこれを肯定し,堕罪によってもなお形式的〈神の像(イマゴ・デイimago Dei)〉は残存しているとした。ここに見られるのは,ブルンナー神学における人格主義的要素と自然神学的要素である。前者は,真理を教理の中にではなく神と人との出会いの現実の中でとらえようとする(《出会いとしての真理》1938)。後者は,自然法を導入した社会倫理を構築させ(《正義》1943),他方,その神学に弁証的・宣教的な性格を与えている。チューリヒ大学を辞任して国際基督教大学の客員教授として来日したのも(1953-55),そうした神学の表現であった。主要著作には上掲のもののほか《仲保者》(1927),《命令と諸秩序》(1932),《自然と恩寵》(1934),《矛盾における人間》(1937),《教義学》(1946-60)などがある。
執筆者:


ブルンナー
Heinrich Brunner
生没年:1840-1915

オーストリア出身のドイツ法制史学者。ウィーン大学で法学と歴史学を学び,ドイツに留学してG.ワイツについて国制史を研究したのち,1866年レンベルク大学員外教授(1868年正教授),70年プラハ大学,72年シュトラスブルク大学を経て,74年ベルリン大学教授を歴任した。ドイツの法制史学界では指導的な地位を占め,新しい理論が彼の概説書に採用されると,その理論は通説の地位を与えられるといわれ,〈通説作成者〉の名もある。いわゆる〈古典理論〉の集大成者として知られ,その理論はきわめて精密かつ明晰であるが,30年代以降いろいろの批判に曝されてきた。しかし現在でも,彼の理論を無視して法制史の諸問題を論ずることは不可能であり,この意味では,彼の理論は今でも生き続けている。主著は《ドイツ法制史》2巻(1887,92)であるが,これは初期中世(フランク時代)で叙述が中断されており,その後の時代についての彼の見解を知るには《ドイツ法制史大要》(1901)を見るのが便利である。
執筆者:


ブルンナー
Otto Brunner
生没年:1898-1982

ドイツの歴史家。オーストリアのメードリングに生まれ,ウィーン大学に学ぶ。1929年ウィーン大学私講師,41年同教授。一時教職を離れたのち,54年からハンブルク大学教授となる。戦後ドイツ史学の一潮流である社会史的国制史研究の開拓者。代表作《ラントとヘルシャフト》(1939)は,ドイツ中世国家史に関する19世紀以来の〈古典学説〉を実証的にも理論的にもくつがえし,近代国家と異なる新しい中世的政治社会の構造を明らかにした。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルンナー」の意味・わかりやすい解説

ブルンナー
Brunner, Emil

[生]1889.12.23. チューリヒ,ビンターツール
[没]1966.4.6. チューリヒ
スイスのプロテスタント神学者。 1924~53年チューリヒ大学教授,53~55年国際基督教大学教授。『神秘と言葉』 Die Mistik und das Wort (1924) で,F.シュライエルマッハーの神学を退け,K.バルトらとともに弁証法神学の流れに属していたが,バルトとはのちに啓示に対する解釈で対立。彼は,物の知と人の知の間の根本的差が聖書での啓示概念の鍵をなすとした。ほかに『媒介者』 Der Mittler (27) ,『自然と思想』 Natur und Gnade (34) ,『人間』 Der Mensch im Widersprach (37) ,『教義』 Dogmatik (3巻,46~60) ,『永遠』 Das Ewige als Zukunft und Gegenwart (53) などがある。

ブルンナー
Brunner, Heinrich

[生]1840.6.21. ウェルス
[没]1915.8.11. バートキッシンゲン
オーストリアの法制史学者。ウィーンで T.ジッケルらに学び,レンベルク,プラハ,シュトラスブルクの各大学教授を歴任。 1873~1915年ベルリン大学教授をつとめ,歴史法学派の成果に基づき,中世法制史研究にすぐれた業績を残した。主著は古ゲルマンとフランク王国時代の法制を扱った『ドイツ法制史』 Deutsche Rechtsgeschichte (2巻,1887~92) で,今日なお古典的価値を失わない。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ブルンナー」の解説

ブルンナー Brunner, Emil

1889-1966 スイスのプロテスタント神学者。
1889年12月23日生まれ。チューリヒ大教授。バルトらと弁証法神学を推進。のちバルトと自然神学論争をおこし決別した。昭和24年来日し,28年から2年間国際基督(キリスト)教大の客員教授をつとめた。1966年4月6日死去。76歳。著作に「出会いとしての真理」「教義学」など。

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百科事典マイペディア 「ブルンナー」の意味・わかりやすい解説

ブルンナー

スイスのプロテスタント神学者。チューリヒ大学教授。K.バルトらとともに弁証法神学を説いたが,のち自然神学の問題で訣別した。1953年来日して1955年まで国際基督教大学教授。主著《仲保者》(1927年),《教義学》(1946年―1960年)ほか。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブルンナー」の解説

ブルンナー
Emil Brunner

1889~1966

スイスの神学者。シュライエルマッハーのような感情的神学に反対し弁証法神学を樹立。神と人の邂逅(かいこう)を,生きた現実のなかでとらえることを主張。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ブルンナー」の解説

ブルンナー
Emil Brunner

1889〜1966
スイスのプロテスタント神学者
鋭い現実感覚からバルトとともに弁証法神学を創始し,現代キリスト教思想に大きな影響を与えた。

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367日誕生日大事典 「ブルンナー」の解説

ブルンナー

生年月日:1840年6月21日
オーストリアの法制史学者
1915年没

ブルンナー

生年月日:1898年4月21日
西ドイツの歴史家
1982年没

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世界大百科事典(旧版)内のブルンナーの言及

【弁証法神学】より

…その後A.vonハルナックとも争って,漠然とイエスの宗教に帰ることではなくて聖書の啓示概念から出発すべきことを説いた。F.ゴーガルテンはこれに共鳴して《我は三一の神を信ず》(1926)を著し,E.ブルンナーは《神秘主義と言葉》(1924)を著した。さらにE.トゥルナイゼンやメルツG.Merz(1892‐1959)も加わって,1922年に雑誌《時の間》を刊行した。…

【グルントヘルシャフト】より

…経済史の側では,ほぼこの概念は領主的土地所有とそれに基づく借地農民の収奪の仕組みであると理解され,それが例えば,初期中世の修道院領のように,賦役労働による領主直営地経営(ビリカチオン制)を伴う場合には,とくに〈古典的〉グルントヘルシャフトとよんで後代の地代荘園型グルントヘルシャフトと区別される。また国制史の側では,しばしばこの概念は聖俗領主の〈支配〉体制そのものを表すのに用いられ(例えばオットー・ブルンナー),この場合には,それは単なる当該領主の所領組織ではなく,それを一つの基礎としつつもより包括的な社会・政治的支配構成体=領主支配圏(ヘルシャフト)を意味するものと考えられている。グーツヘルシャフト領主制【山田 欣吾】。…

※「ブルンナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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