青い塗装の寝台車を機関車が引っ張って走る夜行寝台特急の愛称として一般的に使われる。青い客車を1958年に投入した「あさかぜ」(東京―博多)が第1号とされる。その後、各地の路線に導入され「走るホテル」として高度経済成長期に人気を集めた。しかし新幹線などの影響で次第に乗客が減少、80年代半ばから廃止や統合が進むようになった。最近では2009年に「富士・はやぶさ」(東京―大分・熊本)が引退し、東京と九州を結ぶ寝台特急が終了。昨年は「あけぼの」(上野―青森)が定期運行を終え、ことし完全に廃止された。
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濃い青色に車体を塗った寝台特急列車の愛称。
本来のブルートレインはフランスのワゴンリー社所有の豪華寝台列車が最初であるが、現存していない。1945年、南アフリカ連邦(現、南アフリカ共和国)はケープ・タウン―プレトリア間にて超豪華寝台列車の運転を始め、車体をブルーに塗装して列車名もブルートレインと称した。この列車は、乗り心地がよく、寝室の設備、食堂のメニューなども、旅行案内書としてもっとも権威のある『ミシュラン・ガイド』で最上級に格付けされるホテルに相当する格調があるとされ、この列車に乗るために客が世界中から訪れるほど有名になっている。客車は南アフリカ共和国のユニオン・キャリッジ(現、CTE)社製であるが、装置・部品は世界各国の粋を集め、日本からも住友金属工業(現、日本製鉄)製の空気ばねが採用されて乗り心地のよさに一役買っている。2017年時点での編成客車は3代目で、今日の鉄道技術の最高水準としての機能を誇る世界の代表的な寝台列車である。
日本のブルートレインは1958年(昭和33)10月1日、東京―博多(はかた)間の特急「あさかぜ」が最初である。南アフリカ共和国のブルートレインには及ばないが、新造の専用客車を採用し、長距離寝台特急列車として高い水準に達していた。1970年代から夜行長距離列車の削減が行われ、2005年(平成17)には「あさかぜ」(東京―下関(しものせき))、「さくら」(東京―長崎)、「彗星(すいせい)」(京都―南宮崎)が、2006年には「出雲(いずも)」(東京―出雲市)が、2008年には「なは」(京都―熊本)、「あかつき」(京都―長崎)が、2009年には「富士」(東京―大分)、「はやぶさ」(東京―熊本)が、2014年には「あけぼの」(上野―秋田―青森)が、2015年には「北斗星」(上野―札幌)が廃止された。
これらのほか、「トワイライトエクスプレス」(大阪―札幌)および「カシオペア」(上野―札幌)も、1988年3月の青函(せいかん)トンネル開業以降に、機関車牽引(けんいん)の客車列車として登場した夜行列車サービスであった。いずれも個室寝台と食堂車等の豪華設備が売り物であり、列車に乗ること自体を商品化した。なお、「トワイライトエクスプレス」は2015年3月に定期列車としての運行を廃止し、臨時運行のツアートレインとして運行していたが、2016年3月に廃止された。「カシオペア」は2016年3月に定期運行を終了し、その後は「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」などの名称で、臨時運行のツアートレインとして運行されている。これらの夜行列車や、クルーズトレインとよばれる「ななつ星 in 九州」などの豪華観光寝台列車は、その塗色がブルーではないので、もはやブルートレインとよぶことはむずかしいといえよう。
[西尾源太郎・佐藤芳彦 2017年10月19日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…この客車は設備面においても,複層ガラスによる固定窓方式,ユニットクーラーによる冷房装置,空気ばね台車などを装備した画期的なものであった。さらに57年には東京~九州間の長距離寝台特急専用の寝台車が登場,その車体の色からブルートレインの名で親しまれ,使用する客車は変わったものの現在に至っている。このように第2次世界大戦後も客車の改良,新造が行われているが,全体的には旅客輸送は機関車に牽引される客車よりディーゼルカーや電車を利用する方式に転換されつつある。…
※「ブルートレイン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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