翻訳|Pravda
旧ソ連邦共産党中央委員会機関紙。紙名は〈真理〉の意。1912年5月5日(旧暦4月22日)にペテルブルグで創刊。ロシア革命後の22年にこの5月5日が〈新聞の日〉に制定された。レーニンを指導者とし,スターリン,モロトフらが創刊,編集に参加した。重なる弾圧に紙名を何度も変えて発行をつづけたが,1914年,第1次世界大戦勃発とともに停刊させられた。17年の二月革命による帝政崩壊後に復刊したのちも弾圧により紙名変更を繰り返したが,十月革命後の18年に政府,党とともにモスクワに移ってから,急速に成長した。記事や論説の多くは,モスクワ放送やタス通信によりソ連内外に広く伝達された。年中無休でモスクワなど44都市で発行され,発行部数は約1020万部(1983)と,世界最大の新聞の一つとなり,政府機関紙の《イズベスチヤ》と並んで最重要な新聞とされた。発行所の〈プラウダ出版所〉は,ソ連共産党に属する最も古い出版所であり,《プラウダ》のほか,《コムソモールスカヤ・プラウダ》《農村生活》などの新聞,《哲学の諸問題》《歴史学の諸問題》などの理論雑誌,一般誌の《クロコディル》《アガニョクOgonyok》などを刊行し,ソ連の出版所のなかでも有力な存在となっていた。
しかし,91年8月の保守派クーデタ失敗後に発行停止処分を受け,同月末に共産党と訣別して中道新聞として再刊。のちのギリシア人実業家の出資を得て,95年創刊の週末刊行紙《プラウダ5》を日刊化して,部数27万部と公称する(1996)。保守派の新聞である。
執筆者:広瀬 英彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ロシア語で「真実」「正義」,あるいはそれらが実現された状態をさす。1912年5月5日(ロシア暦4月22日)に創刊されたボリシェヴィキ党機関紙がこの名称を採用した。この新聞は第一次世界大戦開始の直前に停刊されたが,二月革命後復刊し,ソ連では共産党中央委員会機関紙として最重要の新聞となった(約966万部,1989年)。ソ連解体後は部数が激減した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…これらの新聞は〈イェロー・ジャーナリズムyellow journalism〉と呼ばれた。
[社会主義国の新聞]
ロシアでは多くの合法・非合法の社会主義新聞が発行され,1912年には日刊の《プラウダPravda》が,17年にはペトログラードの労働者・兵士代表ソビエトの機関紙《イズベスチヤIzvestiya》が創刊された。革命成功後,前者はソ連共産党中央委員会機関紙,後者はソ連最高会議幹部会機関紙に発展したが,ソ連崩壊後,両紙とも民間の新聞社で発行されるようになった。…
…ことに配布網を重視するという思想は,組織がまだ若く,旧体制の抑圧機構が強力であったという事情に加えて,媒体の組織化の機能にレーニンが早くから気づいていたことを示している。ロシア社会民主労働党が多数派と少数派に分裂して以降は,多数派(ボリシェビキ)は《フペリョード》を発行し,1912年には《プラウダ》が創刊される。フランスでは,1904年社会主義運動は二つに分裂していたが,ジャン・ジョレスの社会党が,当時の金額で88万フランを集めて《ユマニテ》を創刊した。…
…これらの新聞は〈イェロー・ジャーナリズムyellow journalism〉と呼ばれた。
[社会主義国の新聞]
ロシアでは多くの合法・非合法の社会主義新聞が発行され,1912年には日刊の《プラウダPravda》が,17年にはペトログラードの労働者・兵士代表ソビエトの機関紙《イズベスチヤIzvestiya》が創刊された。革命成功後,前者はソ連共産党中央委員会機関紙,後者はソ連最高会議幹部会機関紙に発展したが,ソ連崩壊後,両紙とも民間の新聞社で発行されるようになった。…
※「プラウダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
1936- 昭和後期-平成時代の女優,声優。昭和11年10月16日生まれ。昭和32年俳優座養成所をでて,テレビ界にはいる。NHKの「ブーフーウー」で声優としてみとめられ,54年テレビアニメ「ドラえもん...
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
7/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
6/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加